
ーー 両者は、同じ意味の 修辞形容語である ーー
ーー なぜ、誇張表現に、国産言葉の「万斛の涙」
を使わない ? ーー
ーー ヤマト人種の、典型的な「独善気質」による ーー
ーー 確かに、情けない事である ーー
昭和二十年八月十五日、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏する際、時の鈴木内閣は、国民に対する「内閣告諭」を発表した。
《《 本日畏くも大詔を拜す、帝國は大東亞戰爭に従ふこと
実に4年に近く、 而も遂に聖慮を以て非常の措置に
より其の局を結ぶの他途なきに至る、 臣子として恐懼
謂ふべき所を知らざるなり
( 中略 )
固より帝國の前途は此に依り一層の困難を加へ更に國
民の忍苦を求むる に至るべし、然れども帝國はこの忍
苦の結実によりて國家の運命を將來 に開拓せざるべ
からず、本大臣は茲に万斛の涙を呑み 敢てこの難き
を同胞に求めむと欲す 》》
この一節に,「万斛の涙を呑み」という言葉が出ている。
「斛」とは石(こく) の意で、十斗の分量。と辞書は解説している。「万斛」は「斛」の 一万倍だから、「万斛の涙と いう言葉の意味は、十万斗の涙」という意味になる。
「斗酒なを辞せず」という。大変な酒量の事である。一斗で大変な酒量だというのだから、十万斗の涙は、天文数字の量になる。酒はいくらでも生産出来るが、涙は人体の分泌物だから、出る量は限られている。杯( さかずき) 一杯も出ない涙に、十万斗の数詞を配する。あり得ない事だと知ってて使う、誇大筆法の表現に属する。
この誇大筆法に属する表現は、列島でよく使われる。戦後しばらくして、戦没者遺族や生き残った戦友により、大平洋諸島の嘗ての激戦地で建てられた慰霊塔にも、よくこの表現が見られる;
パプアニューギニア。投入された兵力は陸軍第十八
軍、海軍第九艦隊、 あわせて14万8000人、
そのうち生還者は1万3000人に過ぎなかった。
しかも死者の9割は餓死であったという。
死生困苦の間に処し、命令一下「欣然として死地に
投ずべし」(戦陣訓 )と教え込まれた有為の青年た
ちは、万斛の涙をのんで 密林に屍をさら したので
ある。
又、敬愛する先生への告別悼辞にも、この表現は好んで使われる;
平成16年12月12日、私どもの敬愛する先生が
逝去されたとの報に 接し、先生と我々の63年に及
ぶ師弟関係の深き縁を想い起こし、万斛の涙湧き出
ました。ここに、謹んで先生のご冥福をお祈り申し
上ます。
そればかりではない、文学作品にも見える;
その暁にこそ、彼女はこの老人に向って無限の感謝
と万斛の涙をそそぐであろう。
彼女はあたかも、故人の墓に額ずくような気持で、
ああ あの人は私のた めにこんなに親切にしてくれ
た、ほんとうに可哀そうな老人であったと、泣いて
礼を云ってくれるであろう。
( ー 谷崎潤一郎 『少将滋幹の母 ー )
以上のように、万斛の涙を呑み、万斛の涙をのんで、万斛の涙湧き、万斛の涙をそそぐ、と幾つかの例を挙げたが、実際には、十万斗の涙など、湧くことも、呑むことも、そそぐこともあり得ない。 白髪が、三千丈に伸びる事が有り得ない、のと全く同じ「修辞学形容詞」である。
ウエブに就職試験に備える為の「1分!常識」というページがある。それによると、「万斛(バンコク)の涙とはたくさんの涙のことである」というのが「正解」である、と書いてあった。
実際にどれだけの涙が湧き出るか、それはどうでもよい。要するに、止め処無く涙が出て来る、そのような心情、情緒の昂ぶりの描写である事が分かる。 白髪三千丈とは、白髪が沢山増えたことである。
だから現実から離脱する。通常、これを文学的な誇張表現の一種であるとされ列島で好んで使われる。
成程、それなら分からん事はない。
「十万斗の涙」と「白髪三千丈」、うん、全く好い勝負で、前者は日本産形容詞、後者は中国産形容詞。前者は現代の産物、後者は千年昔の産物。列島も流石に「言霊の栄える国」だけあって、唐土の李白には負けていない。
そう言えば、文豪漱石もこのような表現を使ってました。例の、「智に働けば、どうのこうの」、「情に棹さしたら、どうなるの」、とぶつぶつ呟きながら、山登りをした画工の書いた作品「草枕」の中に出ています。
西洋の詩は無論の事、支那の詩にもよく 万斛の愁い
などと云う字がある。
詩人だから万斛で、素人なら一合で済むかも知れぬ。
して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍
以上に神経が鋭敏なのかも知れん。
超俗の喜びもあらうが、無量の悲しみも多からう。
そんならば詩人になるのも考え物だ。
この一節に、万斛の涙ならず、「万斛の愁い」という表現が出ている。しかし、漱石は、西洋の詩や、中国の詩にもよくこのような表現が出て来ると言っているだけで、彼自身が使ったわけではないが、しかし、彼は、ここで「西洋の詩は勿論の事」だと言って、このように、雲を掴むような表現は、科学先進国でも横行している事を明らかにした。
こうして見ると、大体に於いて、涙と愁い、悲しみと無念の思いに、「万斛」という表現をくっつけているのが多い。どうも、人間というのは、古今東西に拘らず、悲しい時に限って、極端に大袈裟な表現を使う習性というのがあるらしい。
詩仙李白もそうだった。
秋浦長似秋 秋浦は長( とこし) えに秋に似たり
蕭條使人愁 粛条 ( さみ) しく人をして愁える
客愁不可度 客愁は渡( はか) る可からず
行上東大樓 行きて東の大楼に上がる
正西望長安 正(まさ) に西のかたに長安を望む
下見江水流 下には江水の流るるを見る
寄言向江水 言を寄せて江水に向かい
汝意憶儂不 汝の意は儂( われ)を憶( おも)うや不
( いな) や
遙傳一掬泪 遥かに一掬 ( いっきく ) の涙を伝えて
為我達揚州 我が為に揚州に達せよ
これが、彼の有名な「秋浦歌」の十七首の書き始め、つまり第一首である。
見て分かるように、老いたる身の粛条( さみ) しい愁いに涙して、この愁いを故郷の妻子に伝えて呉れよと、詩仙は、涙ながらに江水に訴えている。この一節に、共に涙した人が、どれほど居たことか。
こうして、愁いに涙して一首、さらに一首と詠い、ついに、第十五種に至り李白は、古今稀れなる詩的表現の高峰「白髪三千丈」を詠み出した。
白髪三千丈 縁愁似箇長 不知明鏡裏、何処得秋霜
の四句のうち、 第二句を日本語の訳は、「 愁いに縁りて、箇 の 似 く 長(なが)し }と読み下している。 それで、李白の白髪は、三千丈の長さに伸びた、という意味になって、中國で全く誇張だと思われていない表現が、 列島で、大袈裟な誇張に成って仕舞った。
白髪が三千丈に伸びる。全く不可能なことであり、涙が十万斗湧き出る事が絶対に無いのと一緒である。「万斛(バンコク)の涙とはたくさんの涙のことである」なら、「白髪( シラガ) 三千丈とはシラガたくさん増えたことである」になる。 ただそれだけの事である。
だから、第十五首を正しくよめば、
白髪が大変増えた 愁いに縁りてこんなに増えた
知らず 明鏡の裡 何処から秋霜を得たか
になって、何も驚く事は無い。所が、漢文漢詩に弱い列島の衆生は、言葉の皮相のみ見て、その内に潜む意味が読めなかった。
南無妙法蓮華経、俗に「れんげ さん」と信者に親しまれている説法がある。
三千大千世界ヲ見ルニ乃至芥子ノ如キバカリモ、
是レ菩薩ニシテ身命ヲ捨テタマフ処ニ非ザルコト
アルコトナシ日蓮ガ慈悲広大ナラバ、南無妙法蓮
華経ハ万年ノホカ未来マデモ流ルルベシ。
日本国ノ一切衆生ノ盲目ヲ開ケル功徳アリ、無間地
獄ノ道ヲフサギヌ ただ言葉の皮相のみを見て、
他宗を悪くいったものだといって、その 心の中にひ
そむ 万斛の涙を汲むことを知らぬというのは、いか
にも情ないことではないか。
というような調子の説法なんですが、この中に、白髪三千丈という言葉の元である「三千大千」という表現、そして、「万斛の涙を汲む」という表現、共々同時に出て来ている。 そして、「れんげさん」 説いて曰く、
「ただ言葉の皮相のみを見て、その心の中に
ひそむ万斛の涙を汲むことを知らぬというのは、
いかにも情ないことではないか」
正しく、その通りです。
列島の衆生は、「法螺吹き」の形容に、現代の自国産の「万斛の涙」を使わず、千年前の古い中国の「白髪三千丈」を借用して、中国人は「嘘つき」だと言う。
中国人は、口に出して言わないけれども、内心では、日本衆生の無知蒙昧を嘲笑っている。
ヤマト人種独特の「独善気質」によるもので、このような浅ましくも「情けない事」は、南無妙法蓮華経が 黙って見ておれないので、上述のような説法をした訳で、五体だけが満足で、やや智慧不足の、サムライの末裔である、日本国の衆生は、その説法に従い、速やかに、改めるべきであろう・