夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

君が立ち上がればいいんだ!

2009-02-14 14:26:04 | 小説「新・人間革命」
ある青年は、こう山本伸一に質問してきた。

「私が担当しております組織は、男子部員も少ないうえに、実態は極めて厳しいものがあります。どうすれば、こうした事態を変えていくことができるでしょうか」

即座に、伸一の大きな声が響いた。

「君が立ち上がればいいんだ!」

場内に緊張が走った。水を打ったような静けさに包まれた。

「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく。私もそうしてきた。戸田先生が亡くなったあと、学会は空中分解すると、世間は噂していた。古い幹部のなかには、先生が亡くなったのをいいことに、わがままになり、身勝手に振る舞う者もいた。学会を食い物にしようと企む者もいた。このままでは本当に空中分解してしまうと、私は思った。だから立ち上がった。そして、総務として、陰の力となって、学会のいっさいの責任を担った。当時、私は三十歳だった。事態が厳しければ、自分が一人立つ――常に、私はその精神でやってきた。

蒲田支部の支部幹事として、折伏の指揮をとった時もそうだ。当時は、大支部といっても、折伏は百世帯そこそこだった。?これでは、戸田先生が掲げた七十五万世帯という大願を果たすことはできない″と、私は思った。

では、誰がやるのか。弟子がやるしかない。ゆえに私は戦いを起こした。そして、一支部で二百一世帯という、当時としては未曾有の布教を成し遂げた。これは私が、二十四歳の時だ。支部には、もちろん壮年も、婦人もいた。ほとんどの幹部は、私よりも年上だ。しかし、最後は皆、私と心を合わせて動いてくれた。

なぜか。私は真剣であったからだ。誰よりも、必死であったからだ。?自分たちには、あれほどの活動はできない。この人の言う通りにやれば、必ず壁を破ることもできるだろう〃と、みんなが思ったからだ。そして、私は結果を出した。

私の行くところは、事態、状況は、いつも最悪だった。そのなかで、勝って、戸田先生にお応えしてきた。それが弟子の道だ。ポーズだけの、遊び半分やふざけ半分の青年など、学会には必要ない。君も立て! 断じて立つんだ。見ているぞ!」

まさに生命と生命の打ち合いであった。語らいの最後に、伸一はこう付け加えた。

「まだ、私が揮毫した色紙をもらってない人は、後で名前を男子部長の方に出しておきなさい。新しい出発の記念として、みんなへの激励のために、色紙を贈りたいんだ。私が頼りとするのは君たちだ。一緒に広宣流布をやろうじやないか!」

青年の心に触発をもたらしながら、天城での水滸会の夜は更けていった。

8巻 宝剣

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