伸一は、青年たちに問いかけた。
「アレキサンダー大王は、遠征の末にインダス川を渡った。その先は、ガンジス川が潤すインドの大平原だ。ところが、そこで突然、引き揚げてしまった。なぜだと思うかい」
皆、黙って考え込んでいたが、誰からも答えは返ってこなかった。伸一は語り始めた。
「アレキサンダーは、常に先陣を切って、前進、また前進で突き進み、いかなる困難も乗り越え、常勝の道を切り開いてきた。インダスを渡った時も、新天地への希望に、胸を高鳴らせていたにちがいない。
その彼が、ここで遠征をやめ、引き返さざるをえなかったのは、外敵や障害のせいではない。味方の将兵たちが、前進することを拒絶したからなんだよ。
アレキサンダーは、将兵たちの心が、次第に冷めてきていることを知悉していた。だから、士気を鼓舞しようと、決起を呼びかけ、不屈の前進を訴えた。だが、彼らは、大王の意に反して、それ以上、動こうとしなかった。アレキサンダーは?何を恐れているのか、臆病者どもよ″と、歯ぎしりする思いだったはずだ。結局、懸命の説得も空しく、彼は前進をあきらめるしかなかったのだ」
今度は、黒木昭が伸一に尋ねた。
「将兵たちは、アレキサンダー大王と苦楽をともにして戦ってきた闘士のはずですが、それがなぜ、大王と一緒に進もうとしなくなったのでしょうか」
「これは、極めて大事な問題だね。故国を遠く離れて、八年にもわたる遠征で、将兵の胸に、望郷の念がつのり始めていたこともあったのだろう。また、心身ともに、連戦に疲れ果ててしまっていたのかもしれない。しかし、私は、むしろ、大王が何をめざして戦っているのか、将兵がわからなかったことに、最大の要因があったように思う。
アレキサンダーの遠征の動機には、自国の安全を守るとともに、支配を拡大し、経済的にも豊かなものにしようという狙いがあったことは間違いない。しかし、彼は、もっと大きな理想をいだくようになる。もし、金銀財宝が目当てなら、ペルシャ帝国を滅ぼした時点で、莫大な財宝をわが物にし、遠征をやめていたはずだ。また、自国の領土の安全を確保するためなら、やはり、その段階で目的は達せられていた。
ところが、彼は、遠征をやめなかった。ちっぽけな欲望や利権には見向きもせずに、遠征の先頭に立ち続けている。なぜか。彼は世界の西と束を結び、人類を統一するという理想の実現のために戦おうとしていたからだ」
アレキサンダー大王は、エジプトで?人類は一つである″との啓示を得たといわれる。以来、彼は、その実現を、自身の使命としていった。
もちろん、彼も武力による征服を行いはしたが、東方の異民族を低く見たり、差別する発想はほとんどない。敵として戦っても、ひとたび相手が帰服すれば、手厚く遇し、敵の貴族などを領主にすることさえ少なくなかった。そして、アレキサンダーの方が、異民族の文化や風俗などを、積極的に受け入れていった。
それが、新たな文化の創造の基盤となり、後にパキスタン北部に開花したガンダーラ美術のように、仏教というインドの文明と、ギリシャの文明との融合をも、もたらしたといってよい。
当時は、あのアリストテレスでさえも、ギリシャ人以外は、生まれながらの野蛮人という認識があったくらいである。そのなかで、人は皆、同じ人間であると考え、世界を結ぼうとするアレキサンダーの理想を理解できる将兵など、誰もいなかった。
将兵たちにとっては、遠征は、マケドニアの支配を拡大し、自分たちが富を得るためのものであった。そのため、ペルシャ征服後の遠征に従った者は、次第に、これ以上、苦労し、危険を冒す必要などないではないかと、考えるようになったのであろう。
山本伸一は言った。
「大王と将兵たちの間には、遠征の目的に大きな違いがあった。アレキサンダーは、崇高な理想の実現のために、はるかなる遠路をめざしたが、将兵たちの心は保身にあったようだ。保身は人間を臆病にする。そして、ひとたび臆病になれば、戦いには勝てない。
信心の世界でも同じことがいえる。戸田先生の時代も、懸命に学会活動に励み、病苦や経済苦を克服してしまうと、活動に力が入らなくなる幹部がいた。もう功徳も受け、悩みも解決できたのだから、あくせく信心に励む必要はないというわけだ。
そして、どこまでも広宣流布に生き抜こうとする戸田先生を批判する者さえいた。『なぜそこまで弘教しなければならないのか』『もっと、休みながら、ゆとりのある活動をすればよいではないか』――そんな批判を、私は何度となく耳にしてきた。
先生の念願は、この地上から『悲惨』の二字をなくし、全人類を救済することであった。世界の永遠の平和を築くことにあった。しかし、悲しいかな、彼らは、その心が、本当にわかってはいなかったのだ」
浜辺に打ち寄せる波が、太陽の光を浴びて、まばゆく光っていた。
皆、緊張した顔で、伸一の話を聞いていた。
「戸田先生の心を知り、本気になって、その理想を実現しようとしてきたのは私だけであったと確信している。私の思いは今も、いささかも変わっていない。私は、戸田先生から、人類の幸福と平和の実現という、広宣流布のいっさいを託された。それは、はるかなる遠路だ。また、終わりのない旅である。命ある限り、歩み続けなければならない間断なき闘争である。自分の安泰だけを願う保身の心では、広宣流布の遠路を踏破することなど絶対にできるものではない。
みんなが悩みを克服し、健康になり、生活が豊かになる。豪邸にも住めるようになり、社会的にも立派な地位や名声を得ていく――それは、私の願いであるし、功徳といえば功徳だが、そんなものは、極めてちっぽけな功徳です。信心の目的の一つにすぎない。
それだけでは、相村的な幸福であるし、自分だけの幸福に終わってしまう。そして、そこに安住するならば、アレキサンダー大王の将兵たちのように、さらに前進しようとする気概を失ってしまうだろう。
私たちが最終的にめざすものは、個人に即していえば絶対的幸福だ。どんな逆境に立とうが、崩れることのない、生命の大宮殿を自身の胸中に築き上げていくことです。また、自他ともの幸福であり、広宣流布こそが本当の目的だ。
私たちは、それを成し遂げる使命をもって、この世に生まれてきた。そして、その使命に生き抜くなかに最高の歓喜が、最大の充実が、絶対的幸福がある。
ところが、人間は、環境が整い、年をとるにつれて、次第に保身に陥り、臆病になってしまう。若い時やー時期は、必死になって頑張ることができても、生涯、それを持続し、貫いていく人は少ないものだ。しかし、それでは、自分自身の完成もなければ、人類の幸福と平和の実現もありえない。それまでの努力も水の泡となってしまう。だから、私は、最後まで広布に走り抜こうと、厳しく言うのです。
ともあれ、アレキサンダーの将兵たちの心は、大王と同じではなくなっていた。そこに、アレキサンダーの限界の壁もあった。つまり、どんなに偉大な指導者がいても、皆がその本当の心を知り、力を合わせなければ、偉業の成功はない。真の同志とは、また弟子とは、同じ?志″を、生涯、もち続ける人だ」
伸一は、目を細め、アラビア海を眺めながら、師の戸田城聖を思った。
?戸田先生がご存命であれば、今日で六十二歳になられたことになる。もし、ご一緒に、ここに立つことができたならば、先生はなんと言われたであろうか……。
先生は、世界の民衆の、なかでもアジアの民衆の幸福を、念願し続けておられた。しかし、日本を出ることはなく、五十八歳の生涯を閉じられた。その先生に代わって、いや、先生の分身として、私は世界に羽ばたいた……″
伸一は、戸田の念願を成就することが、弟子としての自分の生涯の使命であることを痛感していた。しかし、それがいかに重く大きな課題であり、はるかなる遠路であるかも、いやというほど感じていた。
世界に会員がいる国も、まだ、ほんの一握りにすぎないし、いたとしても、微々たる存在でしかない。しかも、それぞれ国情は異なっており、入国さえできない国もあれば、信教の自由が保障されていない国も少なくない。そのなかで、仏法を基調にした平和の哲理とヒューマ二ズムの思想を人びとの心のなかに植え、世界を結ぶことは、砂漠の砂を一粒一粒拾い上げるに等しい、迂遠な作業といえよう。
伸一は、時として、気の遠くなるような思いをいだくこともあった。焦りを感じもした。しかし、そんな時には、彼は、いつも、敗戦の焼け野原に一人立った恩師が、七十五万世帯の友の幸福の城を築き、自身の生涯の使命を果たしたことを思い起こした。すると、彼の胸には、暗雲を破って太陽が昇るかのように、常に勇気と力が込み上げてくるのだった。
?その先生の弟子である私も、使命を果たせぬわけがない!″
勇気は希望となり、大いなる確信となっていった。
そして、いつも、心でこう叫んだ。
?先生、見ていてください!″
伸一は、師の戸田城聖を思い、勇気を奮い起こしながら、遠路を黙々と進んでいった。
6巻 遠路
「アレキサンダー大王は、遠征の末にインダス川を渡った。その先は、ガンジス川が潤すインドの大平原だ。ところが、そこで突然、引き揚げてしまった。なぜだと思うかい」
皆、黙って考え込んでいたが、誰からも答えは返ってこなかった。伸一は語り始めた。
「アレキサンダーは、常に先陣を切って、前進、また前進で突き進み、いかなる困難も乗り越え、常勝の道を切り開いてきた。インダスを渡った時も、新天地への希望に、胸を高鳴らせていたにちがいない。
その彼が、ここで遠征をやめ、引き返さざるをえなかったのは、外敵や障害のせいではない。味方の将兵たちが、前進することを拒絶したからなんだよ。
アレキサンダーは、将兵たちの心が、次第に冷めてきていることを知悉していた。だから、士気を鼓舞しようと、決起を呼びかけ、不屈の前進を訴えた。だが、彼らは、大王の意に反して、それ以上、動こうとしなかった。アレキサンダーは?何を恐れているのか、臆病者どもよ″と、歯ぎしりする思いだったはずだ。結局、懸命の説得も空しく、彼は前進をあきらめるしかなかったのだ」
今度は、黒木昭が伸一に尋ねた。
「将兵たちは、アレキサンダー大王と苦楽をともにして戦ってきた闘士のはずですが、それがなぜ、大王と一緒に進もうとしなくなったのでしょうか」
「これは、極めて大事な問題だね。故国を遠く離れて、八年にもわたる遠征で、将兵の胸に、望郷の念がつのり始めていたこともあったのだろう。また、心身ともに、連戦に疲れ果ててしまっていたのかもしれない。しかし、私は、むしろ、大王が何をめざして戦っているのか、将兵がわからなかったことに、最大の要因があったように思う。
アレキサンダーの遠征の動機には、自国の安全を守るとともに、支配を拡大し、経済的にも豊かなものにしようという狙いがあったことは間違いない。しかし、彼は、もっと大きな理想をいだくようになる。もし、金銀財宝が目当てなら、ペルシャ帝国を滅ぼした時点で、莫大な財宝をわが物にし、遠征をやめていたはずだ。また、自国の領土の安全を確保するためなら、やはり、その段階で目的は達せられていた。
ところが、彼は、遠征をやめなかった。ちっぽけな欲望や利権には見向きもせずに、遠征の先頭に立ち続けている。なぜか。彼は世界の西と束を結び、人類を統一するという理想の実現のために戦おうとしていたからだ」
アレキサンダー大王は、エジプトで?人類は一つである″との啓示を得たといわれる。以来、彼は、その実現を、自身の使命としていった。
もちろん、彼も武力による征服を行いはしたが、東方の異民族を低く見たり、差別する発想はほとんどない。敵として戦っても、ひとたび相手が帰服すれば、手厚く遇し、敵の貴族などを領主にすることさえ少なくなかった。そして、アレキサンダーの方が、異民族の文化や風俗などを、積極的に受け入れていった。
それが、新たな文化の創造の基盤となり、後にパキスタン北部に開花したガンダーラ美術のように、仏教というインドの文明と、ギリシャの文明との融合をも、もたらしたといってよい。
当時は、あのアリストテレスでさえも、ギリシャ人以外は、生まれながらの野蛮人という認識があったくらいである。そのなかで、人は皆、同じ人間であると考え、世界を結ぼうとするアレキサンダーの理想を理解できる将兵など、誰もいなかった。
将兵たちにとっては、遠征は、マケドニアの支配を拡大し、自分たちが富を得るためのものであった。そのため、ペルシャ征服後の遠征に従った者は、次第に、これ以上、苦労し、危険を冒す必要などないではないかと、考えるようになったのであろう。
山本伸一は言った。
「大王と将兵たちの間には、遠征の目的に大きな違いがあった。アレキサンダーは、崇高な理想の実現のために、はるかなる遠路をめざしたが、将兵たちの心は保身にあったようだ。保身は人間を臆病にする。そして、ひとたび臆病になれば、戦いには勝てない。
信心の世界でも同じことがいえる。戸田先生の時代も、懸命に学会活動に励み、病苦や経済苦を克服してしまうと、活動に力が入らなくなる幹部がいた。もう功徳も受け、悩みも解決できたのだから、あくせく信心に励む必要はないというわけだ。
そして、どこまでも広宣流布に生き抜こうとする戸田先生を批判する者さえいた。『なぜそこまで弘教しなければならないのか』『もっと、休みながら、ゆとりのある活動をすればよいではないか』――そんな批判を、私は何度となく耳にしてきた。
先生の念願は、この地上から『悲惨』の二字をなくし、全人類を救済することであった。世界の永遠の平和を築くことにあった。しかし、悲しいかな、彼らは、その心が、本当にわかってはいなかったのだ」
浜辺に打ち寄せる波が、太陽の光を浴びて、まばゆく光っていた。
皆、緊張した顔で、伸一の話を聞いていた。
「戸田先生の心を知り、本気になって、その理想を実現しようとしてきたのは私だけであったと確信している。私の思いは今も、いささかも変わっていない。私は、戸田先生から、人類の幸福と平和の実現という、広宣流布のいっさいを託された。それは、はるかなる遠路だ。また、終わりのない旅である。命ある限り、歩み続けなければならない間断なき闘争である。自分の安泰だけを願う保身の心では、広宣流布の遠路を踏破することなど絶対にできるものではない。
みんなが悩みを克服し、健康になり、生活が豊かになる。豪邸にも住めるようになり、社会的にも立派な地位や名声を得ていく――それは、私の願いであるし、功徳といえば功徳だが、そんなものは、極めてちっぽけな功徳です。信心の目的の一つにすぎない。
それだけでは、相村的な幸福であるし、自分だけの幸福に終わってしまう。そして、そこに安住するならば、アレキサンダー大王の将兵たちのように、さらに前進しようとする気概を失ってしまうだろう。
私たちが最終的にめざすものは、個人に即していえば絶対的幸福だ。どんな逆境に立とうが、崩れることのない、生命の大宮殿を自身の胸中に築き上げていくことです。また、自他ともの幸福であり、広宣流布こそが本当の目的だ。
私たちは、それを成し遂げる使命をもって、この世に生まれてきた。そして、その使命に生き抜くなかに最高の歓喜が、最大の充実が、絶対的幸福がある。
ところが、人間は、環境が整い、年をとるにつれて、次第に保身に陥り、臆病になってしまう。若い時やー時期は、必死になって頑張ることができても、生涯、それを持続し、貫いていく人は少ないものだ。しかし、それでは、自分自身の完成もなければ、人類の幸福と平和の実現もありえない。それまでの努力も水の泡となってしまう。だから、私は、最後まで広布に走り抜こうと、厳しく言うのです。
ともあれ、アレキサンダーの将兵たちの心は、大王と同じではなくなっていた。そこに、アレキサンダーの限界の壁もあった。つまり、どんなに偉大な指導者がいても、皆がその本当の心を知り、力を合わせなければ、偉業の成功はない。真の同志とは、また弟子とは、同じ?志″を、生涯、もち続ける人だ」
伸一は、目を細め、アラビア海を眺めながら、師の戸田城聖を思った。
?戸田先生がご存命であれば、今日で六十二歳になられたことになる。もし、ご一緒に、ここに立つことができたならば、先生はなんと言われたであろうか……。
先生は、世界の民衆の、なかでもアジアの民衆の幸福を、念願し続けておられた。しかし、日本を出ることはなく、五十八歳の生涯を閉じられた。その先生に代わって、いや、先生の分身として、私は世界に羽ばたいた……″
伸一は、戸田の念願を成就することが、弟子としての自分の生涯の使命であることを痛感していた。しかし、それがいかに重く大きな課題であり、はるかなる遠路であるかも、いやというほど感じていた。
世界に会員がいる国も、まだ、ほんの一握りにすぎないし、いたとしても、微々たる存在でしかない。しかも、それぞれ国情は異なっており、入国さえできない国もあれば、信教の自由が保障されていない国も少なくない。そのなかで、仏法を基調にした平和の哲理とヒューマ二ズムの思想を人びとの心のなかに植え、世界を結ぶことは、砂漠の砂を一粒一粒拾い上げるに等しい、迂遠な作業といえよう。
伸一は、時として、気の遠くなるような思いをいだくこともあった。焦りを感じもした。しかし、そんな時には、彼は、いつも、敗戦の焼け野原に一人立った恩師が、七十五万世帯の友の幸福の城を築き、自身の生涯の使命を果たしたことを思い起こした。すると、彼の胸には、暗雲を破って太陽が昇るかのように、常に勇気と力が込み上げてくるのだった。
?その先生の弟子である私も、使命を果たせぬわけがない!″
勇気は希望となり、大いなる確信となっていった。
そして、いつも、心でこう叫んだ。
?先生、見ていてください!″
伸一は、師の戸田城聖を思い、勇気を奮い起こしながら、遠路を黙々と進んでいった。
6巻 遠路
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