ココヨリトワニ

野球と文章書きに生きる男、空気王こと◆KuKioJYHKMのブログです。(人が死ぬ創作文があります、ご注意を)

ディケイドのループ設定について考察してみる

2010-01-18 22:48:51 | 雑談
※以下の文章は全て自分の妄想であり、東映の公式設定とはまったく関係ありません。

さて、今回は「仮面ライダーディケイドはループしている物語である」という話についてある程度つっこんで考えてみようと思います。
一般的にはこの設定は、「夏、未完事件」に対する苦し紛れの言い訳にしか思われていないかも知れません。
しかし、伏線らしきものはかなり初期から存在していました。
第7話、龍騎の世界で夏海に接触した鳴滝は彼女にこう告げています。
「この世界、時間では会うのは初めてかな?」と。
この発言は明らかにループ展開の暗示です。でなければ、鳴滝がただの変な人になってしまいます(そうでなくても充分変、というのはおいといて)。
夏海が見たライダー大戦の夢も、予知夢ではなくループする前の記憶が夢という形で蘇ったのではないでしょうか。
そう仮定すれば、「夢の内容と実際のライダー大戦が全然違うじゃねえか!」というツッコミも意味をなさなくなります。
夏海の夢はあくまで、「前の物語で起きたライダー大戦」なのですから。
というかそもそも、初期は普通にループ展開が仮説として受け入れられていたような気がします。

さて、ここからは完全な自分の妄想です。
士はループが起きるたびに、記憶が完全にリセットされているはずです。
夏海も深層心理にこそライダー大戦の記憶がありますが、旅の記憶のほとんどを失っています。
ですが、鳴滝は記憶を保持したままループを繰り返しているのではないでしょうか。
そう、鳴滝がディケイドに抱く憎悪とは「ループし続ける終わらない物語に閉じこめられた恨み」なのです。
彼がディケイド抹殺に躍起になっていたのは、ループに終止符を打つため。
そして渡や剣崎も、無限ループに組み込まれてしまった被害者だったのではないでしょうか。
そう考えれば、彼らの性格が原作から変貌していたことにも説明がつきます。
ひぐらしの梨花ちゃまのように、延々と続くループが彼らをやさぐれさせていったのでしょう。
よく指摘される「第1話での渡の説明不足」も、同じ説明を何度も何度もやらされたせいでもう面倒になっちゃったんじゃないでしょうか。
まあ鳴滝のように「何がなんでもディケイドぶっ殺す!」ではなく最後の最後まではディケイドの好きなようにさせていた辺り、なんだかんだ言っても彼らはいい人です。

さて、ここでもう一つ大胆な仮説を。
それは、「本来クウガになるのはユウスケでなく別の人間だった」というものです。
おそらく鳴滝は、ディケイドの抹殺以外にループを終わらせる方法がないか色々試していたはずです。
その中の一つが、「クウガになる人間を入れ替える」だったのではないでしょうか。
ユウスケの回想を見る限り彼がアマダムを入手したのには鳴滝が関与していたようですから、考えられないことではないと思います。
そして九つの世界のライダーの中で、ユウスケだけが士に同行したのも物語に変化をもたらすために鳴滝が仕組んだ策だったのです。
しかしこの改変は、思わぬ破綻をもたらします。士とユウスケの間に強い信頼が生まれたことで、ライダー大戦がクウガ不在になってしまったのです。
そのため鳴滝はキバーラを通し、アルティメット化という手段で無理矢理クウガをライダー大戦に参加させたのではないでしょうか。
話は逸れますが、「実験」と称して鎌田を龍騎の世界に送り込んだのも「クウガ入れ替え」と同じくループ阻止のためのアプローチだったのかも知れません。

最後に、TVシリーズと「オールライダー」、「完結編」のつながりについて。
はっきり言えば、この三つを矛盾なくつなげるのは不可能です。
まずTVシリーズと「完結編」をつなげる場合、「完結編」において大ショッカーが壊滅しているというのがネックとなります。
TVシリーズでは幹部であるアポロガイスト(ついでに十面鬼)は倒されたものの、大ショッカーそのものが壊滅したなどとは一言も言われていません。
TV最終回と「完結編」の間で壊滅させる余裕もディケイドにはなかったでしょう。
「オールライダー」と「完結編」をつなげた場合は、大ショッカーが壊滅していることに問題はありません。
ですが、「オールライダー」のあのラストからはどう考えても「完結編」の展開には繋がりません。
同様にTV最終回から「オールライダー」につなげるのも、あまりに無理があります。
また一部書籍では、「オールライダー」はTVシリーズのアマゾン編とライダー大戦編の間の出来事とされているそうですが、これも矛盾が発生します。
「オールライダー」で大ショッカーは壊滅しているのですから、ライダー大戦の世界でアポロガイスト一派が活動していることに士たちが疑問を抱かないはずがないのです。
結局のところ、三つの物語は繋がりそうで繋がらない独立したストーリーと考えるほかないのでしょう。
つまりはひぐらしと同じように、それぞれ違う周回の話なのです。
まあファンとしては、RX&BLACKの世界→「オールライダー」という流れを捏造するのが一番ストレスがたまらないかも知れませんねえ……。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アフロとは異次元への扉である | トップ | 我が輩はロワである。名前は... »

コメントを投稿

雑談」カテゴリの最新記事