ふうちゃん本舗

のんびりおじさんの社会科見学

路上でのキス、少しは市民のグローバル化に役立ったか

2017-09-28 16:21:53 | 街を徘徊して


花火大会が終わって、
ぞろぞろと帰宅の人たちで混んでいた歩行者専用となった道路。

交差点の信号で止められ、じっと前を向いて待っていた時に “事件”が起こりました。

2列目にいた若い欧米人らしいカップルが軽いキスを始めました。
2人とも背が高いので丸見え。
当人たちとしてはごく当たり前のことだったと思います。

しかし花火大会ですから浴衣の若い女性たち、家族連ればかり。
こんなことは普段見慣れてないし、すぐ目の前ですから目のやり場に困ります。

お母さんから「見るな」と言われても、本物のキスを見て子供たちはニコニコ、お父さんはニヤニヤ。
女性たちはおしゃべりをやめて固まるし。

その場の雰囲気に「早く信号が変わってくれ」と願いました。
まだまだこんなことには初心です。

ところで話し変わって、福岡市はアジアの主要都市に1、2~3時間で行け、アジアの玄関口になっています。
これは東京にはできないこと。
更に高島市長はヨーロッパにも盛んに攻勢をかけています。

しかし福岡市がグローバル化する上で2つの大きな障害があります。
その1つはこの路上キスの認知、ではなく、
英語を話せる市民が非常に少ないこと、これではコミニュケーションが取れません。

2つ目は現金支払い。
カードとか特に電子マネーでの支払いのインフラが充実していないことです。

「アリガトゴザイマス」「おお、日本語うまいねえ」と言っている間はダメ。


テニスの伊達公子さんとユニバシアード福岡大会

2017-09-22 09:54:14 | 街を徘徊して

(今年もよさこいの季節)

テニスの伊達公子さんが9月11日で引退しました。
伊達公子さんについてはユニバシアード福岡大会の時のことを思い出します。

プロになってバリバリの選手でした。
しかしこの有力選手がバッシングを受けることになりました。

それは、選手宿舎には泊まらず市内のホテルから試合会場へ通ったからです。
すると、わがまま、なぜ特別扱い?同じ環境条件で戦うべきでは、との批判が多く寄せられました。

ホテルに泊まっただけでなぜ批判を浴びる?
それは、大会経費を節約するために、選手宿舎を販売前のマンションにしたからでした。

売り物なのでトイレ、バスは部屋にあっても使えず別に共同のものが作られました。
それとエアコンも使用禁止だったと記憶します。
選手からは当然苦情が出ました。

ホテルに泊まった理由は本人に聞かなければ分かりませんが、煩わしさを避けたのだと思います。
トイレにも自由に行けない、暑い、部屋は数人部屋、では集中できませんので。

しかしユニバシアードはインターハイとかインカレの延長線上ですから、
“純粋な”スポーツマンシップ、「同じ生活環境で戦うべき」が主流を占めていたのだと思います。
甲子園の高校野球と同じみたいな。

だからこんな騒ぎになってしまったのでしょう。

プロとアマの考え方の違いだと思います。
ユニバシアードでは残念ながら敗退しましたが、翌年には世界ランキング4位にまでなっています。


博多3大祭りの1つ、放生会始まる

2017-09-16 08:29:58 | 街を徘徊して

博多の3大祭り(5月の博多どんたく、7月の博多山笠、そして9月の)筥崎宮の放生会が始まりました。

博多では“ほうじょうえ”とは言わず“ほうじょうや”と言います。
毎年7日間で100万人の人出があります。
長い参道にはびっしりと露店が並びます(数えたことはありませんが500店とも)。

その中でここにだけで売っているものがあります。
その1つは「ちゃんぽん」という郷土ガラス玩具。

底がぺたんとなったフラスコを直径5cm位にして、息を吹き込むガラス管を付けたようなもの。
ガラス管から息を吹き込むと薄い底がぺこんと動き「ちゃんぽん」と聞こえる?音を出します。

巫女さんが絵付けした「正統品」は筥崎宮内の売り場で数量限定で販売されますが、
それでなかったら露店に安くであります。

(限定品ということで直ぐにオークションに出ますが、くれぐれも偽物をつかまされないように。
高額ですから注意して下さい。)

ところで、巫女さんは絵付けの時、1つ1つ、口をつけて音を確認するのだろうか?
これをおじさんがしてたら興ざめ。

あと1つは葉の付いたままのナマ生姜。
昔、生姜を作っていた近くのお百姓さんが持って来て売っていた名残です。

これを縁起物として買って行く人は多いです。

この放生会、若い女性の浴衣の着収めでもあります。
博多はこれから秋に入って行きます。

福岡市のあと残された行事は、10月の福岡市民マラソン、11月の大相撲九州場所、12月の福岡国際マラソン、そして有名な博多の誓文払い。


福岡市の粋な計らいで、名前が石碑に残る

2017-09-10 23:11:38 | 街を徘徊して

 (北九州市黒崎の祇園山笠、夜は電飾されて綺麗)

事業に成功して名を残す、勲章でももらって名を残す、死んで墓標に名を残す、名の残し方はいろいろ。
私は成功もしてないし、勲章などもらってないのに福岡市の公園に立てられた石碑の中に私の名前が刻まれています。
実は1995年夏に福岡市で開催された第18回ユニバシアード福岡大会でボランティアをしたからです。

大会記念としてサッカー競技場横に「ユニバ公園」というものが作られ(ユニバ通りもあります)、そこの一角に石碑が立てられて関係した全員の名前が彫り込まれました。
福岡市の粋な計らいでした。

これで死んでも墓標以外に名前が残ることになりました。
因みにボランティアでは福岡空港で外国から到着した選手の名簿照合をしました。
これは楽な仕事でした。しかも空港職員の食堂がタダで利用できました。

しかし競技が始まるとバレーボール会場に回されて炎天下で駐車場整理をしました。
ボランティアですから文句は言えませんが空港での待遇とは雲泥の差がありました。

それでも最後には福岡ドーム(現ヤフオクドーム)で行われた閉会式にボランティアも参加でき、思い出も名前も残すことになりました、お陰様で。
8月の暑い時期でした。

ユニバシアード大会は奇数年の2年おきに開催され、今年は終わりましたが台湾で8月19日から行われました。
日本では夏期が東京、神戸、福岡、冬季が札幌で、過去4回行われています。


ビッグ・ベンから思い出したことの続き

2017-09-04 08:01:22 | 街を徘徊して


前回、ビッグ・ベンの修理からBBCの日本語放送を思い出したことを書きました。
誰もこんな話、興味ないことは分かっていますが、
「医学的見地からすると」昔を詳しく思い出すことは認知症予防に大切なことだそうです。

ですから(他人のことはどうでもよいので)、自分のために思い出した続きを書きます。
そうゆうことなので。

BBC放送はビッグ・ベンの鐘の音で始まりましたが、
ラジオオーストラリアはワライカワセミの「カ、カ、カ、カ」という凄まじい鳴き声で始まりました。
その他、アメリカ、バチカン、エクアドルもよく聴いていました。

ところで海外放送を聴くのは容易ではありません。専用の短波ラジオが必要です。
なぜ短波を使って海外放送をするのか?短波帯の電波は地球を取り巻く電離層で反射されるので遠くまで広い範囲に届けることができます。

私の持っていた短波受信機は真空管式で高さが20cm、横幅が30cm、奥行きが20cm位ありました。
ラジオとは言わず通信型受信機と言っていました。
これを親から買ってもらい、組み立てキットだったのでハンダこてを持って自分で1から組み上げました。
それで尚のこと愛着がありました。

日本向け放送が盛んだったころ、最初に放送をやめたのはアメリカのVOAでした。
情報の発達で日本へは意味がないと判断したからでしょう。
今でも日本向け日本語放送はありますが短波ラジオを持っていないと聴くことが出来ません。

変わったところでは、時刻音だけの放送局もありました。
ピッ、ピッ、ピッの音だけ流していました。
日本にはJJYという局、ハワイにはWWVHという局がありました。

調べたところJJYは周波数を極端に低い長波に代えて時刻のデジタル信号を送っています。
これを腕時計などの電波時計が利用しています。

ところで時代はすごい変わり方をしていますが、私たちが一番変化を受けた世代ではないかと思います。

余計なうんちく、電波の種類:
超長波、長波(電波時計)、中波(ラジオ放送)、短波、超短波(FM,行政無線など)、極超短波(地上デジタル放送、携帯)、マイクロ波(レーダー、中継、衛星通信、電子レンジ)、ミリ波(レーダー、中継、衛星通信)、この上は電波でなくX線、更にその上は光。
超短波から段々と直進性が強くなる。