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富沢赤黄男の一句鑑賞(7) 高橋透水

2019年12月31日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  蝶墜ちて大音響の結氷期 (二)
 
 赤黄男は写生俳句を超えたイメージによる象徴俳句を得意とした。それは時に難解とされ作り物めいた俳句という批判が、ややもすると忌避的な悪評につながったりもした。また「二物が極限にまで離されたのがシュールリアリズムである」とする人達からは、赤黄男の句はあまりにも離れすぎているので、句をなしていないと酷評された。
 「蝶堕ちて」も「大音響」も大仰な表現である。しかしここがこの句の眼目である。蝶の堕ちたくらいのちょっとした音も赤黄男の耳から頭へと大音響になって響いたのだろう。赤黄男は音に敏感だった。たとえば〈木々の芽のしづかなるかな蒼空(そら)の音〉〈切株はじいんじいんと ひびくなり〉(蛇の笛)や〈月の音 あるひは埋没都市の響〉(黙示)
などが挙げられる。
  鑑賞句は、高屋窓秋の〈白蛾病み一つ堕ちゆくそのひびき〉の影響がみられもする。新興俳句の生みの親である水原秋桜子から離れた窓秋であったが、やがて馬酔木にみられない独自の世界を展開した。そうした先駆者のの背をみながら赤黄男も詩としての俳句を模索し展開していった。
  またこれもよく言われることだが、〈爛々と虎の眼に降る落葉〉〈凝然と豹の眼に枯れし蔓〉〈日に憤怒(いか)る黒豹くろき爪を研ぎ〉など、「蝶」のほかに「狼」「虎」「豹」などの動物を題材にした句も多い。ただしいずれも日本にない風景であるが、いずれにせよ赤黄男の内部感情の表出とみてよい。
またこの時期の俳人たちに、想像による戦火想望俳句も試みられ、さらに厭戦句もつくられた。一方で「京大俳句」「土上」などの主要メンバーが治安維持法違反として検挙され、この運動は壊滅に至った。新興俳句運動は、現代俳句の母胎となる画期的な俳句革新運動であり、多くの秀作を残した。しかし赤黄男は「『新興俳句は、流行であるか。それはかなしい「さくら音頭」であるか。刻々の永遠の流行である』と皮肉たっぷりに述べている。 

 俳誌『鷗座』2019年9月号より転載

 

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