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久保田万太郎の一句鑑賞    高橋透水

2013年12月30日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史

時計屋の時計春の夜どれがほんと 万太郎

 万太郎は明治二十二年東京浅草句田原町生まれ。小説家・劇作家・俳人である。
掲句は昭和十三年「いとう句会」での句である。この句会の席で、いろんな面白
い話をする人がいて、聞いていた人が眉毛にツバをつけるマネをし、話しの内容は
眉唾物で真偽が疑わしいということをジェスチャーで現わし、批判したしたそうだ。
 その場に同席していた万太郎は即座に句を作った。「その話、どこまでがほんと
なの!?」と揶揄的に発言するのでなく、時計を持ってきて「春の夜どれがほんと」
としたのが、万太郎の天才・鬼才たる所以だ。実はこの虚と実の世界は他人事でな
く万太郎自身の体質に組み込まれていたのである。父母との関係は多く語られてい
ないが、あまりうまくいっていたとは考え難いのだ。それを暗示するかのように、
〈親と子の宿世かなしき蚊遣かな〉が残っている。
 大正八年、京と結婚するが、関東大震災で家を焼け出され、両親弟妹と別れ、日
暮里に家を持った。句はその頃詠まれたが、宿世は両親との関係である。作家、戯
曲家として認められ、活躍しだした万太郎であったが、金銭的には無頓着でルーズ
さがあった。また妻がいながら複数の女性と平気で付き合い関係を持った。しかし
欲望は満たされないどころか、虚しく哀しい境地に陥る。女性への愛はどこまでが
真剣で本当だったのか、万太郎自身わからないのだ。
 つまり、「うそ」「ほんと」は万太郎自身が抱えていた問題でもあったわけだ。
〈なにうそでなにがほんとの寒さかな〉〈何がうそでなにがほんとの露まろぶ〉を
残している。万太郎は、愛人であった一子(かずこ)の死を追うように昭和三十八
年五月、不慮の死を遂げた。七十三歳だった。句帖の最後に、〈一輪の牡丹の秘め
し真かな〉〈牡丹はや散りてあとかたなかりけり〉があった。さて「牡丹の秘めし
真(まこと)」とはどんな真だったのか。



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