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芭蕉の発句アラカルト(23) 高橋透水

2024年01月09日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 曙や白魚白きこと一寸  芭蕉

 「野ざらしを心に風のしむ身かな」の決意で江戸を出発した芭蕉の旅も、大垣で「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」の句を作り、木因邸にしばらく滞在した。おそらく最初から木因のいる大垣を目指したのだろう。
 野ざらし紀行の本文にあるように、「大垣に泊まりける夜は木因が家を主とす」はそれだけ木因をたより絶大な信頼をよせていたのだ。そしてそこで行なわれた句会は俳諧師としてつぎの旅への路銀ともなった。
 野ざらし紀行を大きくわけるとすると、大垣までが第一部としてよい。その後、木因は芭蕉と連れ立って桑名から熱田まで同行するが「曙や」の句は、桑名の東郊にある浜の地蔵堂付近で作られたという。
 紀行文の本文では、
  草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに、浜のかなたに出でて、
   曙や白魚白きこと一寸
とある。
 句意は、ほの暗い光の中にいま漁師によって掬い上げられた白魚が新鮮な生命を浮き上がらせている。刻々変わる海の明るさは誠に趣のある情景ではないか、ということだろう。
 ところで、杜甫はこの魚を「天然二寸ノ魚」と詠じた。杜甫の詩の「白小」に、
  「入肆銀花亂、傾箱雪片虚」。
  細微水族に霑(うるほひ)、
  風俗園蔬(ゑんそ)に當(あ)つ。
  肆に入いれば銀花 亂れ、
  箱を傾くれば雪片虚なり。
があるが、芭蕉はこの詩を意識したことは確かだ。つまり初案が「雪薄し白魚しろきこと一寸」であったのは杜甫の「雪片」からの草案だったことが納得できよう。
 さらに「雪薄し」の作句時の実際の時刻は、芭蕉が桑名の句会のあとに海上に繰り出し木因たち門弟と舟遊びに興じているころである。それが「野ざらし紀行」では曙の句となった。こうした時間的なずれ情景の取り換えは芭蕉の改案に多くみられる。いずれにせよ新展開の旅が大垣から始まったのである。