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山頭火の一句鑑賞(九)    橋透水

2015年04月03日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする  山頭火 

 母の四十七回忌にあたる昭和十三年作。山頭火は定型や音数に拘らない自由律の俳人とは言え、読まれることを意識し推敲を疎かにしないが、こうした長句になってしまった。
 日記には母への追慕の念が強くでている。「亡母祥月命日。沈痛な気分が私の身心を支配した。……私たち一族の不幸は母の自殺から始まる、……と、私は自叙伝を書き始めるだろう。……母に罪はない、誰にも罪はない、悪いといへばみんなが悪いのだ、人間がいけないのだ。……」「亡母の四十七年忌、かなしい、さびしい供養、彼女は定めて、(月並みの文句でいへば)草葉の蔭で、私のために泣いてゐるだろう!」
 一族の不幸は「母の自殺から始まる」と言わせた山頭火だったが、母恋し、故郷恋しさ
は人並み以上だったことが句からも窺える。
 山頭火は一時期、川棚温泉に身をおちつけようとしたこともあったが、色んな事情で実現しなかった。そんな時にかつての妻のサキノから山頭火に小包が届いた。その中に母の位牌があったのである。山頭火はサキノに感謝し涙した。それ以来行乞の旅に出るときも、頭陀袋の底には常に母の位牌を納めていた。また、あれほど憎んだ父への追慕もあり、回忌がくると回向の読経をし、懺悔の熱涙をしぼった。〈だんだん似てくる癖の、父はもうゐない〉の句を残している。
 山頭火は昭和十五年、亡くなる年の四月に一代句集である『草木塔』を上梓しているが、その扉には次の文言が書き留められていた。「若うして/死を いそぎたまへる/母上の霊前に/本書を/供へまつる」
 これを見てもいかに山頭火が母を慕い、母の成仏を願い、面影を胸に抱いたかが察せられる。こんな山頭火だが、どうしても酒から逃れることができず、挙句の果ての自殺願望だ。このジレンマは山頭火自身が一番自覚していたことであったが。〈たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと〉は山頭火の死を迎える年、五十八歳の時の句である


 俳誌『鷗座』より転載(2015年4月号)
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