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金子兜太の一句鑑賞(5) 高橋透水

2016年12月11日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 縄とびの純潔の額を組織すべし  兜太

 高知での作で、「寒雷」昭和二十五年四月号に掲載。「四国の空」と題して発表した十四句のなかの一句だが、ほかに〈銀行員に早春の馬唾充つ歯〉〈山には古畑谷には思惟なくただ澄む水〉などがある。
 昭和二十四年、兜太三十歳の四月、日本銀行従業員組合事務局長(専従初代)となり、組合運動に専念している。初夏、浦和から竹沢村(現、埼玉県小川町)に転居し、家族から離れて組合活動を第一に考えたようだ。
 『語る兜太』(岩波書店)を参照に当時の兜太の心境を辿ってみたい。日銀の古い体質(はっきりした身分制。学歴による差別など)を目の当たりにして、戦地から新しい国のために働こうと意気込むんでいた兜太には我慢ならなかった。こうした状態をなんとか改善したい。反戦・平和社会を実現したい、そんな考えが兜太を組合運動に向かわせたのだ。当時の組合でのスローガンは生活給の確保、身分制廃止、学閥人事の廃止などだった。
 兜太によれば、「額」は「ぬか」と読むというが、それにしても「縄とびの純潔の額」とはなんと明るい情景だろう。情景として少し生意気な少年やおてんばな少女たちを想像できるが、「組織」という措辞からは世代はもっと上と考えられる。むしろ町中の公園などで無く、職場の広場などが想像できる。
 戦後間もなくとはいえ、若い世代は自由で平和になった社会で、職場の休み時間だろうか男女が縄とびに興じている。兜太はそうした若い世代こそ組合を組織すべきと考えたのだろう。しかし身分上積極的に街頭演説はできないし、オルグなどもできなかったろう。
さらに兜太には何よりも家族の生活を支えねばという強い信念があったのだ。
 昭和二十五年、朝鮮戦争の勃発によるレッドパージを名目に、日銀は本格的に組合の切り崩しにかかった。その後兜太は福島に転勤になり組合活動を絶たれたが、あくまでも日銀に生活の基盤を置きつつ、新たな俳句への道を切り開いてゆくことになる。
   俳誌『鴎座』2016年12月号 より転載
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