透水の 『俳句ワールド』

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芭蕉の発句アラカルト(22)  高橋透水

2023年11月17日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮 芭蕉

 貞亨1(1684年9月下旬)、四一歳の芭蕉は『野ざらし紀行』の旅の途次、美濃の谷木因らを訪問して長期滞在している。
 『野ざらし紀行』の本文では、
  大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心におもひて旅立ければ、
   しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮
とある。不慮の死というのも念頭にあっただろうが、〈野ざらしを心に風のしむ身かな〉もそうだが、少し大仰で大袈裟な表現は芭蕉の特色だ。
 「死にもせぬ」は木因に対しての挨拶か、自嘲の独白か。いやそうでなく、「旅寝」を重ねた末にやっと大垣にたどり着いたことで芭蕉は心の区切り、俳諧に新たな境地を拓くきっかけになった。「旅寝の果てよ」がその心境をあらわしているとみてよい。ちなみに、山本健吉によれば、「この句を境としての旅中の句は、それ以前は悽愴(せいそう)の調べが強く、以後は風狂の傾向が強い」(芭蕉全発句)と述べているが参考になるだろう。
 木因は正保3年生れ、大垣の船問屋を生業にしていた。季吟門であった関係から以前より芭蕉と親交があった。後に談林風にうつり、芭蕉の感化をうけて蕉門にはいった。また芭蕉と木因は以前から手紙をやりとりしていたが、そんななかで、おもしろいエピソードあるので紹介したい。
 1682(天和2)年,木因の所へ芭蕉から手紙が届いた。この書簡は、芭蕉から木因に宛てた『鳶の評論』として知られるものであるが、芭蕉は、附け句に同字・同物の鳶を入れたが、これは連句としては禁則である。それを作者を隠してわざと木因に意見を求めているのである。これは木因の力をためそうと難しい句の意味を尋ねるものであったが、木因はみごとなこたえを返したので芭蕉はすっかり感心したという。これをきっかけとして木因と芭蕉の交流がはじまり、また木因の働きもあって武士や町人の文化が栄えていた大垣の俳諧はますます盛んになったという。

つぐみ集2023年8月のエッセイ

2023年11月12日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
【エッセイ】水の音

古池や蛙飛びこむ水の音  芭蕉
 まず「蛙飛びこむ水の音」が芭蕉の頭
に浮かんだが、それだけでは句にならな
い。「水の音」をどう句に反映するか。つ
まり鳴いていない蛙の存在をどう表現す
るか。さらに幽玄の世界を音で表現する
にはどうするか。
 鈴木大拙は、芭蕉の古池は「時間なき
時間」を有する永久の彼岸に、横たわっ
ている。それはこれ以上「古い」ものの
ない「古さ」である。どんな規模の意識
もこれを量ることはできぬ。それは万物
の生ずるところであり、この差別世界の
根源である。(『禅と日本文化』)
のなかの「禅と俳句」の一節である。
 大拙の解釈は、古池を「時間なき時間」
とみなすことは無限の空間を表すことに
もなろう。
 確かに芭蕉の目指したのは「水の音」
からくる無限で幽玄の世界である。だが
俳諧表現イコール禅世界でない。まして
俳諧は他者との共有する世界が求められ、
そのためには道具立てが必要になる。こ
の句の場合それが古池だ。