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金子兜太の一句鑑賞(四) 高橋透水

2016年11月09日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
  朝日けぶる手中の蚕妻に示す 兜太
 
 昭和二十二年、兜太は日本銀行に復職し、四月に塩谷みな子(俳号は皆子)と結婚した。また「寒雷」に復帰し、沢木欣一の「風」に参加している。
 新婚といっても住宅難のため週末に会うだけの生活だったが、なんとか浦和に住めるようになったという。掲句はおそらく秩父で二人で過ごした時のことだろう。「新婚旅行など望めない時期なので、毎日、二人で秩父の晩春の畑径を歩いて、新婚気分を味わっていた。その途中、農家の蚕屋に立ち寄ったときの句」(「自作ノート」より)と回想している。
 「手中の蚕妻に示す」は若々しい愛情表現である。互いに秩父に育ち、養蚕の盛んな地だから、蚕には親しんでいただろう。好きな子に木の実を示すように若妻に蚕を示す行為は微笑ましい。若い二人はそれだけで愛情を確認しあい、幸せな将来を夢見たのだろう。
 兜太の恋愛観、結婚観がある。「俺の場合はねえ、恋愛ってことがないんです。はっきり言って」「私の場合は一種の略奪結婚型で、自分で恋愛ってことがないんです。女性を愛して獲得してという、残忍なところが。つまり女性を略奪して自分のものにする、という興味がうんとあるんです。」(『金子兜太×池田澄子・兜太百句を読む』ふらんす堂)とあるが、その続きに、「貴女(澄子)は笑うかもしれないけど、女房にしても子供にしても、弱きものは労わるという考え方です。だから女房に対する感覚も、この弱きものは絶対守らないかんって考えてきたんです。」
 この句を見る限り、とても結婚当初にそんな観念があったとは思えない。むしろ手中の蚕を示すことにより、自分はこんな環境で育ったが、一緒に頑張ろうじゃないか、という親愛表現とみたい。兜太の妻俳句に、〈妻みごもる秋森の間貨車過ぎゆく〉〈独楽廻る青葉の地上妻は産みに〉などがある。句集『少年』の後記によれば、結婚前までは不毛の青春だったが、結婚後は戦後の生活を通しての思想的自覚の過程となったと分析している。

  俳誌『鴎座』 2016年11月号 より転載