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透水の 『俳句ワールド』

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「蛙はどこに飛び込んだか」【COSMOS俳句会】 高橋透水

2025年04月17日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 数年前の十一月のこと、ある句会の吟行で名勝・清澄庭園から深川の芭蕉所縁の地を訪ね、『芭蕉記念館』で句会を行った。
清澄庭園で〈古池や蛙飛び込む水の音〉という句碑に出会い、また芭蕉稲荷神社では大小の蛙のオブジェと対面し、『芭蕉記念館』では芭蕉遺愛の石蛙とも対面した。
 芭蕉というと誰もが知っているこの〈古池や蛙飛び込む水の音〉であるが、これは貞享三年(一六八六)、芭蕉庵で『蛙の二十番句合』が興行された際の作であることが知られている。蛇足になるが、上五を弟子の其角が「山吹」にしたらどうかと師に進言した。古今集の序に「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声聞けば生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」が前提にあったろうし、同じ古今集の〈蛙なく井出の山吹ちりにけり花の盛りにあ
 数年前の十一月のこと、ある句会の吟行で名勝・清澄庭園から深川の芭蕉所縁の地を訪ね、『芭蕉記念館』で句会を行った。
清澄庭園で〈古池や蛙飛び込む水の音〉という句碑に出会い、また芭蕉稲荷神社では大小の蛙のオブジェと対面し、『芭蕉記念館』では芭蕉遺愛の石蛙とも対面した。
 芭蕉というと誰もが知っているこの〈古池や蛙飛び込む水の音〉であるが、これは貞享三年(一六八六)、芭蕉庵で『蛙の二十番句合』が興行された際の作であることが知られている。蛇足になるが、上五を弟子の其角が「山吹」にしたらどうかと師に進言した。古今集の序に「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声聞けば生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける」が前提にあったろうし、同じ古今集の〈蛙なく井出の山吹ちりにけり花の盛りにあはましものを〉(詠人しらず)が念頭にあってのことだろう。が、芭蕉は「古池」こそこの句に相応しいという其角の進言を退けた。
 では一体この「古池」とはどこにあったのか。蛙でなく河鹿でないのか。いや蛙としても一体何匹だったのかと議論は尽きないが、私なりに整理してみると次のようなことが考えられる。まず、飛び込んだ場所であるが、
  一、一般的な田圃・沼・川など
  二、鯉屋(杉山)杉風の生簀。あるいは芭蕉庵近くにあった古池。
  三、眼前や近くにある池でなく、架空・想像上の池。(芭蕉の脳裏にのみ       
    存在した)
 次に蛙は作句時に実在したかであるが、
  A、存在は十分考えられる。当時蛙などどこにでもいた。
  B、芭蕉庵の近く。蛙合せの席で芭蕉も弟
   子も蛙の声を実際に聞いていた。
  C、そもそも蛙など存在せず、芭蕉の頭のなかで飛んだのだ。
 私はCの説が観念的であるが、鑑賞する上で共感できる。古池は芭蕉の頭の中の宇宙であり、ふと現れた想像上の蛙がその宇宙へと飛び込んだのではなかろうかと思うのだ。
 また蛙は一匹だったのか複数だったのかの
議論では一匹説が圧倒的に多い。もちろん複数説も一度に何匹というのでなく間歇的な状態だろうとし、共通しているのは静寂→音→静寂の世界を表現したとしていることだ。
 私は二、三匹の蛙が連続的に次つぎに飛び込んだのではと考える。そのほうが協和音の効果があり、静寂感も一層広がるのではと。
それにこの句は「古池へ」でも「古池に」でもなく、まして「古池の」でもない。これも芭蕉の禅的な宇宙感を感じさせる。
 いずれにせよ、芭蕉はそれまでの鳴く蛙から飛ぶ蛙へと俳諧に新世界を開拓して見せたのだ。芭蕉のいう「新しみは俳諧の花なり」が十分発揮された句と私は思う。




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【COSMOS俳句会】 西東三鬼の一句鑑賞(1)

2025年04月08日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
        聖燭祭工人ヨセフ我が愛す  三鬼

 三鬼と言うと〈水枕ガバリと寒い海がある〉〈おそるべき君らの乳房夏来る〉〈秋の暮大魚の骨を海が引く〉などの句がすぐ口にでるが、掲句は彼の生い立ちを象徴的に表していると言えないだろうか。
 とかく幼児期の事件や事故の体験は人の一生を左右することさえある。特に愛する者の死の体験は、終生悲しみの追想を引き起こすものだ。明治三十三年生れの三鬼は、六歳の時に父の死に会い、さらに十八歳の時に、母親をスペイン風邪で亡くしている。
 父の死後、十九才年長の兄の扶養を受けることになった三鬼は故郷の津山中学から青山学院中学部に編入し、更に高等部に進学している。この青山の中学部・高等部を通じて、キリスト教や聖書から幾らかの知識を得、なんらかの影響を受けたものと思われる。三鬼の自叙伝的な自己紹介によると、「青山学院中学部に転学し、メソジスト教育を受けた」とあることからも推測出来よう。ちなみにメソジストはキリスト教プロテスタントの一派である。
 鑑賞句は昭和十一年、三十六歳の作。句集『旗』の冒頭に「アヴェ・マリア」の一連作があり、聖書もしくはキリスト教をテーマにした作品は「魚と降臨祭」などにも散見される。もちろんヨセフは、イエスの母マリアの夫。ナザレの人で大工。イエスの養父である。
 社交的で人に好かれる性格だったが、三鬼の句にはニヒルもあればどこか倦怠感もある。それら一抹の哀しさと侘しさのなかに愛を感ずるとすれば、幼児期の父の死と過感な青春時代に母を亡くしたこと、十代半ばの女性との早すぎる肉体関係、そしてキリスト教の感化、さらに大戦前後の険悪な社会情勢、これらの影響が考えられる。またヨセフには父に代わって三鬼の面倒をみた長兄の姿が重なる。


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■季語・季題について■  高橋透水

2025年03月28日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
(ウイキペディアその他を参考にしています)
季語は春夏秋冬の時候・天文・地理・生活・行事・食べ物・動物・植物という区分に加え、有名な人の命日である忌日に分類されます。
●季節を間違いやすい季語
例えば、「七夕」は現在では7月7日に行われるため夏の季語に感じますが、旧暦の7月7日は新暦では8月8日頃のため、ちょうど立秋をすぎて秋の季語に切り替わる時期です。
これは旧暦と新暦では1ヶ月の差が出るため、旧暦の季節の変わり目にあたる季語は注意が必要です!
★実は春の季語 ・雪崩なだれ ・淡雪あわゆき ・雪虫
★実は夏の季語 ・夜の秋 ・涼し ・卯月(うづき・陰暦4月の異称)
★実は秋の季語 ・七夕 ・盆休み ・夜食
★実は冬の季語 ・小春日和 ・青写真 ・木の葉
++++++++++++++++++++++++++
●季語の種類
季語はその成り立ちによって三種類に分けることができる。まず一つは★「事実の季語」で、雪は主に冬に降るから冬、梅の花は春に咲くから春、という風に自然界の事実にしたがって決められているものである。次に★「指示の季語」があり、「春の雨」「夏の山」「秋風」というように、事物の上に季節を表す語がついて直接的に季節を示しているものである。最後に★「約束の季語」があり、これは実際には複数の季節を通して見られるものであっても、伝統的な美意識に基づく約束事として季節が決まっているものである。先述の「月」(秋)や「蛙」(春)、「虫」(秋)、「火事」(冬)といったものがその例である。
現代の歳時記においては一般に、四季+新年の五季ごとに季語の内容から「時候」「天文」「地理」「生活」「行事」「動物」「植物」という分類がなされている。
●季語と季題
「季語」と「季題」は同義に用いられることもあるが、歴史的には「季題」は古来の中国の詩人が題を用いて詩を詠んだ伝統から、和歌、連歌という風に受け継がれていった、時代の美意識を担う代表的な「季節の題目」であり、連歌においては発句(はじめの五七五の句)において重要視されたものであるのに対して、「季語」はそれらを含んで付け句(発句以下に付けられる句)にまで広く採集された「季の詞」であり、発句の季題が喚起した詩情を具体化する役割を担うものであった。このため「季題」という言い方をする場合には「季語」よりもその語を重要視しているという感じもあるが、両者をはっきり区別する確定的な考え方があるわけではない。例えば山本健吉は『最新俳句歳時記』において、季語を「五箇の景物」から「和歌の季題」「連歌の季題」「俳諧の季題」「俳句の季題」「季語」の六種類の層に分け、「五箇の景物」を頂点とするピラミッド型の分類を試みているが、しかし山本自身これらすべてを包括して「季語」という言い方もしていた。山下一海は、季語、季題の違いは使い方の違いであるため、あるひとつの語を季語か季題かというふうに分類はできないとしている。
いずれにしても「季題」「季語」という言い方は近代に作られたものであり、「季題」は1903年に新声会の森無黄が、「季語」は1908年に大須賀乙字がそれぞれはじめて用いたという]。
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●季節のずれと難解季語
なぜ間違えやすい季語があるのか
間違えやすい俳句の季語【春編】
(1)薄氷
氷とあるので間違いやすいですが、冬ではなく春の季語です。「春氷」と詠まれることもあります。暖かくなってきて氷が溶けた水辺に、寒さが戻って再び氷が張る現象のこと。
(2)雪崩
積雪期である冬の季語ではなく、暖かさで緩んだ積雪が一気に崩れ落ちやすい2月や3月頃がイメージされるため、春の季語です。「雪なだれ」など似たような季語も春の季語になるので、雪という漢字でも気をつけましょう。
(3)バレンタイン
2月14日は旧暦では春の日にちですが、私たちが感じる季節感としてはまだまだ冬の最中でしょう。「バレンタインの日」「バレンタインデー」なども使われます。
(4)潮干狩
潮干狩は夏ではなく春の季語です。潮干狩ができるのは4月下旬から7月頃までで、浮かぶイメージとしてはゴールデンウィーク頃に家族連れで貝を捕っている光景でしょう。潮の満ち干きの差が激しくなるのが旧暦の3月のため、春の季語になっています。
(5)逃げ水
暑い日に良く見る、道の先に水溜まりがあるように見える現象で、蜃気楼の一種と言われています。現代では夏によく見るため夏の季語と間違いやすいですが、春の季語です。古来より武蔵野の逃げ水が有名です。
◎間違えやすい俳句の季語【夏編】
(1)タケノコ
旬が3月から5月のため春の季語と間違いやすいですが、夏の季語です。類似例として「筍飯」も夏の季語です。現代では春の味覚ですが、旧暦の4月や5月は夏になるため季語も夏に分類されます。
(2)初鰹
初鰹は3月から5月に北上してくる鰹で、「目には青葉 山ホトトギス 初鰹」の句で有名な夏の季語です。時期的に春から初夏の味覚なので春の季語と勘違いしやすいですが、先述の俳句を覚えていると間違えないかもしれません。
(3)五月雨
漢字から5月に降る雨と間違いやすい夏の季語です。旧暦の5月、新暦だと6月に降る雨なので、今で言う梅雨のことです。読み方は「さみだれ」ですが、「さつきあめ」と読ませる俳句もあります。
(4)涼し
涼しいという印象から秋の季語と間違いやすいですが、夏の季語です。「涼風」や「夕涼」も同じく秋の季語になります。夏の暑さの中で感じる涼しさを詠むのが特徴です。秋の涼しさについては「新涼」という季語を使います。
(5)麦の秋
秋とついているので間違いやすいですが、秋ではなく夏の季語です。麦の収穫は5月頃なので、夏であっても麦が熟す秋と表現しています。「麦秋」「麦の秋風」といった季語で使われることもあります。
◎間違えやすい俳句の季語【秋編】
(1)七夕
七夕といえば7月7日ですが、旧暦では秋である8月上旬にあたるため、夏ではなく秋の季語になります。七夕を連想させる「天の川」や「星祭」「鵲の橋」も同じように秋の季語。
(2)盆踊り
お盆は8月15日前後で現代の感覚では夏真っ盛りですが、秋の季語です。「盆休み」「盂蘭盆会」など、夏の季語と間違いやすいですが旧暦では秋にあたります。
(3)スイカ
スイカといえば夏の代名詞ですが、秋の季語です。今のスイカの旬は6月から7月頃なのに対して、昔のスイカの旬は8月頃で旧暦では秋だったために間違いやすい季語になりました。ただし、「冷し西瓜」など「冷やす」意味があるものは夏の季語に分類されます。
(4)トウモロコシ
トウモロコシもまた旬が7月から8月のため、夏の野菜にも関わらず間違いやすい秋の季語です。なお「トウモロコシの花」と詠むと夏の季語になるため、どちらを指しているのかで季節が変わってきます。
(5)枝豆
ビールによく合うおつまみとして定番の枝豆ですが、旬が7月から8月のため季語としては夏ではなく秋の季語になります。名月に供えたことから「月見豆」とも詠まれ、こちらも秋の季語です。
◎間違えやすい俳句の季語【冬編】
(1) 「神無月」の語源は不詳である。有力な説として、神無月の「無・な」が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というものがあり、日本国語大辞典もこの説を採っている10月の異称です。現代の季節感ではまだ秋ですが、旧暦では冬の始まりの月になります。神々が出雲の国へと集い神社を留守にするため、「神の留守」という同じく10月を表す季語も存在します。
(2)七五三
11月は冬ではないけれど秋も終わりという感覚ですが、七五三は11月15日に行われるため、旧暦では冬の季語です。「千歳飴」「七五三祝(しめいわい)」なども同じ意味の季語として扱われます。
(3)落ち葉
「紅葉」が秋の季語である一方で、木の葉が落ちる「落ち葉」は冬の季語になります。地域によって変わってきますが、落葉の時期はだいたい11月なので秋か冬か迷うでしょう。紅葉と混同しないように注意が必要です。
(4)小春日和
春が近づいて来ている暖かい日に使いがちですが、「小春」とは旧暦の10月の異称です。春が近づいた暖かい日のことではなく、まだ冬になりきらない秋の暖かさのことを指します。新暦では11月のことを指しますので、晩冬の俳句に間違って使わないように注意!
(5)三寒四温
三寒四温は良く天気予報などでも聞く言葉ですが、春が近づいている2月頃に使用される季語です。春の季語と間違いやすいですが、あくまで冬の時期の気象現象なので、俳句として詠む時は気をつけましょう。
◎最後に
旧暦と新暦で間違いやすい季語を、春夏秋冬でそれぞれ5つ挙げていきました。
どれも旧暦の季節の変わり目だったり、漢字から違う季節が想定されたり、現代の旬の季節とはズレていたりするものです。
どちらの季語だったか迷う時は、旧暦では何月にあたるか考えてみると間違えにくくなるのではないでしょうか。
◆(参考)紛らわし季語
凧・いかのぼり  春
雲海・御来光  夏   涼し   夏
朝顔  秋
三寒四温  冬
◆月は一般に秋の季語ですが、
月朧  春
月涼し  夏
月冴ゆ  冬
●無月は曇ったり降ったりして月が見えないこと。特に中秋の名月についていう。《季 秋》
●後の月(十三夜)とは、旧暦九月十三日。十五夜から一ケ月あとになるので、「後の月」と呼ばれる。
■(参考)雑節とは、二十四節気や五節句のほかに季節の移り変わりをより適確につかむために設けられた特別な暦日です。節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日など。農業や漁業などを行う時期を見極めるために成立したものだ。
◆たとえば八十八夜は、立春を起算日(第1日目)として88日目(立春の87日後の日)にあたる。(春の季語)。
◆半夏生は、二十四節気の「夏至」をさらに3つに分けた七十二候の中の雑節の一つ。
◆土用土用(どよう)とは、五行に由来する暦の雑節である。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである。
俗には、夏の土用(立秋直前)を指すことが多く、夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。五行では、春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当てている。残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを「土旺用事」、「土用」と呼んだ。

2024年の土用の日一覧は以下の通りです:
冬土用:1月18日 (木) – 2月3日 (土)
春土用:4月16日 (火)– 5月4日 (土)
夏土用:7月19日 (金)– 8月6日 (火)
秋土用:10月20日 (日)– 11月6日 (水)1
また、土用入りは2024年4月16日 (火)、土用明けは2024年5月4日 (土)です。間日は4/23 (火:巳)、4/24 (水:午)、4/27 (土:酉)で、丑の日は4/19 (金)、5/1 (水)
***********************
「雑節(ざっせつ)」という言葉を知っていますか?
では「節分」「彼岸」「土用」という言葉は、聞いたことがあるのではないかと思います。
実は、節分・彼岸・土用というのが雑節なのです。
雑節は季節を表すための暦で、日本で生まれました。
現在も使われているものも多いのです。
雑節は、「二十四節気」と関係があります。
二十四節気とは一年を24に分けて、季節を表したものです。
二十四節気は、古い時代の中国の黄河下流域で生まれました。
それが古代に日本に伝来し、定着したのです。
日本は稲作などの農業を中心とした生活をしていたので、季節の目安となる二十四節気が役に立ったのが、二十四節気が取り入れられた理由といわれています。
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【特別作品鑑賞】 高橋透水「祈りの風吹く五島列島」 後藤よしみ

2025年03月09日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
 高橋透水「祈りの風吹く五島列島」 後藤よしみ
   
  五島へ五島へとみな行きたがる
   五島はやさしや土地までも
  五島へ五島へとみな行きたがる
   五島は極楽行って見て地獄
  五島へ五島へとみな行きたがる
   五島は田舎の衿を見る (俗謡「外海町誌」)
 この歌は、江戸後期、迫害を逃れるため長崎の外海地区から五島列島へ新天地を求めて移住した者たちを歌ったものである。沢山の小舟で渡ったという。そこで待っていたのは貧しい土地と移住者としての軽視、そして迫害を潜り抜けなければならない日々であった。五島も「地獄」であったのだ。
 五島列島は、北東側から中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島の五つの大きな島およびその周辺の小さな島々からなる。地元や九州では、五島と呼ばれている。
 一八六八(明治元)年には大規模なキリシタン弾圧が行われ、「五島崩れ」と呼ばれている。開国後に一層の迫害、拷問と虐殺そして略奪が行われた。一八七三年には明治政府のキリスト教禁教政策が解かれたが、その後も弾圧が加えられた。弾圧で殉教した四三名のその名は、今は慰霊碑に刻まれている。
 聖堂が立てられるようになったのは、禁教が解かれてから二十年ほど経ってからである。そこから祈りの島となっていく。そして、弾圧から一五〇年後、二〇一八年には世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として登録された。
 今回の一連の句群は、その五島を詠んだものである。
  滴りや島に「隠れ」と「落ち」のあり高橋透水
 精神的な拷問としての絵踏みの他に、「転びキリシタン」の名を生み出した俵責め、遠藤周作の『沈黙』 の主人公フェレイラを棄教させた穴吊し、雲仙岳の煮えたぎる熱湯をかけた雲仙責め、炭火の上に正座させた炭火責め、身体の一部を切り取っていく刻み責め等々。こうした拷問を受けても、それに耐えて棄教しなければ死ぬしかなく、そうした死は殉教と呼ばれた。殉教を崇高なる死として崇める立場からすれば、聖職者の棄教は背教でもあった。このように、禁教令下の世界は、殉教と棄教と背教が混じり合ったものであった。
 掲句は五島の隠れキリシタンを詠んでいる。キリシタンには隠れたまま信仰を保って行ったものと棄教し、仏教に転じたものとがいた。
  夏潮やオラショを唱え漁にでる
 オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、隠れキリシタンによって長年にわたり、口伝えに伝承されたものと言われている。オラショはラテン語で祈祷文を意味する。信者にとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、暗記して唱えることが大切であった。例えば、葬式の際の「道均し」は死者の魂がバライソへ行けるように天への道を開くためにオラショを唱えた。内容の一部は、「ガラツサ」では「ガラツサミケガラツサミケ、ツモーラマリア・・・」といったものである。現代では、句のように天日の下に唱えることができる。
  責めぎ石むざんに積まれ苔の花
 中通島に隣接する頭ヶ島。信仰の自由が認められたとき、祈りの拠点となる「教会」が築かれました。世界文化遺産の構成遺産として、頭ヶ島の集落も認定されている。その頭ヶ島天主堂の正面右側に角柱状の石が井桁に組まれているが、これは拷問用の石である。「石抱き」、「算木(さんぎ)責め」、「算盤責め」と呼ばれる拷問が行われていた。まさに無残である。苔の花が悲しさを呼ぶ。
  拷問の汗と血の服残りをり
 その拷問により信者らは命を落としていった。当時の衣服が残っているのである。宗教弾圧の過酷さが一読して伝わってくる。遠藤周作の作品を原作として、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレント―』においても、キリシタンへの激しい迫害、拷問や処刑のシーンが描き出されている。しかし、現実はより悲惨であった。
  夏風や隠れ信者の錆クルス
 信者はオラショを唱えるほか、慈母観音像を聖母マリアに見立て(今日の「マリア観音」)、聖像聖画やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵して「納戸神」として祀っていた。そのクルスが潮風で錆び残っているのである。
  船虫や五右衛門風呂の漁師小屋
 五島はリアス式海岸の入り組んだ小さな入江が数多くあり、集落には港を蔵している。入江はまた絶好の海水浴場でもある。エメラルドグリーンの海が待っている。舟虫もオラショを唱えそうである。そして、今は懐かしい五右衛門風呂が使われている。
  ちぬ漁や耶蘇名パウロ天仰ぐ
 五島周辺は有望な漁場でもある。チヌとヘダイ、アラカブ、メバルとさまざまな魚が取れる。漁師の島でもある。その漁師の洗礼名が「パウロ」。パウロは初期キリスト教使徒で、イエスの直接の弟子ではなかったが崇められている。五島では、浦頭教会の保護者の地位を占めている。漁師パウロに天の恵みのチヌを与えては下さらなかったのであろう。
  混血の信徒の鼻の日焼けかな
 五島の信者は代々の土地の人であるが、島の外からも人はやって来る。数えて何代目になるかはもう分らないのであろうが、言わゆる国際結婚の人であろう。その高い鼻が日焼けしているのである。江戸時代であれば、二重に迫害を受けたであろうことは想像に難くない。現代は、誇らしい日焼け顔となっている。
  老鶯やミサへ急ぎの漁師妻
 五島の教会では多くが今もミサを行っている。日曜日の場合も多いが、平日も朝や夕方に行われる教会もある。それ故、日々のたつきの合間に駆け付ける。それが生活の柱であり、信者の心のよすがでもある。そして、何より島の自然は豊かである。
  シスターの仏徒に恋す運動会
 五島には十一の修道院があり、シスターが信仰を守っている。地元の町では地域おこしもかねて運動会が行われている。そこでは地元に密着しているシスターたちが大いに活躍しているという。頼もしい限りである。
 作者は、隠れキリシタンの島として巡行している。鑑賞を書いている筆者も四十数年前に五島を訪れている。最初に上陸した奈留島の印象が強い。港に降りてすぐに地元の人に声をかけられた。夕方まで島を巡るのだというと時間があったら車で案内するのだが、と残念がられた。
 奈留島には五島の中でも小島にも関わらず高校が開設されていた。松任谷由実、ユーミンがデビューから間もない一九七四年、その奈留島の女子高校生がラジオ番組に送った「自分たちの学校の校歌を作って欲しい」という一通の便りに応えて、書き下ろした楽曲が「瞳を閉て」。奈留島の海や山のイメージを詩に託したもの。高校を卒業すると同時に、進学や就職で島を離れていく奈留島の若者。“遠いところへ行った友達に潮騒の音がもう一度届くように”と歌うこの曲は、今も島の卒業式で歌い継がれている。
この奈留島の江上集落は、歴史遺産に指定されている。キリシタンが狭い谷間に移住し、地勢に適応した江上天主堂を建設した集落である。
冒頭の俗謡のように一度は行ってみたい歴史と文化と自然の島々である。そして、佳句である。





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【COSMOS俳句会】 近詠  高橋透水

2025年02月25日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
[卒業・春一番]
何色の未来あらんや卒業子
春一番鳥の顔して街歩く
春の野や子のカンバスの無限大
卒業や介助犬にも感謝状
鍵盤を叩く指より春の雷


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【COSMOS俳句会】鈴木しづ子の俳句紹介 高橋透水

2025年02月14日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
鈴木しづ子の俳句紹介(初学の頃のしず子)

  あきのあめ図面のあやまりたださるる   鈴木しづ子

ほろろ山吹婚約者を持ちながらひとを愛してしまつた    
春雷はいつかやみたり夜著に更ふ        
婚期過ぐ日の鬱々に慣れて着る
青葉風手管の口説聞きながす
生理日のタンゴいつまでも踊らねばならぬ
恋の夢わたしは匂うものさえない
男の体臭かがねばさみしい私になった

上記の、このような句をつくる若き女性に一体どんな生いたちがあったのか。興味が先に立つが先入観は最小限にし、なるべく多く鈴木しづ子の俳句に接することが賢明のようだ。

大正8年生まれのしづ子は小学校のころから俳句を作っていたらしい。俳句以外にも文学に親しみ、なかなかの勉強家だったようだ。

  青空に校庭高くけやきの木      小学生のころ
  秋空に赤くもえたつ夕焼雲      小学生のころ
  窓の外青葉若葉がそよいでいる    小学生のころ

 若き高等女学校時代ころの心情を、しづ子は後になって句にしている。学校の先生になる希望も持っていた。国語の師に恋心を抱いたことからも窺える。


  学びけり少女の心いっぱいに
  図書館を井いで夕ざくら散るをみる
  不良性多分にもちて花は八重
  恋初めの国文の師よ雪は葉に
  恋初めの恋失せしめし卒業す
  ここに少女期太宰文学神とあほぎ

いずれも少女らしい心情が綴られている。松尾芭蕉を少し勉強したというが、太宰治に憧れていたようだ。太宰の作品や生き方がしづ子に影響したかどうかは定かでないが、指摘する人もいる。
親の期待に応えることができず女子大の受験に失敗したしづ子は、自己嫌悪に陥った。大学進学は諦めて製図の専門学校(中央工学校か)に通った。その後は工場に就職し社会人になった。

  ゆかた着てならびゆく背の母をこゆ  
「樹海」昭和18年10月号
  青芒の一つ折れしが吹かれゐる    
「樹海」昭和18年11・12号
  はり拭くと木の芽をさそふあめのいろ 
「石楠」昭和19年4月号
  春雷はいつかやみたり夜著に更ふ   
「石楠」昭和19年5月号
春光の崖にあまねき枯穂刈る     
「石楠」昭和19年6月号
ががんぼは淋しからずや玻璃の雨   
「石楠」昭和19年7月号
木下闇蜘蛛しろがねの糸ふけり    
「石楠」昭和19年8月号
工場菜園畸形の胡瓜そだちつつ    
「石楠」昭和19年10月号
秋簾捲くや庭ぬち夜雨くる      
「石楠」昭和19年11・12号
虫音しげし廊わたりゆく夜着の裾   
「石楠」昭和20年1月号
時雨るるや掌をかさねをく膝の上   
「石楠」昭和21年1月号

以上の掲出句は、川村蘭太著(『しづ子  娼婦と呼ばれた俳人を追って』新潮社)を参考にしました。

戦後のしづ子は〈ダンサーになろうか凍夜の駅間歩く〉〈売春や鶏卵にある掌の温み〉にあるように生活が一変し、苦難の道を辿ることになる。終戦は二十六歳の時だったが、それ以前の句をもう少し紹介します。

 たそがれやとぼしき黄葉を捨つる桑
 炭はぜるともしのもとの膝衣
 地におちし銀杏わか葉にさそはるる
 とほけれど木蓮の径えらびけり
 古本を買ふて驟雨をかけて来ぬ
上記5句は、(「鈴木しづ子とそに回想」矢澤尾上)より

 二十歳ころ、将来を約束した許嫁の男性と出会ったが、男性の戦死により結婚は果たせなかった。結婚の夢を挫かれた失望感は、後々までしづ子の心を苦しめた。
 昭和15年、21歳になったしづ子は岡本工作機械製作所に入社した。設計科にトレース工として、初めて親元を離れての寮生活となった。会社での生活は戦時中という国勢も反映してか、なにか心の満たない日々が続いた。さらに悪いことに、16年の夏、母親が病に倒れ一家で福井市に転居する。しかし、しづ子は女子寮に残った。父への反目とも思われるが、真相は定かでない。

鬱屈したしたしづ子に思いがけない転機があった。社内での俳句の会である。職場で改めて俳句を始めたしづ子は句作りに夢中になった。先輩のもとで俳句を生きがいにし、社会人としての道を歩んでいった。
 そして社内俳句部句会で生涯の俳句の師となる松村巨湫に出会うことになり、俳誌「樹海」に入会する。しづ子の俳句への情熱が爆発的に一気に高まってゆくのである。

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月光に仕上げの鑿や面打ち師 【COSMOS俳句会】高橋透水

2025年02月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
井上広美様
 2024年俳人協会の「俳句大賞」において
  月光に仕上げの鑿や面打ち師
を特選にとっていただき、
誠にありがとうございました。

拙句集『水の音』をお送りしましたが
ご笑覧いただければ幸いです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

 俳人協会「銀漢」同人
  高橋透水


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『エッセイ』小さな物語【COSMOS俳句会】 

2025年02月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
【COSMOS俳句会】コスモス俳句研究会 高橋透水

 小さな物語
フランスの哲学者ジャン=フランソワ
・リオタールの論に従えば、二十世紀の
末に「大きな物語」が終ったという。
「大きな物語」とは彼の著書『ポスト・
モダンの条件』のなかで、近代とは、キ
リスト教の物語、無知や隷属からの解放
という啓蒙の物語、労働の解放というマ
ルクス主義の物語、産業の発展による貧
困からの解放といいう資本主義の物語で
ある。それが終焉した結果、現今はその
反動か小さな物語が蔓延している。それ
は政治社会だけでなく文化スポーツなど
あらゆる面にみられる。この現象は決し
て避難されるべきことでないが生き方が
個々人に問われることになる。懸念すべ
きはこの小さな物語の反動である。とか
く強い国家を望み、強いリーダに従おう
とする。こうした志向は個々人があれこ
れ自分の生き方に悩み社会に失望するよ
り社会に順ずるほうが楽だからだ。
振り子の原理が働いているとか「歴史
は繰り返す」などというつもりはない。
まして過ちは繰り返すなどと諦念しては
いけない。


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『西東三鬼の俳句』COSMOS俳句会

2025年02月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
【主な西東三鬼の句】

算術の少年しのび泣けり夏      昭和1x年『旗』

水枕ガバリと寒い海がある      昭和11年『旗』

白馬を少女瀆れて下りにけむ     昭和11年『旗』

昇降機しづかに雷の夜を昇る     昭和12年

緑陰に三人の老婆わらへりき     昭和11年『旗』

中年や独語おどろく冬の坂      昭和21年『夜の桃』

中年や遠くみのれる夜の桃      昭和21年『夜の桃』

露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落す   昭和21年『夜の桃』

広島や卵食ふ時口ひらく        昭和22年『夜の桃』

通夜寒し居眠りて泣き覚めて食ふ

青高原わが変身の裸馬逃げよ

秋の暮大魚の骨を海が引く 

切り捨てし胃の腑かわいや秋の暮

(春を病み松の根つ子も見あきたり)


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【COSMOS】コスモス俳句会 NO11 高橋透水

2025年01月18日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
    「月光」旅館/開けても開けてもドアがある  高柳重信

 同時句に〈月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵〉があり、昭和二十二年の発表作である。いずれも句集『蕗子』に収録されているので、この二句を句作の背景が連続しているものとして、鑑賞したいと思う。
 まず〈「月光」旅館/開けても開けてもドアがある〉であるが、夏石番矢(「高柳重信」蝸牛俳句文庫)によれば、『「旅館」の名称「月光」が、異次元の狂気の世界を連想させる。「月光」の狂気に満ちた、無限に続く妖しい異界』としている。この「狂気」「異界」は当時の重信の句を解くキーワードとして重要であることは確かだ。身体的には宿痾の結核という胸の病魔との闘いが重信を「狂気」にし、更に「異界」へと導いたと考えてよいだろう。
 「開けても開けても」は社会、とりわけ俳句の理想や改革を「追求しても追求しても」を暗示しているのだろうか。その先にはまだまだ開けるに困難なドアが待ち伏せている。
 そして、〈月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵〉は、夏石番矢(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)によれば、『月下の旅にたどり着いた旅館で記帳を求められた「宿帳」には、このフランスの作家の名が。異次元の精神世界の探究者の先人として、作者はこの作家を指名した。』と解説している。
 ちなみにリラダン伯爵とはヴィリエ・ド・リラダンのことである。広辞苑によれば、『フランスの作家。貴族出身であるが、放浪と窮乏のうちに、反俗的な精神主義を貫いた。作品に「残酷物語」「未来のイヴ」「トリビュラーボノメ」など』とある。
 番矢の指摘は重信を知る重大な背景を示しているとみてよいだろう。重信の求めようとした世界はすでに先人が存在したのだ。しかしそれは重信には失望でも自嘲でもない。いつの時代にもあることだ。現状に満足できない限り、さらに何かをもとめて進まねばならない。それは改革者の宿命だ。
 こんな風に掲句二句をストーリー性あるものと鑑賞したが、ひょっとしたら重信の真っ赤な嘘にまんまと引っかかったのかも知れない。


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NO10【COSMOS】コスモス俳句会 高橋透水

2025年01月10日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
   身をそらす虹の/絶嶺/・・処刑台  重信
 句集『蕗子』(昭和二十五年)収録され、重信の代表句に挙げられる。冨澤赤黄男の、〈乳房や ああ身をそらす 春の虹〉が下地になっていると考えられるのが一般的だが、その点を四ッ谷龍の見解から見てみよう。
 女性が身を反らせた姿と、虹のアーチ形とが、アナロジーによって重ね合わされる。さらに乳房の丸みと虹の半円形も相似形を作っている。高柳重信の俳句〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉にはこの句(乳房や ああ身をそらす 春の虹〉)からの影響が見える。
 確かに重信が赤黄男の影響は受けているのを認めたい。ところがこの句を夏石番矢の「精神的かつ性的エクスタシーの頂点の形象化。嘉悦の極みには、悲哀が、破滅が来る。『処刑台』はその象徴」(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)と鑑賞するのはいかがであろう。特に「性的エクスタシーの頂点の形象化」という解釈には与しがたい。不快ですらある。
 重信はただ従来の俳句形式を打破したかったのだ。『蕗子』は実験であり、それは重信が次ぎのように述べていることから明らかだ。
 「数ある文学のジャンルの中から、特に俳句という歯がゆいものを選んだという動機――その動機の中に、見逃がすことの出来ない虚無的な考え方、敗北主義の萌芽のあることを、改めて注目したいと思う」「そして、多少の飛躍を感じながらも、僕は、この敗北主義の中に俳句の特殊性を考えたいのである」「僕は、その最後の虚無的な数条の光芒の中から、敢て最短詩とは言わなくても、日本語による新しい短詩の芽生えが始まるであろうことを、かすかながら予期したい」(「敗北の詩―新興俳句生活派・社会派へ―」、昭和二十二年七月「太陽系」第十二号)より。
 つまり、重信は問題提起や自己の方法論を述べるだけで、結論は出さない主義なのだ。要は実検的な多行詩は創るが、鑑賞と解釈は読者に委ねるという方法を取ったのである。


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NO10【COSMOS】コスモス俳句会 高橋透水

2024年12月21日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
NO10【COSMOS】コスモス俳句会 高橋透水
(再掲2024年12月)
  身をそらす虹の/絶嶺/・・処刑台  重信
 句集『蕗子』(昭和二十五年)収録され、重信の代表句に挙げられる。冨澤赤黄男の、〈乳房や ああ身をそらす 春の虹〉が下地になっていると考えられるのが一般的だが、その点を四ッ谷龍の見解から見てみよう。
 女性が身を反らせた姿と、虹のアーチ形とが、アナロジーによって重ね合わされる。さらに乳房の丸みと虹の半円形も相似形を作っている。高柳重信の俳句〈身をそらす虹の/絶巓//処刑台〉にはこの句(乳房や ああ身をそらす 春の虹〉)からの影響が見える。
 確かに重信が赤黄男の影響は受けているのを認めたい。ところがこの句を夏石番矢の「精神的かつ性的エクスタシーの頂点の形象化。嘉悦の極みには、悲哀が、破滅が来る。『処刑台』はその象徴」(「高柳重信」蝸牛俳句文庫・蝸牛社)と鑑賞するのはいかがであろう。特に「性的エクスタシーの頂点の形象化」という解釈には与しがたい。不快ですらある。
 重信はただ従来の俳句形式を打破したかったのだ。『蕗子』は実験であり、それは重信が次ぎのように述べていることから明らかだ。
 「数ある文学のジャンルの中から、特に俳句という歯がゆいものを選んだという動機――その動機の中に、見逃がすことの出来ない虚無的な考え方、敗北主義の萌芽のあることを、改めて注目したいと思う」「そして、多少の飛躍を感じながらも、僕は、この敗北主義の中に俳句の特殊性を考えたいのである」「僕は、その最後の虚無的な数条の光芒の中から、敢て最短詩とは言わなくても、日本語による新しい短詩の芽生えが始まるであろうことを、かすかながら予期したい」(「敗北の詩―新興俳句生活派・社会派へ―」、昭和二十二年七月「太陽系」第十二号)より。
 つまり、重信は問題提起や自己の方法論を述べるだけで、結論は出さない主義なのだ。要は実検的な多行詩は創るが、鑑賞と解釈は読者に委ねるという方法を取ったのである。
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◆第二年度『ビッグバン通信句会』 案内(都区現代俳句協会)

2024年12月16日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
◆第二年度『ビッグバン通信句会』 案内(都区現代俳句協会)
『ビッグバン通信句会』は二年目を迎えました。
皆さまのご協力に感謝いたします。
2025年1月より開始!!ただし奇数月の開催です。
メール句会でどなたでも参加できます。協会・結社にこだわりません。
★まずはメールでお問合せください!!案内書・投句フォームを送ります。
acenet@cap.ocn.ne.jp
●応募規定 (必ず2句出句)ただし、はがき・FAXの投句は不可。
当季雑詠 1句
詠込句  1句  (2025年1月の詠み込みは「世」)
●投句先パソコン : (下記URLをクリックしてください)
https://ws.formzu.net/fgen/S31510800/
スマホ専用 :
https://ws.formzu.net/sfgen/S31510800/
投句締切は 2025年1月20日 選句締切は 1月30日
■費用は一回500円 年3000円
◇投句方法のわからないかたは
acenet@cap.ocn.ne.jp まで。
担当:高橋透水 090-3231-0241
  (都区現代俳句協会会員)

●参 加 費:500円/1回、1年分(6回分)一括払い3000円。
  途中から参加は回数割。但し、途中から不参加の場合でも返金はしません。
※途中参加の場合は当該月以降の年間参加費をお支払い願います。
 投句と年間参加費の受領確認をもって参加とします。
振込先
1.ゆうちょ銀行
記号番号:総合:10140-62572281
2.他の金融機関
●振込の受取口座は下記になります。
普通:018 6257228
タカハシ トシエイ
【注】018 は店番
6257228 は普通預金口座番号

 【規約案内】
☆投句者は現代俳句協会所属の方にかぎりません。結社や団体を超えた新しい俳句をモットーに、広く募集いたします。ベテランの方だけでなくぜひとも若い方々の新鮮な俳句と忌憚の無いご意見をお待ちしております。
☆相互選句や講評をしていただき互いの研鑽の場をめざします。
●参加申込:フォームズまたはメールによる投句・選句に限ります。
(郵送、FAXは不可)問合は acenet@cap.ocn.ne.jp
携帯 090-3231-0241 高橋透水へ

●投  句:兼題または詠込1句+当季雑詠1句、計2句
●投句締切:初回は1月20日。(奇数月の開催で、毎回20日が投句締切)
●互  選:参加者には後日、清記表をメールで送付。
当季雑詠は3句選(内1句特選) 詠込句は2句選(内1句特選)
◇特選コメント(100字前後)記入。フォームズまたはメールによる選句
(将来は数人の特別選者・あるいは輪番制とすることも考えています)
●結  果:当月末~次月頭頃に句会報を発行する。(メール等で発表)
●参 加 費:500円/1回、ただし1年分(6回分)一括払い3000円。
  途中から参加は回数割。但し途中から不参加の場合でも返金はしません。
※途中参加の場合は当該月以降の年間参加費をお支払い願います。
  投句と年間参加費の受領確認をもって参加とします。
  申し込み時に、氏名、携帯番号、メールアドレスを明記してください。

●投 句 先:
(推奨)フォームズでの投句  https://ws.formzu.net/fgen/S31510800/
    スマホ専用    https://ws.formzu.net/sfgen/S31510800/

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芭蕉の発句アラカルト(初しぐれ) 高橋透水

2024年12月01日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
旅人と我名よばれん初しぐれ  芭蕉

 芭蕉四十四歳の作で『笈の小文』に収録。『笈の小文』は芭蕉死後宝永6年(1709年)、大津の門人川井乙州によって編集された。
 貞亨4(1687)年10月25日、芭蕉が亡父の三十三回忌の法要に参列するために江戸深川を出発し、貞亨5年8月末に江戸に戻るまでの旅で詠まれた句を集めたものである。
 『笈の小文』の序文、「風雅におけるもの、造化にしたがひて四時を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり」はあまりにも有名である。
 さて掲句は次のような前文がある。
 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
      旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉
   又山茶花を宿々にして 
 脇句は岩城の長太郎と云うもので、「其角亭におゐて関送リせんともてなす」とある。
 ところで、芭蕉の考えた「旅人」とは、日常生活を離脱し「風狂」世界に遊ぶ人を指すと解釈してよいだろう。つまり芭蕉自身が「旅人」と呼ばれることは、単に孤独な放浪的な俳諧師ではなく、業平・能因・西行・宗祇らと同様、旅に生涯を送った偉人たちの芸術探究・人間探求の系譜につながることを意味した。
 『赤冊子』には「心のいさましきを句のふりにふりだして、よばれん初しぐれ、とは云しと也。いさましき心を顕す所、謡のはしを前書にして、書のごとく章をさして門人に送られし也」云々とある。芭蕉の旅への賛辞であるが、これからしても過去の偉人と並び、逸早く一流の俳人とよばれたいという芭蕉の願望や自負でなく、むしろ俳句道の旅出という勢いと心の余裕さえみられるのである。
 これは三年前の野ざらしの旅への決意「野ざらしを心に風のしむ身かな」とくらべても明らかであろう。座五の「初しぐれ」にもこれからの季節の厳しさを案ずるのでなく、むしろ旅立ちの明るささえ感じるのである。




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「デ・キリコ」展を観て  高橋透水

2024年11月19日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
「デ・キリコ」の触発  
マヌカンや木陰に人の影のなく
ボート漕ぐ過去はいつでも眼前に
緑陰に性器二つを置いてくる
顔のない恋人たちの裸かな
いくさなき夏の夜ボヤく男たち
灯台や夜の万緑の深かりし
透明が削られてゆく星月夜
【エッセイ】
デ・キリコの無重心
暗黒を持たない光の世界
影という不調和の調和
焦点の合わない無重心
ちぐはぐな遠近
眼鼻なく口のなく
顔の真白世界の恐怖
室内のまるで
放置された家財道具のように
それぞれの物理的な作用に従う
神のいない摂理
飛沫
放物
合体
その静止した空間
時間のない、一瞬
拡がりのない時間
それでいて懐かしい
深淵の不安
暗黒の影を伸ばし伸ばし光とし
光源の力を縮め縮めて影とする


血の通わないマヌカン
踊りを止めたマヌカン


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