去年あたりから「民団と総連の歴史的和解」(白紙撤回されたけど)とかNHKスペシャル「北朝鮮帰還船~知られざる半世紀の記録~」とか「入国審査で指紋採取の義務化」とかのニュースを見る度に思い出していたのだが、大学の頃、知り合いが指紋押捺反対運動をやっていて手伝ったことがあった。それにしても、検索をかけていたら在日外国人、特に韓国朝鮮人に対する偏見ときたらすごいものがある。この人のこれとか、すごいアクセスがあるって信じられないなあ。石原慎太郎が当選するわけだわ。若い世代が歴史的な経緯も知らずに、いきなり嫌韓言説が大勢を占めているネット上の情報を頻繁に目にするってすごく問題だと思う。
「何も悪いことをしていないのだったら生体認証情報を取られても問題ないのだから、反対しなくてもいいじゃないか。なんなら国民みんな取ってもらってもかまわない。」というような意見の人は、社会的に立場が弱くて何かと差別されたり、いちゃもんをつけられたりしている人の恐怖感はわからないのではないかと思う。大学の頃、一年下に李さんという在日三世の子がいた。通名は他にあったのだが、いろいろ考えた末、大学に入ってから本名を名乗ることにしたのだそうだ。そうしたらお父さんが飛んできて「お前は世間を知らない!」とさんざん説教され、家に帰されそうになったとか。だけど、なぜ本名を恥ずかしいもののように隠さなければならないのか、そういう社会の方が間違っているのではないかと思い、名乗ることにしたのだそうだ。その、李さんとの縁で、どういう経緯だったかは忘れてしまったけど、学内で在日朝鮮人の直面している問題に関するドキュメンタリー映画を上映したり、歴史認識の違いについて勉強会をしたりすることになった。その過程で、民団の青年部の人たちが指紋押捺反対を訴える運動をしていることを紹介してくれたので、後日街頭でのビラ配りや署名に参加したのだった。
李さんは、16歳になったとき「外国人登録証」の登録に行き、はじめて自分が「日本人ではない」ということを実感したのだそうだ。そして、その外国人登録証は、名目上は常に携帯して、警察官などの提示を求められた時はすぐに出せるようにしなくてはならないことになっていたので、紐をつけて定期といっしょにバッグにつけていたそうだ。クラスの友達が「これ何?」と手に取った時に「外国人登録証。」というと、その子は「ふうん」と軽く言って机の上に放ると、何事もなかったかのごとく会話をつづけたのでショックを受けたと言っていた。つまり、彼女らにとって、それは「ややこしくて暗い話題」の匂いがするからスルーしたってわけだ。そういう彼女らに合わせてどうでもいい会話をしている私って何よ?とつくづく考えたのだと。
「指紋押捺反対」の運動にちょろっと顔を出しただけだけど、民団の反省会のようなものに呼んでもらって、「日本人としてこういう運動にかかわるのは抵抗があるのではないか」と緊張した面持ちで聞かれた。しかし、私なんかは、パープリンで何も考えてなくって、ただエネルギーがありそうなところにほいほいとついて行くだけだったので、「いやー、どういうか、ただ、李さんの体験とか聞いていてそらそうだと思っただけで・・・」といい加減なことを言ったのは今から考えると失礼だったなあ。
李さんの体験というのは、里帰りしたときのことだ。お父さんの実家に行ってお墓に参ってきたのだそうだ。韓国のお墓というのはおっきくて山一つ分くらい、というより山を墓にしていて、その中に一族がみんな葬られているのだそうだ。それを見て「うわあ、すごい」と歴史を感じたらしいが、それ以外ではあまりよい体験ではなかったそうだ。なにせ、韓国語がしゃべれない。「なんでしゃべれないのか」と咎められる。見知らぬおじいさんに「パンチョッパリ」といきなり罵られたこともあったそうだ。自分は日本では「朝鮮人」といじめられるのに、韓国に行っても偏見にさらされるのか、じゃあどうやって生きていけばいいのか、と思ったそうだ。帰ってきてから民団でいろいろな人と知り合い、勉強をしていく中で、「日本人」ではなく、「韓国人」でもなく、「在日韓国人」という第三の道を歩もうという覚悟ができたのだそうだ。そういう目で見てみると、日本の社会の閉鎖的なところがいろいろと目につく。お父さんの代から日本で生まれ、日本で育ってきたのに、外国人として就職や結婚で差別され、外国人登録証を常に携帯していなくてはならないというのは理不尽じゃないかというのだ。そらそうだ。大学を卒業しても一般の企業では就職が難しい。お先真っ暗だ。
在日朝鮮人に対する偏見やバッシングは、移民受け入れに対する拒絶反応とも密接につながっているようだ。最近の移民受け入れに反対する人たちは「外国から移民を受け入れると、犯罪が増加し、貧困層の生活保護など財政的な負担が増加する」というが、それは使い捨て労働者として入れようとするからだ。確かに文化的な違いからいろいろ軋轢があるかもしれないが、相当の覚悟を決めて国家の一員として迎えれば、経済的発展の活力になると思う。だいたい日本には選択肢がないじゃないか。ジジババばっかりの社会なんか楽しくない。おまえら老人介護したことあるか?暗いぞ。日本では大昔から良いものも悪いものも海を渡って入ってきたのだ。外から入ってくるものをせき止めたら、文化が停滞し、国は腐ってしまうのだ。
さっきの続きだけど、民団の文化祭があるので来てくださいと言われて、友人たちや先生方と一緒に行ったことがあった。何を見たかは全部忘れてしまったが、作家の金達寿さんの講演を聴いたことだけは鮮明に覚えている。
講演の始まる前、私らといっしょに来るはずだった牧師の先生がなかなか来られなくって、「ああ、講演が始まっちゃう!」と心配していたらぎりぎりセーフであたふたと入っていらっしゃった。汗だくだくで。あとで聞いたところによると、間違えて総連の方に行ってしまったのだそうだ。まぎらわしいことに、新幹線のガードを挟んでちょうど真反対の位置に民団と、総連の建物が立っていたのだ。先生は民団の正式名称を知らなかったので、うろうろしていて目についた看板の「在日本朝鮮・・・」のところで早合点して総連の建物に入ってしまったのだった。ところがそこは森閑として人もおらず、文化祭をやっているように見えない。「おかしいなあと思って奥の方に入って事務の人に『あのー、文化祭があると聞いているのですが。』と言ったら、相手はきっとした顔で『それは、民団の方です。ここは総連です。』と言うから、なんだか悪いことをしたみたいな気分で『すいません、すいません』と謝って出てきた。」ということだった。「おんなじ在日同士、いっしょに文化祭をやればいいのに、なんでやらないの?」と先生は首をかしげていた。民団と総連が犬猿の仲であることはその時はじめて知った。
講演ではいろいろなことを話されたと思うのだが、私に理解できたのは一か所だけだった。「私は、韓国のカボチャが好きなんです。ご存じのように韓国のカボチャは日本のカボチャとは別物です。食べたくてもなかなか食べられないので、三年前、種を送ってもらって庭で育てたのです。一年目、たくさん実ができて『おいしい、おいしい』と言って食べました。二年目、種を取っておいてまいたところ、できた実は『ちょっと味がおかしいな』と思いましたが、まあおいしく食べました。そして三年目の今年、なんと、できたのは日本のカボチャだったんです。いいですか、みなさん、カボチャだって三年たつと日本のカボチャになるんですよ。私たちが日本に来てから何年になります?うちの孫なんか、『これが朝鮮人か?』という顔をしていますよ。三代たったらもう日本人ですよ。在日三世は、日本社会でどのように生きるか、いろいろ問題を抱えて悩んでいる。しかるに!何か在日韓国人の催しがあると必ず『南北の統一はわれわれ民族の悲願です』というくせに、『しかし、・・・』と続く。『総連のやつらとは絶対に一緒にはならん!』と来る。日本国内でさえ、民団と総連とがいがみ合っているのに、朝鮮半島が統一できるわけがないじゃないですか。」
民団と総連が「仲直り」のニュースを聞いたとき、金達寿さんのこの講演を思い出した。だけどむずかしかったようだなあ。広島の場合そうでもなかったのだけど、、辛淑玉「鬼哭啾啾」(解放出版社)を読むと、北朝鮮の集金マシーンと化した朝鮮総連の実態や朝鮮学校の民族教育のひどさを知り、そりゃあ一緒にやれませんよと思った。
だけども、その頃は韓国だって軍事独裁政権で、民主化運動をしている人たちを投獄したり、デモを鎮圧したり、ひどい国でもあった。国立大学の大学院生で、別に政治運動に関わっていたわけではなかったのに、墓参りに帰ったらスパイ容疑で拘束されて、それっきり三年牢屋に入れられていたという人の体験談を聞いたことがあった。その人は結局疑いが晴れて釈放されたのだが、拘束されたままの学生が他にもいて、釈放要求の署名を集めていた。民主化前の韓国ってそんなひどい国だったのだ。北からの情報がほとんど入ってこない中では、軍事独裁政権より共産主義の方がましと思ってしまうのも仕方がないかもしれない。それに、まともに就職できないから仲間で団結せざるをえない状況に追い込んだ日本社会の閉鎖性も責任が重いと思う。
先日の新聞記事で「金大中氏事件」のときに、日本が韓国の軍事政権と手打ちをしてこの事件をうやむやにしたということが書いてあった。田中角栄はその際に少なからぬお金をもらったらしい。人の命を売り渡したなんて情けないことだ。同じようなことが北朝鮮への帰還事業でもあったらしい。北朝鮮は、日本からの帰国者を人質にとって在日の親族に送金を要求していたらしい。朝鮮総連の幹部は、北での実態を知っているくせにそれを伏せて多くの人たちをだました。また、日本政府も財政的な負担から逃れるために積極的に帰還事業を推進したのだ。北朝鮮はアウシュビッツか?
今日のたかじんで、ゲストの朴 一氏は「ソフトランディングさせるためには、融和政策で対話を続け、韓国のように、民衆から自発的に民主化闘争をおこさせて独裁政権を倒すしかない。」という意見だ。私には戦略的な発想はよくわからないが、それが一番犠牲がすくなくて妥当であるという気がする。けしからん奴らだから経済制裁と叫ぶのはそれで気がすむかもしれないが、結局よい結果にならないのでは意味がない。ネット上の右翼的な言説は百害あって一利なしだと思う。
その他、私が覚えているのは、あの文化祭で買った数種類のキムチがものすごくおいしかったことだ。さんざん探したけど、今に至るまで、あれに優るキムチは食べていない。
「何も悪いことをしていないのだったら生体認証情報を取られても問題ないのだから、反対しなくてもいいじゃないか。なんなら国民みんな取ってもらってもかまわない。」というような意見の人は、社会的に立場が弱くて何かと差別されたり、いちゃもんをつけられたりしている人の恐怖感はわからないのではないかと思う。大学の頃、一年下に李さんという在日三世の子がいた。通名は他にあったのだが、いろいろ考えた末、大学に入ってから本名を名乗ることにしたのだそうだ。そうしたらお父さんが飛んできて「お前は世間を知らない!」とさんざん説教され、家に帰されそうになったとか。だけど、なぜ本名を恥ずかしいもののように隠さなければならないのか、そういう社会の方が間違っているのではないかと思い、名乗ることにしたのだそうだ。その、李さんとの縁で、どういう経緯だったかは忘れてしまったけど、学内で在日朝鮮人の直面している問題に関するドキュメンタリー映画を上映したり、歴史認識の違いについて勉強会をしたりすることになった。その過程で、民団の青年部の人たちが指紋押捺反対を訴える運動をしていることを紹介してくれたので、後日街頭でのビラ配りや署名に参加したのだった。
李さんは、16歳になったとき「外国人登録証」の登録に行き、はじめて自分が「日本人ではない」ということを実感したのだそうだ。そして、その外国人登録証は、名目上は常に携帯して、警察官などの提示を求められた時はすぐに出せるようにしなくてはならないことになっていたので、紐をつけて定期といっしょにバッグにつけていたそうだ。クラスの友達が「これ何?」と手に取った時に「外国人登録証。」というと、その子は「ふうん」と軽く言って机の上に放ると、何事もなかったかのごとく会話をつづけたのでショックを受けたと言っていた。つまり、彼女らにとって、それは「ややこしくて暗い話題」の匂いがするからスルーしたってわけだ。そういう彼女らに合わせてどうでもいい会話をしている私って何よ?とつくづく考えたのだと。
「指紋押捺反対」の運動にちょろっと顔を出しただけだけど、民団の反省会のようなものに呼んでもらって、「日本人としてこういう運動にかかわるのは抵抗があるのではないか」と緊張した面持ちで聞かれた。しかし、私なんかは、パープリンで何も考えてなくって、ただエネルギーがありそうなところにほいほいとついて行くだけだったので、「いやー、どういうか、ただ、李さんの体験とか聞いていてそらそうだと思っただけで・・・」といい加減なことを言ったのは今から考えると失礼だったなあ。
李さんの体験というのは、里帰りしたときのことだ。お父さんの実家に行ってお墓に参ってきたのだそうだ。韓国のお墓というのはおっきくて山一つ分くらい、というより山を墓にしていて、その中に一族がみんな葬られているのだそうだ。それを見て「うわあ、すごい」と歴史を感じたらしいが、それ以外ではあまりよい体験ではなかったそうだ。なにせ、韓国語がしゃべれない。「なんでしゃべれないのか」と咎められる。見知らぬおじいさんに「パンチョッパリ」といきなり罵られたこともあったそうだ。自分は日本では「朝鮮人」といじめられるのに、韓国に行っても偏見にさらされるのか、じゃあどうやって生きていけばいいのか、と思ったそうだ。帰ってきてから民団でいろいろな人と知り合い、勉強をしていく中で、「日本人」ではなく、「韓国人」でもなく、「在日韓国人」という第三の道を歩もうという覚悟ができたのだそうだ。そういう目で見てみると、日本の社会の閉鎖的なところがいろいろと目につく。お父さんの代から日本で生まれ、日本で育ってきたのに、外国人として就職や結婚で差別され、外国人登録証を常に携帯していなくてはならないというのは理不尽じゃないかというのだ。そらそうだ。大学を卒業しても一般の企業では就職が難しい。お先真っ暗だ。
在日朝鮮人に対する偏見やバッシングは、移民受け入れに対する拒絶反応とも密接につながっているようだ。最近の移民受け入れに反対する人たちは「外国から移民を受け入れると、犯罪が増加し、貧困層の生活保護など財政的な負担が増加する」というが、それは使い捨て労働者として入れようとするからだ。確かに文化的な違いからいろいろ軋轢があるかもしれないが、相当の覚悟を決めて国家の一員として迎えれば、経済的発展の活力になると思う。だいたい日本には選択肢がないじゃないか。ジジババばっかりの社会なんか楽しくない。おまえら老人介護したことあるか?暗いぞ。日本では大昔から良いものも悪いものも海を渡って入ってきたのだ。外から入ってくるものをせき止めたら、文化が停滞し、国は腐ってしまうのだ。
さっきの続きだけど、民団の文化祭があるので来てくださいと言われて、友人たちや先生方と一緒に行ったことがあった。何を見たかは全部忘れてしまったが、作家の金達寿さんの講演を聴いたことだけは鮮明に覚えている。
講演の始まる前、私らといっしょに来るはずだった牧師の先生がなかなか来られなくって、「ああ、講演が始まっちゃう!」と心配していたらぎりぎりセーフであたふたと入っていらっしゃった。汗だくだくで。あとで聞いたところによると、間違えて総連の方に行ってしまったのだそうだ。まぎらわしいことに、新幹線のガードを挟んでちょうど真反対の位置に民団と、総連の建物が立っていたのだ。先生は民団の正式名称を知らなかったので、うろうろしていて目についた看板の「在日本朝鮮・・・」のところで早合点して総連の建物に入ってしまったのだった。ところがそこは森閑として人もおらず、文化祭をやっているように見えない。「おかしいなあと思って奥の方に入って事務の人に『あのー、文化祭があると聞いているのですが。』と言ったら、相手はきっとした顔で『それは、民団の方です。ここは総連です。』と言うから、なんだか悪いことをしたみたいな気分で『すいません、すいません』と謝って出てきた。」ということだった。「おんなじ在日同士、いっしょに文化祭をやればいいのに、なんでやらないの?」と先生は首をかしげていた。民団と総連が犬猿の仲であることはその時はじめて知った。
講演ではいろいろなことを話されたと思うのだが、私に理解できたのは一か所だけだった。「私は、韓国のカボチャが好きなんです。ご存じのように韓国のカボチャは日本のカボチャとは別物です。食べたくてもなかなか食べられないので、三年前、種を送ってもらって庭で育てたのです。一年目、たくさん実ができて『おいしい、おいしい』と言って食べました。二年目、種を取っておいてまいたところ、できた実は『ちょっと味がおかしいな』と思いましたが、まあおいしく食べました。そして三年目の今年、なんと、できたのは日本のカボチャだったんです。いいですか、みなさん、カボチャだって三年たつと日本のカボチャになるんですよ。私たちが日本に来てから何年になります?うちの孫なんか、『これが朝鮮人か?』という顔をしていますよ。三代たったらもう日本人ですよ。在日三世は、日本社会でどのように生きるか、いろいろ問題を抱えて悩んでいる。しかるに!何か在日韓国人の催しがあると必ず『南北の統一はわれわれ民族の悲願です』というくせに、『しかし、・・・』と続く。『総連のやつらとは絶対に一緒にはならん!』と来る。日本国内でさえ、民団と総連とがいがみ合っているのに、朝鮮半島が統一できるわけがないじゃないですか。」
民団と総連が「仲直り」のニュースを聞いたとき、金達寿さんのこの講演を思い出した。だけどむずかしかったようだなあ。広島の場合そうでもなかったのだけど、、辛淑玉「鬼哭啾啾」(解放出版社)を読むと、北朝鮮の集金マシーンと化した朝鮮総連の実態や朝鮮学校の民族教育のひどさを知り、そりゃあ一緒にやれませんよと思った。
だけども、その頃は韓国だって軍事独裁政権で、民主化運動をしている人たちを投獄したり、デモを鎮圧したり、ひどい国でもあった。国立大学の大学院生で、別に政治運動に関わっていたわけではなかったのに、墓参りに帰ったらスパイ容疑で拘束されて、それっきり三年牢屋に入れられていたという人の体験談を聞いたことがあった。その人は結局疑いが晴れて釈放されたのだが、拘束されたままの学生が他にもいて、釈放要求の署名を集めていた。民主化前の韓国ってそんなひどい国だったのだ。北からの情報がほとんど入ってこない中では、軍事独裁政権より共産主義の方がましと思ってしまうのも仕方がないかもしれない。それに、まともに就職できないから仲間で団結せざるをえない状況に追い込んだ日本社会の閉鎖性も責任が重いと思う。
先日の新聞記事で「金大中氏事件」のときに、日本が韓国の軍事政権と手打ちをしてこの事件をうやむやにしたということが書いてあった。田中角栄はその際に少なからぬお金をもらったらしい。人の命を売り渡したなんて情けないことだ。同じようなことが北朝鮮への帰還事業でもあったらしい。北朝鮮は、日本からの帰国者を人質にとって在日の親族に送金を要求していたらしい。朝鮮総連の幹部は、北での実態を知っているくせにそれを伏せて多くの人たちをだました。また、日本政府も財政的な負担から逃れるために積極的に帰還事業を推進したのだ。北朝鮮はアウシュビッツか?
今日のたかじんで、ゲストの朴 一氏は「ソフトランディングさせるためには、融和政策で対話を続け、韓国のように、民衆から自発的に民主化闘争をおこさせて独裁政権を倒すしかない。」という意見だ。私には戦略的な発想はよくわからないが、それが一番犠牲がすくなくて妥当であるという気がする。けしからん奴らだから経済制裁と叫ぶのはそれで気がすむかもしれないが、結局よい結果にならないのでは意味がない。ネット上の右翼的な言説は百害あって一利なしだと思う。
その他、私が覚えているのは、あの文化祭で買った数種類のキムチがものすごくおいしかったことだ。さんざん探したけど、今に至るまで、あれに優るキムチは食べていない。