被災地支援 -できることをやろう- から -ひとつなぎ- へ   NPO法人ねおす

『三陸ひとつなぎ自然学校』の釜石市を中心とした活動を応援しています。

お話しを聞くこと・・・

2011年04月03日 | 地域社会起業育成支援

 

ちょっと座ると・・・、玄関先で煙草を吸っている男性に近づくと、避難所の方々も声をかけてくださるようになりました。 そして、お話してくださいます。

3週間がたった避難所生活・・、まだ捜索にでかけている人もいます。買い出しに声を掛け合い車を使う人もいます、釜石市街への巡回無料バスも1時間ごとに動くようになりました。 避難所なりの日常が動き始めています。

疎開避難で地域外へ旅立つ人も毎日いるようです。子ども達も少なくなってきました。

この地を離れない、行き先がなく、「ここで暮らす・生きる」人達もいます。仮設住宅ができるのを待つ人、他の地域の仮設入居の申し込みをした人・・、人の動きが流動的になっている様子です。

しかし、鵜住居・片岸は壊滅状態であり、その中に、ましてや近年2度の津波を受けた場所です。例え先祖代々の土地であっても流失跡地に家を建てることはもうできない・・と私に話す人もいます。 鵜住居川上流のここ栗林地区に300世帯の仮設住宅をつくる案もあるそうですが、場所はまだ決まらないようです。静かな山間の農村地域に、被災にあった海の地域のコミュニティが作らる事も、さまざまな課題が将来現れてくるかもしれません。

車でわずか5分もかからない 被災地に降りれば、がれきの山と化した集落、市街地です。テレビのチャンネルを切り替えるように・・まったく異なる風景が広がっています。

避難所はちょっと落ち着いて来た感がありますが、人々の心を察すると・・複雑な気持ちになります。

誰かに話をしたい・・自分の身に起きたことを話す・・ということが起こっています。

「一度目の津波が引いた後に、助けに行ったら二波が来た・・私は屋根に登った・・腰まで濡れたが、家が流されなかったので助かった・・、二波でさらわれた人が大勢いた」

「俺の家はどこに建っていたかもわからない」

「○○さんの遺体は・・・・という状態だった」

「時間をかけてつくって来たコミュニティだけれど、意外と簡単に崩れている・・」

「5kmも山道を一日2回も歩いて避難所と往復してたんだよ」

「被災は受けてないけれど、電気も水道も通信も燃料もずっとなかった。孤立して不安だった」と上流地域の住民

「おうち、なくなっちゃったんだよ」と幼い子・・

「豚汁、死ぬほどおいしかったです!」とおどけて敬礼して挨拶していった女の子・・

「昨日、○○のお葬式でした・・」

「もっと、早く来て呉れたら・・あんときが一番大変だったんだよぉ!」

「○○ちゃん、あしたひっこしなんだ・・・」

人を探して・・最後に見た人を見つけた・・その様子の話を傍らで聞く・・

同感と共感・・共感と同感・・・そんな区別が必要なのか、そうじゃないのか・・

いろいろとお聞きすることが増えてきました・・。

高木 

 

 

 


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