猫山の乳がん日記

2009年11月、2年半かかった乳房再建が完了。ホルモン治療は副作用のため1年間で中止し、無治療です。

旅立ち翌日

2007年07月18日 | 身辺雑記
父が旅立って行き、
看護師さんが死化粧を施してくれる。

母が「長い間辛かったね。よく頑張ったね。」と
父の顔をなでる。
父はこれが2度目のがんだった。

私は「弱音を吐かずにずっと頑張ってきたから
神様が最期は苦しまないようにしてくれたんだね」と
父に声をかけた。

帰宅し、「退院したらすぐに着られるように
(私が父の日に贈った)パジャマを出しておいてくれ」と
昨日父が言っていたので
すぐにパジャマをハンガーにかけ、
父の横に吊るす。

葬儀屋さんが来る。
父は目を閉じた状態だったが、
お釈迦さんが亡くなったときのように
最近はうっすら目を開けておく方が多いと聞き、
そのようにしてもらった。
目が半開きになると、昼寝していたときのような顔になり
今にも目を覚ましそうなかんじ。

父が病院のパジャマを着たままなのがイヤだったので
葬儀屋さんがゆっくり指をほどいて、
病院のパジャマを切り裂き、
私が贈ったパジャマに着替えさせてくれた。


「数珠を外して、手をほどくとき、『もし着替えたくなかったら
そのままでいてください。着替えたかったら手を緩めてください』
と念じながら、手を触りました。」と葬儀屋さん。
本当にありがとうございました。


みんな用事で出払って、父と二人きりになったので
父にいろんなことを話しかけた。

  絶望的な状態だということを知りながらも
  最後の最後まで前向きでよく頑張ったね、お父さん、すごいよ。
  私も治療、頑張るよ。
 
  お父さんがお母さんのことを本当に愛していたことがよくわかったよ。
  結婚って、夫婦って、いいものだなぁと初めて思ったよ。

  それとね、
  孫の顔を見せてあげられなかったけど、ごめんね。


夕方、自宅へ戻る前、
いつも病院から帰るとき父に言っていたように
「お父さん、じゃあね、また明日」と声をかける。
いつもみたいに「おぅ、ありがとな。気をつけてな。」
って言ってよ… 

自宅へ戻ったが、やぱり実家へ舞い戻り
久しぶりに親子3人で寝た。





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