ネコオヤジのゆらりゆらゆら生活

これから数ヶ月のテーマは「ゆらりゆらゆら生活」です。私が興味を持っているもののまわりをゆらりゆらゆらして書いてみます。

京都帰省レポートその2 カメラ屋さんがどんどんなくなってる!

2005-07-19 14:16:18 | 大好きな京都
たまに実家の京都に帰るので、結果的に京都を定点観測するのだが、今回祇園祭のときに帰って、四条河原町あたりの繁華街を歩いていて気づいたのが、小さい頃からあったカメラ屋さんがどんどんなくなっていることだ。京都の人って、やっぱり芸術に関することが好きだったりして、カメラ好きの人も多いのか、昔から繁華街に大小のカメラ屋さんがすごく多かった。いにしえの名機がおいてあったりして、私自身も子供のころからいろんな店のいろんなカメラを見て回るのが大好きだった。でも、この週末、祇園祭の賑わいでごった返す街を歩いていて、そういう店が片っ端からなくなっていることに気づいた。「銀塩カメラ」の文化がデジタルにとって変わられているという事実を、京都の街ででも痛感させられる経験だった。ライカが経営危機だというニュースも入っているが、脈々と続いてきた「銀塩カメラ文化」はまるで恐竜みたいにほぼ全滅して行くのだろうか?後継者難に困っている伝統芸能みたいに、少数のマニアの手によって細々と継承されて行くのだろうか?「写るんです」とかはまだTVコマーシャルもやってるけど、これも時間の問題かも知れんなあ。いまだに、子供のころ使っていた一眼レフの重い機械を抱えてガシャっという、機械であることを自己主張してるようなシャッターの音を聞くと、心がときめくけど。ただ、やっぱり撮ってすぐ見たりとか、パソコンに入れてメールで飛ばしたりとか、デジカメの便利さには感動せざるをえないのも事実ではある。

祇園祭の京都に帰省したので、連載でレポートします。その一、熊魚庵

2005-07-19 00:30:30 | 大好きな京都
祇園祭でここ数年にない盛り上がりを見せる京都に帰省してきましたので、何回かに分けてレポートします。私、実は京都西陣の、例の安倍清明ゆかりの清明神社のすぐ近くが実家で、私の名前も清明神社でつけてもらったそうです。もの心ついて以来、「清明さん」といって敬愛してきました。先日女子バレーの結果を占ったりして、タロットにはまっていますが、私のタロットははっきり言ってすごくあたるのですが、これは私のどこかに安倍清明はいってるからだと、マジで思っています。小さい頃は、地元の人だけが行く、地味な神社でしたが、いまでは一大観光名所になってしまって、ちょっとヘンな気がします。でも信仰心は変わってなくて、今でも帰省すると必ずお参りに行きますよ。今日は、おいしい京料理の店を紹介します。烏丸丸太町の熊魚庵(ゆうぎょあん)という店です。いつも帰省すると老いた親と食事に行くのですが、今回は宵山当日ということで、いつも行く京極近くの店にはタクシーでいけず、宵山の賑わいからは少し外れた店に行かざるを得なかったのですが、そこで、10年くらい前に一度行ってそれ以来忘れていたこの店を思い出し、あまり期待もせずに行ったのですが、期待が見事にすばらしく裏切られ、とてもおいしかったです。親もあまり食べないので、ミニ会席とステーキ会席を頼みましたが、ステーキ以外どれもとてもおいしかったです。鱧はでませんでしたが、鮎とか、じゅんさいとか、夏の会席の一通り出ました。ステーキは、まあ、京料理の店のご愛嬌ということで許します。有名な京料理の店の系列ですが、ホテルの地下にあって老舗京料理の店にありがちな敷居の高さがないのがまずいいのと、味も、スマートな味付けながら親しみやすくコクがしっかりあり、かといって繊細すぎて頼りないというところに行く一歩手前で止まっていて、親と堪能しました。前に行ったときこんなにおいしかったかなと、驚きました。値段もわれわれが頼んだのは一品4000円ちょっとで、多少ちゃんとした京料理を食べるならまあ普通ではないでしょうか。ステーキ以外は、この味なら納得です。京都人の私がいうのはとても残念ですが、京都の料理屋って、誰もが知ってる有名店でも、よくこんなもんだすなというものを出す店が結構あると思います。それを東京人を主とした旅行者がありがたがっておいしいおいしいと連呼して食べているという光景が非常によく見られますが、童話の「裸の王様」みたいに思えます。おいしいと思ってなくても、これがおいしい京都の料理というもんなんだと自分に言い聞かせたり、これをまずいと言ったら恥かくぞって引いちゃったり・・・でも、この店はこんなことないです。私が友人に勧める、あまり多くない京都の店のひとつに加えました。ちなみにこの店、東京や大阪、福岡などにもあるようですが、他の店については入ったことがないのでノーコメントです。