nekomitu日記

ポンコツ日記

生きるということ

2018-11-28 12:48:39 | 日記


先日、姉と2人でもう1人の母親と思っている叔母に数年ぶりに会いに行った。



姉とこうしてゆっくり時間を過ごすのも

何年振りだろう…



海が見渡せる老人ホームにその姿はあった。

一生独身を貫き、親や兄弟のために尽くす人生を送りもうすぐ90歳になろうかという歳だ



部屋に入ると

歩行器に掴まって背筋を伸ばし

窓の外を眺めている小さくなった叔母がいた。



耳は遠くなっていたが相変わらずの笑顔で

手を握って泣いて喜んでくれた。



叔母に「なぜ外をみてたの?」と聞くと



「今日もこんなにお天気で…こんなに眺めのいいところでご飯が食べられてありがとうございます…って神様に手を合わせてたのよ…」といって



涙目ながら穏やかで優しい笑顔で言った…



思わず涙が溢れた…



今の自分が何て汚れてるんだろう…

荒んでるんだろう…



そう思った。



私が癌の施術をしたと話すと

ポロポロ涙を流して



辛かったね…

頑張ったね…



と手を握ってくれた。



気がつくと2人で泣き笑いしていた。



私は中学を卒業する頃

どうにも手がつけられないほどやんちゃな生活を送っていた



父が愛人と再婚することになり

家を引っ越す…その間

私の悪しき交友関係を絶つ目的も含めて

化粧品店を営む

叔母のところに数ヶ月間行くことになった。

当時は

「島流し」と言っていた 笑



叔母は厳格な母親と(祖母)と二人暮らし

そこへやんちゃな15歳の小娘が転がり込んだ訳だ



しかし…何もない田舎の温泉地

遊ぶところはおろか友達もいない…



あるのは「海」だけ



そんな環境で店の手伝いをしながら暇な時間はひたすら海を眺める…



そんな生活を送っていた。



当時子供ながらド派手だった私は

この土地から出たことのない祖母に好かれておらず…事あるごとに厳しく接され



泣いたこともあったが

いつも傍らで叔母が慰め笑わせてくれた。



何でも笑い飛ばしあったかい

まるでお日様の様な人だった。



その後は数年に一度里帰りの様な気持ちで帰っていたが



結婚して以降は

ほとんど会いに行けてなかった



私はそんな時を経て今目の前にいる叔母は



耳がよく聞こえないので

一方的にこれまでの人生を泣き笑いしながら語り出した。



あの時と何も変わらず

明るく優しいゆっくりとした口調だが

時々笑いを交える…。話の起承転結がしっかりとしてて

思わず引き込まれる様に話を聞いていた。





そんな話の中で叔母が何度も口にした言葉

「いいことがあって良かった…と喜んでいたら

必ず何かしら又良くないことが起こる…人生はその繰り返しだった」と



しかし、叔母が言う「いいこと」とは

私たちからすれば「え。それっていいことなの?」という内容だった。



叔母の「いいこと」とは不幸中の幸い…

というような話ばかり…

それでも当時の事を笑って話している



それでも前を向いて厳格な祖母のため

姉妹のため…弟(極楽とんぼの私の父親)のため

自分の人生を犠牲にしてきた…



だけど

一言も悔やみごとも言わず

「有難い…」を何度も言うのである



狭い温泉町から出たこともないまま

90年生きてきた叔母の言葉には

なんとも言い難い重みがあった。



女性として生まれて初めて恋に落ちた男性とも祖母の猛反対で
諦め別れてしまったという
以降一生独身


豊かな人生とは..

物質的豊かさ
精神的豊かさ
またはその両方

人それぞれ「豊かさ」の定義はさまざまだろう

しかし叔母は人との出会と別れに感謝し
不幸中の幸いに感謝し

今こうして生きていることに感謝し
食べられること、歩けることに感謝しているのである。


そんな仏様の様な叔母の笑えるエピソードは

「私は最近...自分で都合が悪いと思ったり、面倒だと思ったら周囲の人にボケたふりをするようにしている」と言った事

内容を聞いて爆笑した

さすがいつも笑いに持っていく叔母らしいエピソードだった。


どんな困難があっても
自分の人生を生きられなくても
笑いと感謝で生き抜いた叔母に「生きる」という事を学んだ日だった





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