冬だから寒いのは当たり前なんですけど……毎日、寒いですね😆
今週末には最高気温2度の日もあるのだとか。
いやいや考えまい、考えたところで暖かくなるわけでなし、いまから震えていても仕方ない。
と思いつつ、つい最高気温2度の世界を脳内予行演習してしまう。
毎年、そんな気温になるんでしたっけ……(と、毎年、思う自分に、毎年、驚く)。
さてさて、いろんなことのあった(そして“なかった”)2020年。
いつももらってはがりのワタクシですが、秋の始まるころ、うわぁ🤍と心浮き立ち、眩しくて頼もしくていつだって未来は明るいなぁと思えるギフトが届きました。
いま思っても、最高だなぁと嬉しくなります。
本当に、ありがとう。
ありがとうありがとう💫
いまだってそうですが、子どものころから日焼けしやすい体質(肌質?)だった私は、夏休みの終わるころになると、脛や肩をピカピカ黒光りさせながら、去りゆく夏の影や長いお休みとのサヨナラに、なんとなくもの悲しいような心持ちになっていたものです。
見た目は焦げるほど焼けて健康的、その心は少しばかり憂鬱でセンチメンタル。
そんな季節に私の誕生日はめぐってきます。
去年の夏は、インドにいる予定でした。
受講するクラスへの申し込みも完了し、受講期間プラス2週間くらいはどうにかインドにいられるようにしたいなぁと、夏から秋にかけてのあれこれに暢気に考えをめぐらせていました。
早めにairの手配をしておこうかなというころになってcovid-19がひろまり始め、どう考えても半年や1年で終息することはないだろうと、早々に内心では諦めていました。
それでも申し込んでいたクラスの中止決定の通知がきたときには、やはりがっくりきて、次はいつ行けるんだろう……なんて寂しい気持ちになったりもして。
そして、日本の夏がやってきました。
海水浴も、花火もない、静かな夏。
オンラインで教えてくれる先生がいて、浜yogaに来てくれる人がいて、畑では茄子やゴーヤーがぐんぐん育っていく。
いなかったはずの日本にいる私は、なかなかよい時間を重ねつつ、さて何をどうしようと考えていたところ、閃いたのが「インドに行けなかったぶん、私の誕生日にアンナダーナン(食事の提供)をしよう🎵」ということ。
ヴェーダの文化では、アンナダーナンは「隙あらばするといいよ」と大お勧めされていることのひとつです。
前から素晴らしいなと思っていた『はんぶん大人食堂』さん(“こども食堂”には行けないけれど、まだ大人でもない人たちに、孤食ではない環境で気軽にお腹いっぱい食べてほしい、という趣旨のもと、通常営業とは別に、商売ではない“食堂”を個人でされている)に、私の誕生月の8月にアンナダーナンをさせてほしいと、いきなり相談にいったところ、初対面にもかかわらず、気持ちよく引き受けてくださいました。
そして、ミラクルが起きます✨
困っている留学生への食事支援をしたいと考えている学生さんたちが、どうすれば実現できるかの視察も兼ねて食事にいらしたそうです。
あれこれお話をされ、帰るときに、お店の方が「今日の食事はサービスですよ」と、アンナダーナンのいきさつを話してくださったのだとか。
後日、学生さんたちはもう一度お店に足を運んで食事をされ、帰り際に「これを……」と、ふたりの方が封筒を置いていかれたのだそうです。
「9月は誕生月なので、アンナダーナンさせてください」と。
その話を聞いて、私はふるふるしみしみ心の深いところが動かされました。
こんな素敵な連鎖が生じるなんて。
こんな素晴らしい循環を起こしてもらえるなんて。
学生さんたちは、あちこちで開かれている“こども食堂”や、格安で食事のできる『はんぶん大人食堂』さんに触発され、コロナの影響下でいろんな不安にみまわれているであろう留学生に、せめてお腹いっぱいご飯を食べてほしいと動き出し、自分たちの“食堂”をスタートさせる前から、もうすでに食事の提供を始めている。
なんていうひろがり。
なんていう心のゆたかさ。
余裕があるから支援する、のではなく、余裕はないけれど何かできることはないかな、と考えられる気持ちの柔らかさ、思いやりの強さ。
去年、何より嬉しかったことです。
なんというか、ひたすら感謝したくなる嬉しさ。
直接会ってはいないけれど、学生さんたちに、私の心は灯をともしてもらいました。
美しくて、大切な贈りもの。
ありがたくて、嬉しくて、次に繋ぎたくなる。
繋いでいくのが、自然のことのように思えるミエナイチカラまで、私はもらえたのだと思います。
初秋に届いた、ミラクルなギフト。
どれだけ冬が寒くても、ぽっと灯りをともし、いまも温めてくれているようです。