谷村新司氏逝く
10月18日日経春秋
1970年代後半の話である。中学の同級生が、教室に教育上よろしくない雑誌を持ち込み、
社会科の若い教師に没収された。先生は「アリス」のファンだった。
悪友は「谷村新司も、この手の本の収集家だそうです」などと釈明。
先生はニヤリと笑い、返してくれた。
▼チンペイさんが、音楽のヒーローから私たちの「神」になった瞬間である。
東京・神田神保町に「芳賀書店」という素晴らしい品ぞろえの本屋さんがある。
ポリエチレン製の袋に包装されて、立ち読みはできないけど。
そう教えてくれたのも、彼の深夜の番組だったような気がする。
親しみやすい兄貴のような存在だった。
▼谷村さんの訃報に接し、帰らざる日々がよみがえる。
アリスの曲で初めてギターの弾き語りを覚えた。
そんな方もいるのではないか。
「冬の稲妻」は、3つのコードでなんとか演奏できる。
できの悪い、ものまね芸だったけれど。でも、コピーしたくなる何かがあった。
人の痛みに共鳴するぬくもりのようなものだろうか。
▼団塊の世代だ。が、楽曲に社会的メッセージを託すことは好まなかった。
「それよりあのコから電話がかかってこない。どうして? という歌のほうが自然」と語った。
美しい旋律と歌詞は、中国の人々も魅了した。
「野辺に咲きたる一輪の 花に似てはかなきは人の命か」とは「群青」の一節だ。名曲を胸に献杯したい。
転載ここまで
私らが中坊のころでしたか、毎日放送の深夜ラジオ、ヤングタウンに出てました
さんまさん、紳助さん、他の深夜ラジオでたけしさんや鶴瓶さんというそうそうなメンバーの中でも
谷村さんは「ちんぺい」というあだ名で異彩を放ってましたね
根強いファンがいました
その理由の一つに、ビニ本の収集家という一面がありました
当時、エロといえばビニ本でしたからね
ちょっとませた連中がどこからか手に入れてきた
ビニ本がクラス中を駆け巡ってました
そんな青少年の心をつかんだ、ちんぺい。
小川知子さんの胸元に手を入れたり
24時間テレビでサライを作ったり
精力的に活動されてましたが
今年の24時間テレビに出てこられなかったので
体調がわるいのかと心配してましたが
来年からまたアリスの活動を再開するとの話もありましたので
早くの復活を期待してました
しかし、残念な結果になりました
昭和、平成、令和と駆け足で生き抜いたんですね
太く短い人生でした
ご冥福をお祈りいたします
アリスの曲は、キーが私にぴったりで
カラオケの18番でした
22歳ですね
22歳になれば少しずつですね
花隈に住まれてたのですね
いい思い出ですか?
の心を癒やしてくれましたね。
いい曲がありすぎて選べない
ですが私は22歳が好きです。
22歳の女性が男と別れた時
の心境を歌い上げてます。
【私の髪の煙草の匂い消える
までの思い出ね〜♬】
余談ですが花隈に一人で
住んでた頃、近所に谷村さん
そっくりのヤー公がいてました。
はげ具合といい口髭といい
本人かと思うくらい似てました。