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【衝撃事件の核心】捜査情報漏洩、きっかけは残念会

2018-10-15 16:36:37 | ニュースまとめ・総合
【衝撃事件の核心】捜査情報漏洩、きっかけは残念会



2018年10月15日 9時31分

産経新聞


 風俗店に関する捜査情報を漏洩(ろうえい)する見返りに飲食接待を受けたとして大阪府警の警察官と、接待したとして府警OBで行政書士事務所の職員だった男が逮捕された汚職事件。

 捜査の対象となっている風俗店や本格捜査の着手時期といった重要な捜査情報を漏らした警察官2人は、懲戒免職処分となった。10月に大阪地裁で開かれた3人の公判で判明した籠絡の手口は、OBの男が昇任試験に落ちた後輩らを「残念会」名目の飲み会に誘って大阪・北新地のキャバクラで「接待」するというものだった。

昇任試験の「残念会」

 今回の事件で贈賄などの罪に問われたのは、元府警巡査長で、風俗店の許認可申請を代行する行政書士事務所の職員だった阿田(あだ)裕俊被告(33)。加重収賄などの罪に問われたのは、府警曽根崎署生活安全課の元巡査長、篠原渉被告(35)と、府警生活安全特捜隊の元巡査長、小野勇気被告(34)の2人だ。

 起訴状などによると、阿田被告は平成29年9月~今年1月、篠原被告と小野被告に捜査対象の店名や時期を漏らすようそそのかし、大阪市内のキャバクラなどで計約41万6千円相当の接待をしたとされる。

 検察側の冒頭陳述や被告人質問などによると、3人が顔をそろえたのは29年9月15日。昇任試験に落ちた2人のための「残念会」という名目で阿田被告が主催した飲み会だった。

 この席で、阿田被告が「何をやってるの」「どこをやっているの」などと捜査に関する質問を繰り返し、篠原被告が具体的な地名などを挙げて答えるというやりとりがあった。

 会話を聞いていた小野被告は、「(阿田被告が)風俗店側と癒着しているのでは」との疑念を抱いたが、それは一瞬のこと。「尊敬する先輩だから大丈夫だろう」と受け止めた。

 2軒目は阿田被告の誘いで大阪・北新地のキャバクラへ。この日の支払いは全て阿田被告が持った。

捜査情報を漏洩

 「残念会」では、捜査情報を漏らすことはなかった小野被告。ところが、キャバクラ接待から2カ月半後の12月1日、酒席の場で、阿田被告から「いい加減分かってるやろ。当直の時に、捜査書類を見てくれ」と迫られた。阿田被告にこれまでの飲食接待を公にされたら「警察官人生は終わる」との思いが頭をよぎった。

 12月15日の当直勤務の際にも、阿田被告から「見たのか」と電話で催促され、「逃げられない」と観念。捜査対象となっている店の名前や強制捜査の時期を伝えた。さらに、今年1月にも、逮捕予定者の氏名などを教えたという。

 検察側の被告人質問に、小野被告は「(情報漏洩を)してはいけないと分かっていたが、警察官としての地位や家族の生活のことを考えると、逃げられなかった」と振り返り、「はっきり断ればよかった」と後悔を口にした。

 篠原被告も29年9月から12月にかけて、阿田被告に捜査情報を漏らした。

 「仕事ができ、後輩の面倒見がよかった」阿田被告を信用していたといい、「利用されているとは思わなかった」と語った。

「気を許したのかも」

 自身を慕っていた後輩らをそそのかし、捜査情報を得ていた阿田被告。現職の時は押しが強く、後輩の面倒見のよいタイプだったとされる。だが、知人女性とのトラブルが原因で減給の懲戒処分を受け、27年に府警を退職した。

 翌年、風俗店の許認可申請を代行していた行政書士事務所に再就職。元警察官としての捜査経験があり「業者と対等に話せる」という強みを生かして、申請書類の作成や提出といった業務をこなしながら、個人的に無料案内所の経営者の顧問も務めていた。

 行政書士から、顧客に関する警察の捜査状況について情報を集めるよう依頼され、現職の警察官を接待して捜査情報を入手しようと決意したという。

 被告人質問では、「後輩におごって贈賄になるとは思っていなかった。そこまで事が大きくなるとは」と語った阿田被告。2人が捜査情報を漏らした理由を尋ねられると「もともと知っている仲で、僕がいろいろな情報を持っていて、『何でも知っている』と思って気を許したのかもしれない」と答えた。

判決言い渡しは11月

 検察側は論告で、小野、篠原両被告が漏らした捜査情報は「捜査対象の風俗店名や関係者の氏名で、捜査対象者が証拠を隠滅したり逃亡を企てたりするのに役立つ情報」と指摘。情報は阿田被告を通じて捜査対象者に伝わり、強制捜査に踏み切る前に無料案内所が廃止届を出す「弊害もあった」などとして小野被告に懲役2年6月、追徴金約18万円を求刑した。

 篠原被告については「高級キャバクラなどでの接待を期待する自堕落な動機によって、警察への信頼を失墜させた」などとして、懲役2年6月、追徴金約23万円を求刑した。

 贈賄側の阿田被告に対しては「警察の上下関係の厳しさを悪用した」と述べた上で、「行政書士や顧客の依頼に応え、自身の実績を上げようとした犯行」と指弾。懲役2年を求刑した。

 判決はいずれも11月16日に言い渡される。

【田中 ひかる】社員は猛反発…「生理用ナプキン」で成功を収めた男性起業家の人生 自分の痔にもナプキン

2018-10-15 16:35:37 | ニュースまとめ・総合
【田中 ひかる】社員は猛反発…「生理用ナプキン」で成功を収めた男性起業家の人生 自分の痔にもナプキン



2018年10月15日 11時0分

現代ビジネス


ユニ・チャームの創業者、高原慶一朗氏が、10月3日、老衰のため87歳で死去した。

1961年にアンネ社が発売した“元祖”生理用ナプキンである「アンネナプキン」が女性たちから絶大な支持を得ると、「アンネに続け」とばかりに300社ものナプキンメーカーが誕生した。

そのなかで生き残り、国内シェア1位となったのが、高原氏が率いるユニ・チャームだった(以下、敬称略)。

「のちにはみとれ」

高原慶一朗は、1931(昭和6)年、手すき和紙で有名な愛媛県川之江市(現四国中央市)に生まれた。

祖父が若くして戦病死したため、父は尋常小学校卒業後、地元の紙問屋で丁稚奉公し、苦労しながら一代で国光製紙株式会社を築いた。

高原は小柄だった小学校時代、いじめの対象となった。泣きながら家に帰ることもあったが、母は慰めることはせず、こう言ったという。

「男が泣いて帰ってくるようなみっともないことはするもんやない。こう言い返しい。『のちにはみとれ』と」(1)

ある日、高原は海岸でいじめっ子たちから代わる代わる投げ飛ばされ、口や鼻、耳まで砂が入った。悔しさから思わず出た言葉が「のちにはみとれ」だった。

最初は小声だったが、ガキ大将に「なにを見せてくれるんかいのう」と言われて怒りがこみ上げ、「のちにはみとれ」と大声で何度も繰り返した。

いじめに対する復讐という意味ではなく、人間として大きくなって見返してやるという決意だった。その後、いじめはなくなったが、あだ名が「のちにはみとれ」になった。

父の生き方を見て、起業家を目指した高原は、大阪市立大学商学部に入学。卒論のテーマには、郷里川之江にゆかりのある「紙」を選んだ。

紙には「記録する」「包む」「拭く」の3つの機能があると指摘し、とくに「拭く」は経済の発展とともに成長性があると書いた。

将来、自分が紙の「拭く(吸収する)」機能を生かした会社を起こすことになろうとは、夢にも思っていなかった。
映画館を工場に

高原は、29歳で建築資材を扱う大成化工株式会社を設立。常勤役員4人、社員12人でのスタートだった。

その9ヵ月後にあたる1961年11月、坂井泰子が創業したアンネ社が「アンネナプキン」を発売。新聞に掲載された斬新な広告を目にした高原は、生理用ナプキンに関心を持った。

早速、自宅近くの薬局で「アンネナプキン」を購入し、分解。幾層もの紙を裁断する機械があれば、同様のものが作れると考えた。

同じ頃、高原は日本生産性本部の中小企業新製品開発専門視察団に参加し、全米各地をまわっている。

当時日本にはまだなかった大型スーパーマーケットの店頭に、山のように積まれた生理用品を見て、「こんなに堂々と売るものなのか」とショックを受けた。

生理用ナプキンの発売以前、日本の女性たちはおもに、脱脂綿を使って経血を処置していた。生理は「穢れ」「恥ずべきもの」であり、生理用品は人目に触れてはならないものだった。

高原はアメリカ滞在中に、生理用品をボストンバッグいっぱいに買い込んだ。帰国時には、生理用品事業を始めることを決意していた。

しかし、社員たちからは「生理用品の会社に入った覚えはない」と猛反発を食らった。

川之江の閉鎖した映画館を買い取って工場に改造し、「ポン抜きプレス」で幾層もの紙を同じ形に打ち抜いてみたものの、紙を密着させる技術がなく、試行錯誤を繰り返した。

〔PHOTO〕iStock
「私もしてます」――痔にナプキン

高原は試作品を自宅へ持ち帰り、水に濡らして股間に当てて寝たこともあった。伝説的存在であるアンネ社のPR課長、渡紀彦も、ゴム製の月経帯を穿いて銀座を歩いてみたり、一晩ベッドで寝てみたりしていた。生理用ナプキンの普及に努めたこの2人は、言動に共通点が多い。

ナプキンの製品化を進めつつ、高原は社員の説得に当たった。

みんなの前でこう言った。「気持ちがわからんでもない。しかし、こっちが恥ずかしいと思ったら買う女性はもっと恥ずかしいのと違うか。そんないわれのない社会通念や古い意識を変える時や。女性に生理があるのは当たり前のことや」。自らを奮い立たせる意味もあった。「だから、いっしょに頑張ろうやないか。ナンバーワンになろう」。(2)

1963(昭和38)年、高原を含む7人の社員が、試作品を持って宇高連絡線で本州に渡り、木津川(大阪府)の事務所から山陽と山陰の2チームに分かれて営業を行った。中国地方ではまだ、アンネ社の製品が普及していなかったためである。

各駅停車に乗り、駅に降りては電話帳で周辺の小売店、問屋を調べ、営業して回った。「そんなにいい商品ですか」と尋ねられると、高原は「私も使ってます」と笑顔で答えた。

高原は痔に悩んでおり、ナプキンには痛みを和らげる効果があった。
坂井泰子と高原慶一朗

当時、ナプキン市場はアンネ社の寡占状態だったが、高原は技術的にはすぐに追いつけるという自信があった。

正々堂々とアンネに戦いを挑むために、表敬訪問と同時に図々しくも工場見学を申し出た。社長は私より3歳年下の女性。当時としては珍しい存在で、マスコミからも注目を集め時の人だった。
誤解を恐れずに言わせてもらうと、「女に負けてたまるか」と本気でそう思った。なかなか面会はかなわず、卸問屋業界の賀詞交換会で「四国の田舎者ですがよろしくお願いします」とあいさつした。取引のあった機械メーカーの人に何度もお願いし、その口ぞえでやっと工場も見学できた。清潔な工場に機械が整然と並んでいて川之江の工場とは雲泥の差だった。(3)

「女に負けてたまるか」はいただけないが、「のちにはみとれ」の精神の高原が、すでに成功を収め、「時の人」となっていた坂井泰子に対抗意識を抱いたことは、わからなくもない。

女性の生活を快適にしたいという思いから生理用ナプキンを開発したものの、あまり収益に頓着のなかった坂井泰子、そして起業家として「ナンバーワン」を目指した高原慶一朗の好対照が、生理用ナプキンの発展を軌道に乗せたのである。

スーパーマーケットに卸して大成功

アンネ社に宣戦布告した矢先、高原の父が経営する国光製紙の襖紙の工場が火災に遭ってしまう。

これからの時代、襖紙よりもナプキンのほうが成長を見込めると考えた高原は、父に頼み、火災に遭った工場を生理用品の原紙を製造する工場へと替えた。これにより、原紙の調達から商品化までが一貫して行えるようになった。

発売の翌年(1964年)には、年商1億9200万円(建材部門は1億2400万円)を売り上げ、ナプキンは大成化工の中心事業になった。建材事業も順調だったが、社名が生理用品にはそぐわないため、1965年に生理用品の販売会社「チャーム」を立ち上げた。

現社名の「ユニ・チャーム」となったのは、1974年のことである。「ユニ」には「ユニーク(独特)ユナイテッド(協働)ユニバーサル(国際的)」な会社でありたいという願いが込められている。

チャーム社は、高原のアメリカ視察の経験から、日本で登場しはじめたばかりの大型スーパーマーケットにナプキンを卸した。これが大成功につながった。

「アンネに追いつき、追い越せ」を目標に掲げていた高原は、1971年、ついに売上高でアンネ社を抜き去った。

1973年に起きたオイルショックの際には、トイレットペーパーやティッシュペーパーに加えて生理用品も品薄となったが、チャーム社は必死の増産体制でナプキンの供給に努め、流通、小売業界の信頼を獲得し、シェア拡大につなげることができた。
「3K」を改善し「尊厳」を重んじる

花王が生理用品市場に参入した1978年、ユニ・チャームは初の減収減益となる。

市場の飽和を予見した高原は、ナプキンの開発で培った不織布や吸収体の技術を生かして、使い捨ておむつの製造、販売に乗り出そうとする。当時、使い捨ておむつ市場の9割をP&Gが占めていた。

ユニ・チャームは、P&Gのおむつとの差別化を図るため、日本の布おむつにヒントを得た立体型おむつを製造し、1981年に北陸地方で発売、翌年全国展開した。

すると予想以上の好評を博し、1983にはP&Gのシェアを抜いてしまった。しかし今度は、P&Gが生理用品市場に、花王がおむつ市場に参入、再び減収減益を喫する。

巨大企業と競うためには、品質の向上以外にないと考えた高原は、開発に力を入れた。一年後、ユニ・チャームはギャザーを利用して通気性を高め、厚みはそのままに吸収力を3倍増した(同社比)新製品を発売。爆発的な売れ行きで、増収増益を回復した。

高原の次なる課題は、大人用おむつの開発だった。

赤ちゃんだったら、母親がおしっこやうんちを見て健康状態を確認したり成長の過程を楽しんだりする寛容さがあるが、大人用は切実だ。漏れるとお世話する側の手間が増えてしまう。漏らした本人は自尊心が傷つく。同じ紙おむつだが、現場は趣を異にする。(中略)大人用の開発はビジネスというより使命感と起業家のロマンに近い感覚を持っていた。「下の世話にはなりたくない」という言葉があるように人間の尊厳にかかわるところだ。(4)

こうして1987年、ユニ・チャームは大人用おむつ市場に本格参入を果たす。

その後、おむつの中に重ねて付けることで、おむつの交換回数を減らすことができる「尿取りパッド」、自分で履くことにより身体を動かすことになる「リハビリパンツ」など、介護する側される側、双方をサポートする商品開発を行った。

ユニ・チャーム公式サイトより

「リハビリパンツ」発売の同年、トーヨー衛材株式会社(現リブドゥコーポレーション)も、大人用のパンツ型おむつを発売。

ユニ・チャーム、リブドゥコーポレーション同様、紙産業が盛んな四国に拠点を置く株式会社近澤製紙所も早い時期からナプキン、そして大人用おむつの開発を行ってきた。

また、大人用おむつ専業メーカーに、株式会社光洋がある。これら企業の堅実な活動が、製品を向上させ、介護現場を支えてきた。

今日、環境への配慮から「使い捨て」に対する風当たりが強くなっている。

しかし「人間の尊厳」にかかわる排泄の問題を直視し、「3K(きつい、汚い、臭い)」と言われる介護現場の負担を軽減しようとする大人用おむつの進化は、誰もが望むところではないだろうか。

「拭く(吸収する)」技術で、アンネ社なきあと生理用ナプキンの発展を牽引し、大人用おむつの開発により介護現場に貢献した高原慶一朗。「のちには十分にみせつけた」人生であった。

火葬の順番待ち「遺体ホテル」…オフィス街にも

2018-10-15 16:33:58 | ニュースまとめ・総合
火葬の順番待ち「遺体ホテル」…オフィス街にも



2018年10月15日 14時14分

読売新聞


 高齢化に伴い、年間130万人以上が亡くなる「多死社会」を迎える中、東京や神奈川などの都市部を中心に、火葬前の遺体を預かる「遺体安置ビジネス」が広がっている。

 火葬場が不足し、火葬までの待機時間が長期化していることが背景にある。

 「マンションの住民や、葬儀をしない人たちの需要が増えてきている」。横浜市のJR新横浜駅近くで、火葬前の遺体を一時的に預かる「遺体ホテル」を運営する葬祭場「ラステル新横浜」の担当者はそう説明する。

 オフィス街にある地上9階建てのビルは、27体の遺体を収容可能。常時、面会を受け付けており、弔問客が来ると、喪主に代わってもてなす。面会室には、室温を5度以下に保った安置室から機械でひつぎが運ばれてくる仕組みだ。冷却装置入りのひつぎを備え付けた個室の面会室もある。

 費用は「1泊」当たり1万2000~2万2000円。「ラステル」は人生の最後に泊まる「ラストホテル」という意味で、担当者は「高齢化社会で需要は今後さらに伸びる」と見込む。同社は、横浜市西区でも遺体ホテルを運営している。

「屋上で医師と患者が話すのは無理」医療ドラマのありえないシーン「今は事故・自殺防止のため入り口を封鎖している」

2018-10-12 10:58:50 | ニュースまとめ・総合
「屋上で医師と患者が話すのは無理」医療ドラマのありえないシーン「今は事故・自殺防止のため入り口を封鎖している」



2018年10月12日 7時0分

キャリコネニュース

10月3日の『バラいろダンディ』(MX系)では、医師のおおたわ史絵さんが、「医療ドラマの現実ではありえないシーン」をピックアップしツッコミを入れた。

医師や医療関係者、患者が病院の屋上で話すシーンは、「事故・自殺防止もあるので今は上がれない。入り口を封鎖している」ため、非現実的だという。患者を"クランケ"と呼ぶこともなく、おおたわさんは「(クランケと言うのは)大正の先生ですね」と一蹴。かなり古い言い回しのようだ。(文:石川祐介)

「最近は美人な女医が増えている」

医師が「美男美女ばかり」に関しては、「私が医者になった頃は『嘘ばっかりだ』って思った。『美男美女なんていないじゃない』って思った」と振り返る。ただ、「今はそうでもない」と感じているようだ。

「女医さんはパパがドクターでママが美人っていうケースが多い。その遺伝子だから、綺麗な女医が多くなっている。パパに頭が似てて、ママに顔が似てるんじゃない」

男性医師が美人の女性と結婚する割合は不明だが、美人の母親の遺伝子を受け継いだ女性が、父親の職業に憧れて医者を目指す、というパターンは少なくないのかもしれない。

また、外科医が脳手術をしているシーンについても「消化器外科だったり、呼吸器外科だったり、心臓外科だったり、今は細分化されているので」と外科医でも様々な種類があるため、多能工のようなスタイルで手術を担うことはないと話す。

俳優の遠野なぎこさんはこれらの話に関連し、ドラマをやっていておかしいと思うことの1つとして、サスペンスドラマでの「血」の扱い方を挙げた。

「何十回刺していても、今って血を出しちゃいけないんですよ。遺体にこれっぽっちしか血がついていないとか。逆に危ないんじゃないかなって。刺したら返り血もあるし」

これを聞いたおおたわ医師は、遠野さんの意見に同意。「今の子たちは刺しても血が出ないって思ってしまう。(中略)ちょっと怖いなって思います」と話していた。

大人になって気づいた「意味のない」こと「方向の間違った努力」「後悔。反省はするべき」

2018-10-12 10:57:08 | ニュースまとめ・総合
大人になって気づいた「意味のない」こと「方向の間違った努力」「後悔。反省はするべき」


2018年10月12日 7時0分

キャリコネニュース

人生は壮大な暇つぶしである、という言葉がある。人生って一体何なんだろうと考えたとき、僕は「これだ!このために人は生きている!」みたいな激アツフィーバーな答えをすんなり見出すことはできない。偶然生まれ、成長して老いて死ぬ。これが人生の大まかな流れなので、そんなものに意味を強く求めても、あんまり意味がないように思えるのだ。

そりゃ生きてることは楽しいけど、発端は自分の意思じゃない。自分の意思でスタートさせたわけでもないものに、そこまで愛着も執念も抱けない。(文:松本ミゾレ)
「人生」という身も蓋もない答えも

先日、2ちゃんねるに『大人になって「意味がない」って気付くこと←何が浮かんだ?』というスレッドが立っていた。スレ主はその例をいくつか知りたいようだ。

そんなことして何になるんだろう、これもまた意味がないことの一つだとも思えるが、愚痴ばかり吐いていてもしょうがない。スレッドには大人になって気付く無意味なことについての声がいくつも挙がっていた。

「親切」「方向の間違った努力」「無償の奉仕」「プライド」
「後悔。反省はするべき」

どれもこれも、ぶっちゃけそこまで必要じゃないのに、妙に神格化されているように見受けられる。

方向の間違った努力は、今の時代、そんなものしなくても不自由はない。苦手なことをがむしゃらに努力して頭角を現せば、サクセスストーリーとして持て囃される。でも、苦労して苦労してやっと人並み程度に持っていければ良い方、多くはぱっとしないで終わる。努力そのものが無駄だというつもりはないけれど、徒労に終わりそうな努力に使う気力や時間は、別のことに使ったほうがリターンも大きい。

人生、と答えた人もいる。そうだ。これも実際全く意味がない。この手の質問で僕が考える答えも「人生」だ。人なんて生まれてから死ぬだけ。ただ、人間は社会から完全に隔絶されると生きていけない弱い生き物だから、無理から意味を見出して生きている。それが負担になっている人もいるけど、目的があるからやっていけるという人も、随分多いことだろう。僕の周囲にも結構いる。

でも、若い世代の子とかを見ていると、ここ最近はそれすら持ち合わせていない人も散見されるようになってきた。意味がないことには徹底して向き合わないというのも一つの選択肢。案外彼らは、賢い生き方をしているのかもしれない。

トランプ大統領 日中からの“漂着ごみ”に批判

2018-10-12 10:56:00 | ニュースまとめ・総合
トランプ大統領 日中からの“漂着ごみ”に批判



2018年10月12日 8時1分

テレ朝news

 アメリカのトランプ大統領は、日本や中国からのごみがアメリカの西海岸に大量に漂着していると批判しました。

 トランプ大統領:「毎年、日本や中国などから800万トンを超えるごみが我々の美しい海に投棄されている。ごみは海洋生物や漁師、海岸地域の経済に害を及ぼしている。それを除去するコストを強いられている。とてもアンフェアだ。遠くの他の国から来ているものなのに」

 トランプ大統領はこう述べ、日本と中国を名指しで批判しました。そのうえで、「前の政権はごみを投棄している国々に対して何もしなかった」と指摘し、「日本や中国など関係国に対して対応を働き掛ける」と述べました。

希林さん 娘・也哉子を社長にした理由は夫・裕也への遺産「対策」…TVで

2018-10-07 06:50:17 | 芸能・スポーツ
希林さん 娘・也哉子を社長にした理由は夫・裕也への遺産「対策」…TVで



2018年10月6日 16時43分

デイリースポーツ

 9月15日に亡くなった女優・樹木希林さん(享年75)が出演したドキュメンタリー「樹木希林の居酒屋ばぁば」が6日、カンテレ(関西テレビ)で追悼番組として再放送された。

 希林さんは、名古屋近郊の高蔵寺ニュータウンに暮らす高齢夫婦の日常を取材した東海テレビ製作のドキュメンタリー「人生フルーツ」のナレーションを担当しており、「-居酒屋ばぁば」は主人公である津端英子さんとの対談を収めたもの。17年に放送され、希林さんからの珠玉のメッセージが散りばめられている。

 希林さんはマネージャーをつけず、仕事の依頼などにもすべて自身で対応。その個人事務所についても「私はね、全部自分一人での会社(やってるの)。そこに仕事入れて、月々給料もらってる。随分前から、娘を社長にしてるの」と1人娘の内田也哉子に社長の肩書きを任せていることを明かしていた。

 その理由についても「そうすると、私が死んでも、そこの会社の収入は夫(内田裕也)にいかない、と思ってね。じゃないと半分は(遺産相続で)夫にいっちゃうから。夫に(お金が)いくとね、一晩で使っちゃうような人だからね」。

 さらに40年以上別居している夫・裕也からは「お前な、ハンコの置き場所は大丈夫か」と聞かれ、「あたしの(お金を)持って行くつもりなの?!」と聞き返したエピソードも笑いながら披露し、「もう随分前から(遺産の)対策を。いつ死んでも…」と2004年に乳がんを患って以降は、残された家族のために、“終活”をしていることを明かしていた。

スズキ Vストローム650 など、燃料漏れのおそれ リコール

2018-10-07 06:49:20 | ニュースまとめ・総合
スズキ Vストローム650 など、燃料漏れのおそれ リコール



2018年10月6日 10時15分

レスポンス

スズキは10月4日、大型スポーツバイク『Vストローム650』などの燃料装置に不具合があるとして、国土交通省にリコール(回収・無償修理)を届け出た。

対象となるのは『Vストローム650』、『GSX-S750』、『GSX-R1000』の3機種で、2017年3月16日~2018年6月26日に製造された2148台。

燃料ポンプ取付部のシール構造が不適切なため、燃料ポンプ組付時にOリングがねじれることがある。そのため、燃料タンクの内圧変動等によりシール性が損なわれ、最悪の場合、燃料が漏れるおそれがある。

改善措置として、全車両、燃料ポンプ取付部のOリングと燃料タンクのベセルを対策品に交換する。

不具合は20件発生、事故は起きていない。市場からの情報により届け出た。

トラックの下敷きになり男性死亡 山形

2018-10-07 06:46:27 | ニュースまとめ・総合
">トラックの下敷きになり男性死亡 山形


2018年10月6日 21時50分

産経新聞

 6日午後3時ごろ、山形県真室川町大沢の民家で、トラックの荷台に積んだ木材をアーム付きクレーンで下ろす作業をしていた男性が、トラックがバランスを崩して転倒、下敷きになったと110番通報があった。

 救急車が駆けつけたが、男性はすでに胸を強く打ち心肺停止の状態で、搬送された病院で約2時間後に死亡が確認された。

 新庄署によると、男性は、尾花沢市北郷、会社員、東海林(とうかいりん)雄治さん(59)で、東海林さんは、70代男性と2人で作業していた。同署は、死因と詳しい事故原因を調べるとともに、労災事故とみて監督責任なども捜査する。

心配の種、築地のネズミ「封じ込め」千匹超捕獲

2018-10-07 06:44:32 | ニュースまとめ・総合
心配の種、築地のネズミ「封じ込め」千匹超捕獲


2018年10月6日 21時8分

読売新聞


 築地市場の解体工事は11日から始まり、2020年2月まで続く。

 解体に伴い、周辺住民らの心配の種となっているのが、市場内外で多数目撃されているネズミの問題だ。築地から逃げ出したネズミが北側の銀座地区や、隅田川を泳いで対岸の勝どき、晴海地区にまで移動する恐れがあり、東京都は駆除作戦を進めている。

 都は、敷地周辺で塀がない部分などを高さ1・5メートルのトタン板で囲う「封じ込め」を展開。粘着シートなどで8月に739匹、9月に333匹を捕獲した。

 都の担当者は「捕獲数が減っているのは、母数が減っている表れだ」と説明するが、関係者からは「そもそも何匹いるかわからない。根絶はできないのでは」と疑問の声が出ている。