金正恩が核兵器と弾道ミサイルの開発を止めることはない理由
2017年8月17日 7時0分
NEWSポストセブン
北朝鮮がグアム島周辺に弾道ミサイルの発射を計画していることで、アメリカと一触即発の緊迫状態が続いている。グアム当局は核兵器による攻撃も想定した緊急ガイドラインを発表するなど、いまや北朝鮮の核保有は現実的な脅威として受け止められている。
北朝鮮の核開発の進捗状況や威力、日本への影響などどれほど深刻なのか。『北朝鮮恐るべき特殊機関』などの著書がある朝鮮半島問題研究家の宮田敦司氏がレポートする。
* * *
韓国国防省は7月5日、北朝鮮北東部の豊渓里(プンゲリ)の核実験場の状況について、「2番、3番坑道はいつでも核実験が可能な状態を維持している」「爆発力を拡大させた核実験で、核弾頭の能力を試す可能性がある」と明らかにしている。
北朝鮮は昨年の9月9日の建国記念日に5回目の核実験を実施していることから、今年の建国記念日に6回目の核実験を行う可能性もある。
北朝鮮は核実験の回数を重ねるたびに核爆発の威力を高めてきた。2006年10月の初回は1キロトン未満と推定されたが、2016年9月の5回目は広島や長崎に投下された原爆と同程度の最大20キロトンと推定されている。
米ジョンズ・ホプキンズ大の北朝鮮分析サイト「38ノース」は2017年3月10日、核実験場で坑道の掘削が続いており、地形などから昨年9月に実施された5回目の10倍以上の威力を持つ核実験も可能で、6回目の核実験を行う場合、最大282キロトン規模になる可能性があるとの分析を発表している。
◆北朝鮮の核実験の危険性
北朝鮮はこれまで全ての地下核実験を豊渓里(プンゲリ)で行っているが、このような狭い地域における地下核実験には大きな危険が伴う。地下核実験では実験の規模にもよるが、通常、地下核実験では一辺が50~60kmの砂漠で行われる。その理由は、核爆発によって破壊された地下水脈を通じて放射能が拡散することを防ぐためだ。
米国はネバダ砂漠、中国はタクラマカン砂漠、インドはタール砂漠、パキスタンはシン砂漠、旧ソ連は砂漠がないため広大な平原で地下核実験を行っている。ネバダ砂漠の核実験場は日本の鳥取県全域に相当し、旧ソ連・カザフスタンのセミパラチンスク核実験場の面積は四国とほぼ同じである。つまり地下核実験は砂漠などの広大な場所が必要になるのだ。
そのため、北朝鮮は過去に、金日成政権が旧ソ連・ブレジネフ時代(1964~1982年)の末期に旧ソ連共産党指導部に対し「核兵器を開発したあかつきには、その実験場としてソ連の地下核実験場を使用させてほしい」と非公式に要請したことがある。(「産経新聞」1993年3月20日)
金日成政権がブレジネフ政権に場所借りの要請をした時期は、1970年代末から1980年代初めで、希望した実験場はセミパラチンスクの可能性がある。
ブレジネフ政権が当時、北朝鮮の核実験場使用の申し入れにどう対応したかは明らかになっていない。しかし、このような北朝鮮の動きは、北朝鮮には核実験に適した場所がないことを北朝鮮(金日成)が認識していたことを示している。
豊渓里周辺は岩盤となっているため安全という見解があるが、度重なる実験により岩盤に亀裂ができている可能性もある。朝鮮半島は豊かな地下水脈が流れており、最終的に少量の放射性物質が日本海へ流出しないという保証はどこにもない。
◆地下核実験でも起きる放射能汚染
北朝鮮が過去5回行った地下核実験では、放射能漏れは起きていないようだ。
大気圏に放射性物質が放出された場合は、日本海を飛行する米空軍のWC-135大気収集機と、集塵ポッドを搭載した航空自衛隊のT-4 練習機で放射性粒子を収集することができる。この結果、これまでは放射性物質は観測されていない。
だが、1960年代に遡ると、米国、旧ソ連、中国、フランスは地下核実験で放射能漏れを起こしており、同様の事態が北朝鮮で起こらないとはいえない。
米国は1960年代に行った地下核実験で放射能漏れを何度も起こしている。放出された放射能の規模は大気圏内実験並みであったという。その後、放射能の封じ込めの技術の進歩により、放射能漏れはほぼなくなった。
旧ソ連は1965年に行ったセミパラチンスクでの地下核実験で、爆発によって山が吹き飛ばされ、その時の「死の灰」は風下のセミパラチンスク市に大量に降り注いだだけでなく、微量ではあるが5日後に日本でも検出された。
中国が新疆ウイグル自治区のロプノールで核実験を行った際には、実験に使われた山中のトンネルの一部が吹き飛ぶ事故が発生しており、大気圏に放射性物質が放出された。放射性物質を帯びた雲は4000km離れた日本上空に達したという。
フランスは1960年2月13日以降、当時フランス領だったアルジェリアのサハラ砂漠で核実験を実施しており、6年間で13回行われた地下核実験のうち12回の実験で放射性物質が大気圏に放出された。
北朝鮮の地下核実験における放射能の封じ込めの技術がどの程度なのか分からないが、実験を行うたびに規模が拡大していることから危険性は高まっているといっていいだろう。
北朝鮮は1回目の地下核実験の前に、実験場がある豊渓里周辺の住民に強制移住を命じている。この措置は地下核実験後、放射能が漏れる可能性に備えたものとみられるが、詳細は不明だ。
◆日本への影響
北朝鮮が2016年1月6日の4度目の地下核実験に成功したと発表したのを受け、日本の原子力規制庁は全国約300か所のモニタリングポストの測定結果を公表し、いずれも放射線量に変化がなかったことを明らかにした。
しかし、放射能の封じ込めが不完全だった場合、日本には25~50時間後に影響が出る可能性があるという見解と、日本で健康へ影響を及ぼすことは考えにくいという見解がある。どちらの見解が正しいのか分からないが、最悪の場合、旧ソ連や中国のような山やトンネルが吹き飛ぶような深刻な事態が発生し、大量の放射性物質が放出されるかもしれない。
◆1950年代から核開発を開始
北朝鮮は2005年に核保有を公式に宣言しているが、開発には半世紀以上の時間をかけている。
1950年代から旧ソ連の支援を受けて核開発を進めてきた。1956年に旧ソ連の核研究所の創設に加わる協定を結び、モスクワ郊外にあるドブナ合同原子核研究所をはじめとする東欧諸国で技術者を研修させ、核の専門家を養成するなど核関連技術の蓄積を始めた。
採掘可能量が約400万トンの良質なウラン鉱山を持っている北朝鮮は、1959年に旧ソ連と原子力協力協定を締結し、1965年に旧ソ連から研究実験用原子炉1基(熱出力2000kW)を導入し、寧辺(ヨンビョン)に原子力研究所を設立し、同研究所を中心に原子力技術の研究開発を進めた。
1970年代に入ると、核燃料の精錬、変換、加工技術などを集中的に研究するなど、自国の技術で研究用原子炉の出力拡張に成功した。
1980年代には寧辺原子力研究所の敷地を拡張し、電気出力5MW級の黒鉛原子炉を建設し、1986年に稼動させた。また、出力50MW級黒鉛減速炉、核燃料製造工場及び核再処理工場等の核関連施設の建設を本格化させた。その後、米朝枠組み合意(1994年)で核開発凍結に合意するまでに、核兵器の原料となるプルトニウムの抽出に成功したとされる。
そして2006年、豊渓里での初の地下核実験を行い、世界で8か国目の実施国となった。
◆核兵器の開発を続ける理由
北朝鮮は長い歳月をかけて核開発を行ってきた。核兵器の開発は金正恩が暴走しているのではなく、米国の脅威を感じた金日成と金正日の「遺訓」を守ってきた結果ともいえる。
北朝鮮は米国と敵対している。その米国は広島と長崎に原爆を投下した。世界で唯一、核兵器を使用した国である。米国と敵対している国の指導者にとっては、核兵器を本当に使用してしまう米国を信用することは出来ないだろう。
もっとも、米国は北朝鮮に対して核兵器の使用を検討したことがある(1968年のプエブロ号事件など)。このため、金日成が米国の核兵器に脅威を感じたのも無理はない。金日成が経済の停滞や食糧不足にもかかわらず核兵器の開発を推し進めた目的と、中国の毛沢東が大量の餓死者を出しながらも核兵器の開発を推し進めた目的には共通点がある。
したがって、北朝鮮は米国の軍事的脅威がなくなるまで、制裁が強化されようとも、核兵器の開発とそれを運搬する手段である弾道ミサイルの開発を止めることはない。むしろ、制裁が厳しくなればなるほど開発を急ぐだろう。
2017年8月17日 7時0分
NEWSポストセブン
北朝鮮がグアム島周辺に弾道ミサイルの発射を計画していることで、アメリカと一触即発の緊迫状態が続いている。グアム当局は核兵器による攻撃も想定した緊急ガイドラインを発表するなど、いまや北朝鮮の核保有は現実的な脅威として受け止められている。
北朝鮮の核開発の進捗状況や威力、日本への影響などどれほど深刻なのか。『北朝鮮恐るべき特殊機関』などの著書がある朝鮮半島問題研究家の宮田敦司氏がレポートする。
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韓国国防省は7月5日、北朝鮮北東部の豊渓里(プンゲリ)の核実験場の状況について、「2番、3番坑道はいつでも核実験が可能な状態を維持している」「爆発力を拡大させた核実験で、核弾頭の能力を試す可能性がある」と明らかにしている。
北朝鮮は昨年の9月9日の建国記念日に5回目の核実験を実施していることから、今年の建国記念日に6回目の核実験を行う可能性もある。
北朝鮮は核実験の回数を重ねるたびに核爆発の威力を高めてきた。2006年10月の初回は1キロトン未満と推定されたが、2016年9月の5回目は広島や長崎に投下された原爆と同程度の最大20キロトンと推定されている。
米ジョンズ・ホプキンズ大の北朝鮮分析サイト「38ノース」は2017年3月10日、核実験場で坑道の掘削が続いており、地形などから昨年9月に実施された5回目の10倍以上の威力を持つ核実験も可能で、6回目の核実験を行う場合、最大282キロトン規模になる可能性があるとの分析を発表している。
◆北朝鮮の核実験の危険性
北朝鮮はこれまで全ての地下核実験を豊渓里(プンゲリ)で行っているが、このような狭い地域における地下核実験には大きな危険が伴う。地下核実験では実験の規模にもよるが、通常、地下核実験では一辺が50~60kmの砂漠で行われる。その理由は、核爆発によって破壊された地下水脈を通じて放射能が拡散することを防ぐためだ。
米国はネバダ砂漠、中国はタクラマカン砂漠、インドはタール砂漠、パキスタンはシン砂漠、旧ソ連は砂漠がないため広大な平原で地下核実験を行っている。ネバダ砂漠の核実験場は日本の鳥取県全域に相当し、旧ソ連・カザフスタンのセミパラチンスク核実験場の面積は四国とほぼ同じである。つまり地下核実験は砂漠などの広大な場所が必要になるのだ。
そのため、北朝鮮は過去に、金日成政権が旧ソ連・ブレジネフ時代(1964~1982年)の末期に旧ソ連共産党指導部に対し「核兵器を開発したあかつきには、その実験場としてソ連の地下核実験場を使用させてほしい」と非公式に要請したことがある。(「産経新聞」1993年3月20日)
金日成政権がブレジネフ政権に場所借りの要請をした時期は、1970年代末から1980年代初めで、希望した実験場はセミパラチンスクの可能性がある。
ブレジネフ政権が当時、北朝鮮の核実験場使用の申し入れにどう対応したかは明らかになっていない。しかし、このような北朝鮮の動きは、北朝鮮には核実験に適した場所がないことを北朝鮮(金日成)が認識していたことを示している。
豊渓里周辺は岩盤となっているため安全という見解があるが、度重なる実験により岩盤に亀裂ができている可能性もある。朝鮮半島は豊かな地下水脈が流れており、最終的に少量の放射性物質が日本海へ流出しないという保証はどこにもない。
◆地下核実験でも起きる放射能汚染
北朝鮮が過去5回行った地下核実験では、放射能漏れは起きていないようだ。
大気圏に放射性物質が放出された場合は、日本海を飛行する米空軍のWC-135大気収集機と、集塵ポッドを搭載した航空自衛隊のT-4 練習機で放射性粒子を収集することができる。この結果、これまでは放射性物質は観測されていない。
だが、1960年代に遡ると、米国、旧ソ連、中国、フランスは地下核実験で放射能漏れを起こしており、同様の事態が北朝鮮で起こらないとはいえない。
米国は1960年代に行った地下核実験で放射能漏れを何度も起こしている。放出された放射能の規模は大気圏内実験並みであったという。その後、放射能の封じ込めの技術の進歩により、放射能漏れはほぼなくなった。
旧ソ連は1965年に行ったセミパラチンスクでの地下核実験で、爆発によって山が吹き飛ばされ、その時の「死の灰」は風下のセミパラチンスク市に大量に降り注いだだけでなく、微量ではあるが5日後に日本でも検出された。
中国が新疆ウイグル自治区のロプノールで核実験を行った際には、実験に使われた山中のトンネルの一部が吹き飛ぶ事故が発生しており、大気圏に放射性物質が放出された。放射性物質を帯びた雲は4000km離れた日本上空に達したという。
フランスは1960年2月13日以降、当時フランス領だったアルジェリアのサハラ砂漠で核実験を実施しており、6年間で13回行われた地下核実験のうち12回の実験で放射性物質が大気圏に放出された。
北朝鮮の地下核実験における放射能の封じ込めの技術がどの程度なのか分からないが、実験を行うたびに規模が拡大していることから危険性は高まっているといっていいだろう。
北朝鮮は1回目の地下核実験の前に、実験場がある豊渓里周辺の住民に強制移住を命じている。この措置は地下核実験後、放射能が漏れる可能性に備えたものとみられるが、詳細は不明だ。
◆日本への影響
北朝鮮が2016年1月6日の4度目の地下核実験に成功したと発表したのを受け、日本の原子力規制庁は全国約300か所のモニタリングポストの測定結果を公表し、いずれも放射線量に変化がなかったことを明らかにした。
しかし、放射能の封じ込めが不完全だった場合、日本には25~50時間後に影響が出る可能性があるという見解と、日本で健康へ影響を及ぼすことは考えにくいという見解がある。どちらの見解が正しいのか分からないが、最悪の場合、旧ソ連や中国のような山やトンネルが吹き飛ぶような深刻な事態が発生し、大量の放射性物質が放出されるかもしれない。
◆1950年代から核開発を開始
北朝鮮は2005年に核保有を公式に宣言しているが、開発には半世紀以上の時間をかけている。
1950年代から旧ソ連の支援を受けて核開発を進めてきた。1956年に旧ソ連の核研究所の創設に加わる協定を結び、モスクワ郊外にあるドブナ合同原子核研究所をはじめとする東欧諸国で技術者を研修させ、核の専門家を養成するなど核関連技術の蓄積を始めた。
採掘可能量が約400万トンの良質なウラン鉱山を持っている北朝鮮は、1959年に旧ソ連と原子力協力協定を締結し、1965年に旧ソ連から研究実験用原子炉1基(熱出力2000kW)を導入し、寧辺(ヨンビョン)に原子力研究所を設立し、同研究所を中心に原子力技術の研究開発を進めた。
1970年代に入ると、核燃料の精錬、変換、加工技術などを集中的に研究するなど、自国の技術で研究用原子炉の出力拡張に成功した。
1980年代には寧辺原子力研究所の敷地を拡張し、電気出力5MW級の黒鉛原子炉を建設し、1986年に稼動させた。また、出力50MW級黒鉛減速炉、核燃料製造工場及び核再処理工場等の核関連施設の建設を本格化させた。その後、米朝枠組み合意(1994年)で核開発凍結に合意するまでに、核兵器の原料となるプルトニウムの抽出に成功したとされる。
そして2006年、豊渓里での初の地下核実験を行い、世界で8か国目の実施国となった。
◆核兵器の開発を続ける理由
北朝鮮は長い歳月をかけて核開発を行ってきた。核兵器の開発は金正恩が暴走しているのではなく、米国の脅威を感じた金日成と金正日の「遺訓」を守ってきた結果ともいえる。
北朝鮮は米国と敵対している。その米国は広島と長崎に原爆を投下した。世界で唯一、核兵器を使用した国である。米国と敵対している国の指導者にとっては、核兵器を本当に使用してしまう米国を信用することは出来ないだろう。
もっとも、米国は北朝鮮に対して核兵器の使用を検討したことがある(1968年のプエブロ号事件など)。このため、金日成が米国の核兵器に脅威を感じたのも無理はない。金日成が経済の停滞や食糧不足にもかかわらず核兵器の開発を推し進めた目的と、中国の毛沢東が大量の餓死者を出しながらも核兵器の開発を推し進めた目的には共通点がある。
したがって、北朝鮮は米国の軍事的脅威がなくなるまで、制裁が強化されようとも、核兵器の開発とそれを運搬する手段である弾道ミサイルの開発を止めることはない。むしろ、制裁が厳しくなればなるほど開発を急ぐだろう。
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