創造的深化

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危険な全体主義

2015-09-05 12:30:42 | 政治   
全体主義の起源
 反ユダヤ主義の危険性は、個人がユダヤ人という抽象の共同幻想のレッテルを貼られ、括弧付きの「ユダヤ人一般」として概念規定され種分けされる。ユダヤ人の個々の人間に接触したこともない民衆が、個人体験の蓄積もないままにイデオロギーとしいの「反ユダヤ主義」に感化され、 その抽象的幻想を憎悪していく。こうしてイデオロギー的な狂信が人々の心に共有されてしまう。この仮構された憎悪はユダヤ人幻想に限らない。私たちの周辺に、同類の憎悪幻想はいくらでも転がっているし、たちまち拡大し級友伝染していく集合の無意識に働きかける。こうした「狂信」はたちまち内戦や、戦争といった仮構された憎しみの連鎖を拡大していく。
 歴史の実体験を基にハンナ・アーレントが考え出した集団幻想感染の恐怖は、実は決して過去のものではなく、現代でも私たちを襲っている。慎重にひとつずつ検証し、否定し、解体しないと正義と考えて活動しているはずの政治的行動や運動が、実は反ユダヤ主義と同質だといえてまう場合がある。私たちをとらえて離さない幻想の恐ろしさであると同時に、なにが人類の未来にとって真実や真理いえるのか。善悪の彼岸でとらえられなければならない。 共同体の為でも、反共同性のためでも、必ず解体できる装置を備えていないと、必ず権力や宗教的な信念へと転化してしまう。


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