創造的深化

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普遍思想とは

2015-12-04 15:12:58 | 思想
普遍思想とは (相対的な社会、絶対的な個人)
 私たちは社会とかかわることで生活し、暮らしています。個人は、その社会の中で必ず何らかの組織と関わり、組織の構成員となることで生きざるを得ない宿命があります。 家族、地域、学校、団体、会社、自治体、国など、上げればきりがありません。そうした共同体の中では、個人は相対的な存在になってとしまいます。組織の一員としての自分であり、メンバーであり、自分の悩みは組織の悩みであり、自分の思いは組織の思いであり、組織人として考え、お互いに協力しあって組織を動かします。そのときの自分は共同体員としての自分ですから、自宅の模様替えや花壇の手入れは、共同体の目的とはかかわりないとすれば、それはあくまで個人的な自分だけの問題になり、自分にとっても絶対的な、個人的な要件になります。すると、自分の家に戻り、部屋に入って音楽を聴いたり読書したりという生活は、絶対的な自己の部分、それ以外は相対的な個人の部分ということになります。よく考えると、多くの場合は相対的に生きていることになります。 もし、個人にとって100%が相対的な自分になってしまったら、個人はとても苦しいことになってしまいます。自分を完全に失ってしまいますから。そこで反動として絶対化した自分を、相対的な自分に対して押し戻そうとします。自分を見失わないために、人はそうしようとします。そこに絶対思想を生み出す考えや、それにひかれていくことがあると理解できると思います。特に、普遍的な思想ほど、そうした個人の心の中へと入り込むと、絶対的な感情や、より強い絶対的な対決を迫り、自分の存在そのものを追い込むほどの考えを強いてきます。あることを選択するのか、選択しないかの二者択一を強いてきます。
 問題は、その思想が絶対思想だとしたら、真理を語る上で普遍的でなければならりません。それには党派的では普遍思想には行き着けませんから、党派を超えた思想でできているはずです。政治党派も党派的ですから、なんら普遍性はありません。宗教も、もし他宗教を排除しようという内容でしたら、その宗教はなんら普遍的な宗教ではないのです。観念の世界を無限に拡大することで、カテゴリーを混同したり、また対立しているとすけば、それは普遍的な絶対思想ではないのです。党派性を止揚して行けたときに、初めてその思想は、普遍性を手に入れているといえます。

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