くりはら田園鉄道
3月31日で廃止
宮城県北を走る第三セクター・くりはら田園鉄道(くりでん、栗原市)が31日、1世紀近い歴史に幕を下ろした。母体である栗原軌道の発足から数えて、89年余にわたり地域の足として愛され続けた鉄道。石越駅であったお別れセレモニーに、沿線はじめ県内外から多くの人が集まり、別れを惜しんだ。
セレモニーは午後7時すぎ、雨の中で始まった。社長を務める佐藤勇・栗原市長が「皆さんに支えられ最後まで運行できた。くりでんを愛する皆さんとともに今後を考えていく」とあいさつした。
くりでんで沿線の幼稚園に通っていた菅原朋哉ちゃん(5つ)と萌ちゃん(3つ)の兄妹=栗原市金成=が運転士に花束を手渡した。午後7時半、汽笛とともに、終点・細倉マインパーク前駅に向けて列車が出発。ホームは大きな拍手と「ありがとう」「さようなら」といった声に包まれた。
最盛期には200人以上いた社員も、廃線直前には20人弱で、一部業務はOBたちが支えた。かつて総務課長を務め、現在は臨時駅員として働く社内最年長の菅原さん(70)は「地域の皆さんに愛されて、最後までやってこられた。心から感謝したい」と目を潤ませた。
くりでんは1918年に私鉄・栗原軌道として発足、21年に営業を開始した。栗原電鉄時代の50―70年代は毎年100万人超の乗客を運び、細倉鉱山の貨物輸送にも利用された。鉱山閉山で経営危機に陥り93年に三セク化したが、利用減に歯止めがかからなかった。県の補助金打ち切り方針などもあり、廃線に至った。石越―細倉マインパーク前の全16駅、25.7キロ。営業した86年間の乗降客は延べ5744万7000人に上る。
電車時代からずっと見守ってきた「くりでん」だけど、こうなるのはすでに細倉鉱山が閉山になった時から解っていたけど、今まで、住民のみんなが存続に向けていろんな努力をしていたのを知ってる私には残念と言うより、悔しさもあります。時代の流れとは言え、今までの長い歴史に終わりを告げるのはあまりにも可哀想と思いました。