3月18~19日に名古屋へ家族旅行に行きました。18日は徳川美術館に行き、19日は名古屋城に行きました。名古屋城へは、たぶん、小学校の頃に行ったと思うのですが、それ以来のことで、本当に久しぶりでした。


ホテルの部屋は名古屋駅近くの高層階だったので、窓から名古屋城を見ることができました。名古屋城のHPによると、名古屋城は1610年から18年にかけて、徳川家康が子義直の為に築城したものだそうです。加藤清正、福島正則など、西国・北国大名20家に命じ、諸大名の抑止効果も兼ねて築城を開始したとのことです。


名古屋城へは地下鉄で行きました。名古屋駅から地下鉄桜通線に乗り、栄で乗り換えて名城線で2駅目の名古屋城駅で降りました。駅から外に出ると、そこに金シャチ横丁(宗春ゾーン)という食堂街がありました。


入り口には立派な金シャチがあると思ったら、水飲み場のようでした。



金シャチ横丁から東門に向かって進みました。途中のお濠は立派でしたが、水はありませんでした。

そして、東門の入り口に着きました。

地図も載せておきます。


正門は少し離れているのですが、この日は正門から入ることにしました。途中、ドルフィンズアリーナという愛知県体育館がありました。



体育館を過ぎると、重要文化財の二之丸大手二之門があります。


門を過ぎると、また金シャチ横丁(義直ゾーン)がありました。

ここも食堂街です。

入り口にはやはり水飲み場の金シャチがありました。



そして、ようやく正門に着きました。名古屋城のHPによると、正門は一部の家臣しか出入りできない格式高い門だったそうです。明治43年に江戸城から蓮池御門が移築されたのですが、戦災で焼けたため、昭和34年に再建されたものだそうです。


正門をくぐると天守閣がすぐ目の前に見えました。

正門を振り返ってみました。

すぐ左手には大変大きな木がありました。

樹齢600年以上のカヤの木で、天然記念物に指定されているようです。

葉を見ると、確かにカヤノキのようです。

ここからどこに行けばよいのかと正門付近でうろうろしていると、突然、槍を持ち、時代衣装を着た武人に声をかけられました。
「おぬしたち、いずこより参られた。」
「奈良です。」
「して、大和の国のいずれより。」
「郡山。」
「おー、秀長公のお国からか。」
とにかく、びっくりしました。でも、写真を撮らせてもらいました。お付きの方から一緒に撮りましょうと記念写真も撮ってもらいました。

いったい誰なのか、そのときはまったく分からなかったのですが、この後、本丸御殿の見学中にふと外を見ると、先ほどの武人の姿が見えました。旗を見ると、どうやら前田利家公だったようです。

着ていた羽織の背には立派な像が刺繍されています。後で調べると、加賀前田家伝来の重要文化財「刺繍菊鍾馗図陣羽織」の鍾馗(しょうき)図を象った刺繍のようです。ついでに、この武人は「名古屋おもてなし武将隊」のお一人だったようです。HPによると、「名古屋おもてなし武将隊」は有名武将6名、足軽4名で結成され、交代で出陣しているようです。名古屋城出陣表によると、19日は利家、太助と書かれていました。それにしても驚きました。


ホテルの部屋は名古屋駅近くの高層階だったので、窓から名古屋城を見ることができました。名古屋城のHPによると、名古屋城は1610年から18年にかけて、徳川家康が子義直の為に築城したものだそうです。加藤清正、福島正則など、西国・北国大名20家に命じ、諸大名の抑止効果も兼ねて築城を開始したとのことです。


名古屋城へは地下鉄で行きました。名古屋駅から地下鉄桜通線に乗り、栄で乗り換えて名城線で2駅目の名古屋城駅で降りました。駅から外に出ると、そこに金シャチ横丁(宗春ゾーン)という食堂街がありました。


入り口には立派な金シャチがあると思ったら、水飲み場のようでした。



金シャチ横丁から東門に向かって進みました。途中のお濠は立派でしたが、水はありませんでした。

そして、東門の入り口に着きました。

地図も載せておきます。


正門は少し離れているのですが、この日は正門から入ることにしました。途中、ドルフィンズアリーナという愛知県体育館がありました。



体育館を過ぎると、重要文化財の二之丸大手二之門があります。


門を過ぎると、また金シャチ横丁(義直ゾーン)がありました。

ここも食堂街です。

入り口にはやはり水飲み場の金シャチがありました。



そして、ようやく正門に着きました。名古屋城のHPによると、正門は一部の家臣しか出入りできない格式高い門だったそうです。明治43年に江戸城から蓮池御門が移築されたのですが、戦災で焼けたため、昭和34年に再建されたものだそうです。


正門をくぐると天守閣がすぐ目の前に見えました。

正門を振り返ってみました。

すぐ左手には大変大きな木がありました。

樹齢600年以上のカヤの木で、天然記念物に指定されているようです。

葉を見ると、確かにカヤノキのようです。

ここからどこに行けばよいのかと正門付近でうろうろしていると、突然、槍を持ち、時代衣装を着た武人に声をかけられました。
「おぬしたち、いずこより参られた。」
「奈良です。」
「して、大和の国のいずれより。」
「郡山。」
「おー、秀長公のお国からか。」
とにかく、びっくりしました。でも、写真を撮らせてもらいました。お付きの方から一緒に撮りましょうと記念写真も撮ってもらいました。

いったい誰なのか、そのときはまったく分からなかったのですが、この後、本丸御殿の見学中にふと外を見ると、先ほどの武人の姿が見えました。旗を見ると、どうやら前田利家公だったようです。

着ていた羽織の背には立派な像が刺繍されています。後で調べると、加賀前田家伝来の重要文化財「刺繍菊鍾馗図陣羽織」の鍾馗(しょうき)図を象った刺繍のようです。ついでに、この武人は「名古屋おもてなし武将隊」のお一人だったようです。HPによると、「名古屋おもてなし武将隊」は有名武将6名、足軽4名で結成され、交代で出陣しているようです。名古屋城出陣表によると、19日は利家、太助と書かれていました。それにしても驚きました。
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