社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「ともに生きる たとえ産声をあげなくとも」(2007)中央法規

2015-03-09 13:46:27 | その他
流産・死産経験者で作るポコズママの会/編集

流産、死産経験者の語り。そして周産期医療に携わる医療者からの現状、課題の報告。

引用
・本当に痛みを感じて、ケアを必要としているのは、手術の傷ではなく「心」だったのです。(中略)患者は思ったり感じたりしていることの半分も表現していない、もっと言えば「表現できない」のだということを、身をもって経験しました。
・少しづつ胸の痛みが和らいできても、たとえ次の子が生まれても、亡くなった子への思いが消えることはありません。ですが、日が経つごとにあの子たちのことを口に出す機会が減りました。周囲からは立ち直ったと見えるかもしれません。乗り越えたと思われるかもしれません。でも、本当は人に話さなくなっただけで、心のなかではいつも存在を求めているのです。
・今では、生まれた時が0歳。お母さんのおなかの中の人生は赤ちゃんの年齢には加わりません。いまさら法律を変えるようには言わないけれど、授精したその瞬間が赤ちゃんにとっての0歳であり、生まれたその瞬間が1歳だと考えるべきだ、と私は思っています。そのような考えのもとで不育症を診ていけば、流産も死産も一人の人間としての死ととらえることができます。


喪失の体験は、ある時の特別な中に存在しているのではなく、日常のなんでもない時にも起こりうるものである。
誰にでも、どんな時にも起こりうることであっても、特別なサポートを要するからこそ、ケアとしての位置づけが求められ、学問においては研究が進められている。
当事者(体験者)の声に耳を傾け、そしてそれを生かすことがどんなに大切なことか…ということを感じさせられた。


ともに生きる―たとえ産声をあげなくとも
クリエーター情報なし
中央法規出版
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする