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三教指帰・十住心論から見る、心と宗教レベルの関係

2009-05-22 06:14:14 | 吉野修験雑記
 空海の三教指帰では、儒教ー道教ー仏教の3つの教えから仏教が最高の教えであるとしている。十住心論では顕教から密教に関心が移り、密教こそ最高の教えであり、密教に関心を持つ心の働きこそ宗教レベルでは最高とする。密教とは何かと言うと、小生自身教学的には台密を選んでいる。東密は法華経を軽視するんで小生の心情に合致しないのが大きな理由である。師僧も天台で学んだ人なんで、台密である。吉野は天台の影響下の寺院が大半を占めるが、金峰山修験本宗も名前こそ違うが「天台宗」、つまりは台密である。であるからして、法華経が一番であることは専門僧侶は熟知している。(勿論、我が師僧も)
 日蓮宗、あるいは日蓮教団は自分の行体が一番優れているとしているが、身延山に本拠を置く日蓮宗では修験まがいの荒行を経た行者を尊ぶ。つまり、初心法華行者から密教に志向しているわけだ。これについて、小生個人としては正しい見解だと思うよ。
 逆に、日蓮正宗やその影響下の教団、分けても創価学会なんかは、自分の行体が最高であるとして、初心法華行者の枠から進展しないんだな。さらには邪教呼ばわりだからな。これは、位の高い幼い子供が法王に向かって「俺の方が偉いんだぞ」と悪態を付いてるのに等しいんだな。まあ、可哀想な人と思ってこちらも接する度量が大切ではあるな。(笑)
 人の宗教志向は、心の心情のレベルを表すんで、密教を志す心情は非常に尊いことだと思うよ。
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