これから述べることは、勝手に自分で判断して教義を作っているんで参考程度に。・・・日蓮義は過去に何度も述べた様に、初心の円教を信じる衆生が、観心を成立させるためのシステム理論。その先の熟脱仏法を考えた場合、一番勝れているのは密教である。弘法大師が弁顕密二教論、秘蔵宝鑰、十住心論で力説しているのは、行法における密教の優位性にあるんですが、お大師さんが説いていることは正しいと思いますね。(ただし、天台を八位に順位づけしたのは間違っていると思います。法華経は諸経の大王であり、教相判釈に大日経・金剛頂経優位とするのは立教開宗する上で仕方がなかったんでしょうね。)
日蓮聖人の妙法曼荼羅は、日蓮聖人自身が持つ天台と真言の教義、思想の合作です。おまけに日蓮聖人独自の神道観も入っている。高野山大伽藍にある金堂には中央に薬師如来、左右に金胎の曼荼羅が向い合せに設置されている。さらに不動、愛染明王が配置され、その外側に弘法大師、高野大明神が祭祀されている。妙法曼荼羅の左右の梵字、あれは不動、愛染です。このあたり面白いですよね。前にも書きましたが、薬師如来は久遠実成釈迦を表現しています。金堂とは寺院におけるコアなんで、大日如来云々と云いつつも中心的本尊は天台と同様、久遠実成釈尊であることは間違いないですね。(このあたり私見です。笑)
金堂の後ろに聳える空を突き抜けるような大塔。これなんか、「顕教はさておき、我は秘密曼荼羅の世界に専念し大空に遊ぶ」を表現しているかのようですね。きちんとした教義体系を持ちつつも、お大師さん独特の思想観が建造物の配置から感じ取られる。妙法曼荼羅で云えば、釈尊・塔は南無妙法蓮華経になりますね。ホント似てるんですよね。・・・妙法曼荼羅の左右の梵字、不動・愛染なんですが、二体揃って仏像で祭祀しているのは他宗を見渡しても真言宗のお寺くらいですね。日蓮聖人は台密より東密の影響の方が強いように思います。妙法蓮華経は五輪を象っているんですが、五輪は真言の覚鑁上人が教義で体系づけてからメインになっています。弘法大師はその著書を読んでも六大主体。六大から五大への宇宙観は覚鑁上人の影響が大ですね。
日蓮聖人は覚鑁上人の著書、五字九輪秘密釈の書写も行っていますし、理性院流の血脈を受け継いでいるとも云われていますんで、東密の影響は十分考えられますね。日蓮聖人は後年、真言をボロクソに批判するんですが、本当に尊敬していたのは弘法大師だったのではないかと思いますね。伝教大師よりも。・・・真言宗の教義体系の誤りを批判することで、弘法大師の真言教の真実を述べたかったのではないでしょうか?開目抄に教相では法華経を大日経より下に置いているが、事相で天台の光定等に教授する時、法華経を大王の如く大日・金剛頂経を左右の臣下の如く云々はその内面にある心の表れでしょうか。(日蓮さんはお大師さんは認めているんですが、著書として出されている教義には正義を貫いているんですね。)
私個人としては、顕教に日蓮義を、密教では東密重視としています。日蓮義の次は密教を学ぶべきでしょうね。まあ、信仰の個人差もあるんで何とも云えませんけど。日蓮義に狂信的な態度、考えこそ非常に危険ですし、大きな間違いだと断言できます。日蓮義は初門。一段落着いた後で、そこから飛び出さないと駄目ですね。
日蓮聖人の妙法曼荼羅は、日蓮聖人自身が持つ天台と真言の教義、思想の合作です。おまけに日蓮聖人独自の神道観も入っている。高野山大伽藍にある金堂には中央に薬師如来、左右に金胎の曼荼羅が向い合せに設置されている。さらに不動、愛染明王が配置され、その外側に弘法大師、高野大明神が祭祀されている。妙法曼荼羅の左右の梵字、あれは不動、愛染です。このあたり面白いですよね。前にも書きましたが、薬師如来は久遠実成釈迦を表現しています。金堂とは寺院におけるコアなんで、大日如来云々と云いつつも中心的本尊は天台と同様、久遠実成釈尊であることは間違いないですね。(このあたり私見です。笑)
金堂の後ろに聳える空を突き抜けるような大塔。これなんか、「顕教はさておき、我は秘密曼荼羅の世界に専念し大空に遊ぶ」を表現しているかのようですね。きちんとした教義体系を持ちつつも、お大師さん独特の思想観が建造物の配置から感じ取られる。妙法曼荼羅で云えば、釈尊・塔は南無妙法蓮華経になりますね。ホント似てるんですよね。・・・妙法曼荼羅の左右の梵字、不動・愛染なんですが、二体揃って仏像で祭祀しているのは他宗を見渡しても真言宗のお寺くらいですね。日蓮聖人は台密より東密の影響の方が強いように思います。妙法蓮華経は五輪を象っているんですが、五輪は真言の覚鑁上人が教義で体系づけてからメインになっています。弘法大師はその著書を読んでも六大主体。六大から五大への宇宙観は覚鑁上人の影響が大ですね。
日蓮聖人は覚鑁上人の著書、五字九輪秘密釈の書写も行っていますし、理性院流の血脈を受け継いでいるとも云われていますんで、東密の影響は十分考えられますね。日蓮聖人は後年、真言をボロクソに批判するんですが、本当に尊敬していたのは弘法大師だったのではないかと思いますね。伝教大師よりも。・・・真言宗の教義体系の誤りを批判することで、弘法大師の真言教の真実を述べたかったのではないでしょうか?開目抄に教相では法華経を大日経より下に置いているが、事相で天台の光定等に教授する時、法華経を大王の如く大日・金剛頂経を左右の臣下の如く云々はその内面にある心の表れでしょうか。(日蓮さんはお大師さんは認めているんですが、著書として出されている教義には正義を貫いているんですね。)
私個人としては、顕教に日蓮義を、密教では東密重視としています。日蓮義の次は密教を学ぶべきでしょうね。まあ、信仰の個人差もあるんで何とも云えませんけど。日蓮義に狂信的な態度、考えこそ非常に危険ですし、大きな間違いだと断言できます。日蓮義は初門。一段落着いた後で、そこから飛び出さないと駄目ですね。
お大師様は、『他の思想もキチンと分かって居ないのに、いきなり密教を学んでも誤った理解しか出来ないよ』という事を言いたいんだと思います。般若心経秘鍵によれば、密教は全ての思想を含んでいるとしっかりといています。ですから、お大師様は法華経を見下している訳では無いと思います。実際、記録によれば、晩年には、東大寺で法華経の講義を何度も行っていますし、最澄のお弟子さんに法華経の密教修法『成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌』を伝授しています。その事を考えてみれば、この十住心論を書いてある通りに理解するのは難センスだと思います。
>十住心論は、あくまでも、人の心の段階を説いたものです。
秘密曼荼羅十住心論においては、心の段階を10に説いたのは建て前で、明らかに教相判釈を示した書物です。天台の五大院安然が、明らかにこれを批判しています。日本天台の上代の学者も、天台が華厳に劣るなんて言い過ぎだと判断したんでしょうね。
当時の奈良仏教を制圧するには、華厳を天台の下に置いた方が、密教を普及する上でも都合が好かったんでしょうね。お大師さんは政治的思考も卓越された方だったんで、その先が見えていたんでしょう。現に東大寺を始めとする南都仏教を、真言が思想的に呑み込んでしまいました。東大寺さんや興福寺さんの僧侶は四度加行をしますしね。
>法華経を見下して居るように見えますが、本当は違います。
勿論違います。御請来目録にも天台の書籍が入っていますし、伝教大師からも天台の書籍を借りたりしています。法華経の値打ちは重々理解していたんです。風信帖の冒頭の内容はそれを表しています。知っていただけに、これまた罪が重いんです。
>この十住心論を書いてある通りに理解するのは難センスだと思います。
その通りです。ただし、茉莉花さんの捉え方と私のは違います。お大師さんは間違ったことを書いているからナンセンスなんです。この辺誤解の無いようにして下さい。私にナンセンスって云っても詮無いことですよ。それを云うのなら、上代の天台の学者にも云って下さい(笑)。
因みに私は十住心論を20歳の時に初めて読みました。ハッキリ云って、非常に荒削りの論文だと思いました。とてもじゃないが天台には到底及びません。
真言宗戒>法華開会の戒>権大乗戒>小乗戒という教相判釈ですね。
後、一切経を読んで法華経こそ最大一、諸経の王であると改めて判釈されますが、「真言亡国」の格言は真言宗や天台宗に対抗するためのポーズにすぎず、本当は密教を法華経に次ぐものとして重要視しておられたと思っています。
でなければ、法華曼荼羅に不動明王、愛染明王の梵字を使うわけがないし、「国王のたからは左右の大臣なり・左右の大臣をば塩梅と申す、みそしを・なければよわたりがたし・左右の臣なければ国をさまらず」の一文は、「国王である法華経のたからは左右の大臣である大日経・金剛頂経なり」と解釈することもできるのです。
法華経>大日経・金剛頂経>権大乗経>小乗経というのが日蓮聖人の本当の教相判釈でしょう。
「立正安国論」の頃までは「法華・真言」と両者を並置しているので、「真言亡国」は天台宗から独立開宗したことにより、天台宗・真言宗にも対抗する必要性ができたことからのポーズであったと解釈しています。
法華経の成立を省みれば、これは小乗・権大乗の争いを実大乗である法華経の下に融和・統一するための経であり、これゆえに法華経は諸経の王なのです。
本来、法華経は他の経を否定するものではなく、全肯定した上でその全てを法華経の下で活かすものであり、これ故に一切経の功徳が法華経に集まるというのです。
正直捨方便というのは、一切経の全てが方便というのではなく、如来になれるのは弥勒菩薩のみでそれ以外は阿羅漢までしかなれないとか、誰でも如来になれるが声聞・縁覚の二乗だけは如来になれないという部分のみを方便と切り捨てているのです。
法華経と矛盾しない範囲において、一切経は全て真実であると解釈します。
これは、歴史的に法華経より前に成立した阿含経や般若経、維摩経だけでなく、法華経より後に成立した華厳経、涅槃経、大日経、金剛頂経についても有効であると考えます。
天台宗は涅槃経を法華経の補足であると考えましたが、理同事勝として大日経を法華経より上位に置きましたが、日蓮聖人は後にこれを強く否定されます。
では、大日経・金剛頂経を涅槃経同様、法華経の補足という位置に置けばどうでしょう。
大王を補佐する左右の大臣、これが日蓮聖人の本意でしょう。
今では真言宗をはじめ、各日本仏教宗派は法華経が一番尊いと習っていますが、当時は混沌としていたんでしょうね。特に密教と法華経の教判に迷っていたようです。
そこで日蓮聖人がたどり着いたらのが、法華経の下種論なんですね。これは日蓮聖人の独創ではなく、当時の比叡山延暦寺は法華経の研究が究極まで進んでいたんですね。その最先鋒が俊範法印→日蓮聖人の師匠と言われている方ですね。日蓮聖人は当時天台宗がたどり着いた下種論と畿内を遊学した結論を持って立宗の決意をしたんだと思います。
種脱相対は富士。教観相対は身延なんですが、究極のところ三大秘法の下種論を許容している点では同じですんで、ここでは下種論として置きますね。
法華経を深堀りすると下種論にたどり着くわけです。
仏教で大切な戒律も究極は法華経の下種論が基本です。→これを法華経の戒体と言うんですが、これが人が仏様になる必須条件だと日蓮聖人は結論づけたんですね。
日蓮聖人の凄いところは、この教義を具現化して世間に弘めたことと、弘教の課程で法華経の行者として自身を研ぎ澄ましたことにあります。だって、当時の天台僧侶でも法華経の下種論を理解している人は何人か居たわけですからね。戒体から云うと、法華経の下種論は円頓戒として天台や浄土等の各宗派に伝承されていますが、純粋に法華単一の下種戒体となると日蓮各宗派の三大秘法の戒体となるんではと思います。ただここでも日蓮各宗派で自宗こそ本当の三秘を維持して、他の日蓮各宗派は違うんだと主張する宗派もあるんで難しい問題ですが。
日蓮聖人自身、法華経の何たるかを悟り、理解して世間に弘めたか?なんですが、日蓮は泣かねども涙暇なし云々と後年の文章にもあり、自身名字即の凡夫と自嘲した言い方をされていますが、私は観行即の位まで日蓮聖人は到達されていたと思いますね。
かなり人間の器が調わないと行法から現証を得ることは難しいんですね。→だから、エリートの行法なんです。日本の密教は中期密教でチベット密教のようにタントラヨガが混ざった行法ではありません。唯一、求聞持法に伝承されているだけで。
お大師さんですら、求聞持法は畿内や四国で何回も行
を積んで成功し、興教大師も7回やって成功していますからね。天才ですらこれですから、密教の行は並みではありません。大学や専門学院で四度加行して、それでokでは無いんですよ、本当の密教行法は。
教した意味が無くなりますからね。それほど日蓮聖人は法華の戒体が大切だと考えていたんですね。