市場の歴史が話題になっていますが、解剖学者の養老孟司さんが面白いことを書いています。2/27産経新聞のコラム「消費者たる子どもたち」からの引用です。
>内田樹さんの『下流志向』(講談社)という本(中略)には面白いことが書いてある。いまの子どもたちの学校での態度は、市場で値切る消費者の態度と同じだという。子どもたちが授業での態度が悪いのは、私ですら聞き知っている。でもそれは、子どもたちが「ちゃんとしつけられていないから」というのが、ふつうの観測だと思う。内田さんの意見では、それは違う。いってみれば、子どもたちが消費者としてまず育ってくるというのである。<
>大学にいたときに、私がいちばん頭に来たのは、シラバスを書けという大学の注文である。今学期の各時間ごとに、なにを教えるか、内容を書いて出せという。多くの人はそれで当然ではないか、というであろう。でも私が学生の時には、そんなものはなかった。シラバスの根底にある思想は、授業は学生にとって買い物だということである。大学からすればそれは売り物だから、商品の内容をちゃんと展示する必要がある。まあ、朗細工のオムライスやラーメンと同じですな。そのうち賞味期限がつくのではないか。<
>買い物が当然であるお母さんが、子どもを育てる。子どもはまず消費者として人間世界に登場する。その子どもは学校で市場での消費者として行動を開始する。これはじつにつじつまが合ってますな。念のためだが、私は子どものときにほとんど買い物をしたことがない。<
当たり前の話のようだが、重要な視点だと思う。
市場社会においては、子どもは消費存在である。自分は働かず、親が稼いできた金でもって消費する。そこには何の課題も圧力もかからない。市場社会は、子どもを消費存在という特権階級にしてしまうのではないか。
市場社会以前の村落共同体では、大人・子供という区別はなく、子供は「小さな大人」とみなされ、小さいなりに体力や知識に応じた課題・役割が与えられていた。近代市場社会になってから、現代のような(「小さな大人」ではない)働かない「子ども」が生まれたのではないだろうか。
市場社会が広がるにつれ、子どもに対する親の過保護や子どもの人権といった権利観念によって、ますます子どもの特権階級化が進んできた。今や、精神破壊や少年犯罪、自己中が増大し、かつ低年齢化が進んでいる。その背景は市場社会が「子ども」という特権的身分を作り出し、自我肥大させたことにあるのではないか。(本郷)
>内田樹さんの『下流志向』(講談社)という本(中略)には面白いことが書いてある。いまの子どもたちの学校での態度は、市場で値切る消費者の態度と同じだという。子どもたちが授業での態度が悪いのは、私ですら聞き知っている。でもそれは、子どもたちが「ちゃんとしつけられていないから」というのが、ふつうの観測だと思う。内田さんの意見では、それは違う。いってみれば、子どもたちが消費者としてまず育ってくるというのである。<
>大学にいたときに、私がいちばん頭に来たのは、シラバスを書けという大学の注文である。今学期の各時間ごとに、なにを教えるか、内容を書いて出せという。多くの人はそれで当然ではないか、というであろう。でも私が学生の時には、そんなものはなかった。シラバスの根底にある思想は、授業は学生にとって買い物だということである。大学からすればそれは売り物だから、商品の内容をちゃんと展示する必要がある。まあ、朗細工のオムライスやラーメンと同じですな。そのうち賞味期限がつくのではないか。<
>買い物が当然であるお母さんが、子どもを育てる。子どもはまず消費者として人間世界に登場する。その子どもは学校で市場での消費者として行動を開始する。これはじつにつじつまが合ってますな。念のためだが、私は子どものときにほとんど買い物をしたことがない。<
当たり前の話のようだが、重要な視点だと思う。
市場社会においては、子どもは消費存在である。自分は働かず、親が稼いできた金でもって消費する。そこには何の課題も圧力もかからない。市場社会は、子どもを消費存在という特権階級にしてしまうのではないか。
市場社会以前の村落共同体では、大人・子供という区別はなく、子供は「小さな大人」とみなされ、小さいなりに体力や知識に応じた課題・役割が与えられていた。近代市場社会になってから、現代のような(「小さな大人」ではない)働かない「子ども」が生まれたのではないだろうか。
市場社会が広がるにつれ、子どもに対する親の過保護や子どもの人権といった権利観念によって、ますます子どもの特権階級化が進んできた。今や、精神破壊や少年犯罪、自己中が増大し、かつ低年齢化が進んでいる。その背景は市場社会が「子ども」という特権的身分を作り出し、自我肥大させたことにあるのではないか。(本郷)
おー、確かに。。。久しぶりに確かに!って思いました。
よく「子供は遊ぶのが仕事」なんてことを言う人もいるけど、よくよく考えてみると特権階級ですな。
市場は子供が欲しくなるものをつくりだす。(ゲーム、おもちゃ、カードダス?などなど)
でも子供がすることは、「これ欲しい~!!」と親にせがむだけ。
そして、お金を払うのはその親達・・・。
確かに、市場社会が「子供」を特権階級に仕立て上げ、自己中を増殖させるという切り口はその通りかも。
性市場が衰退後、市場のターゲットは「子供」に転換した?
たいてい、赤ちゃんのときから、公園とスーパーは日課だよね。
>その子どもは学校で市場での消費者として行動を開始する。
げぇーーーっ コワィ
今の市場社会でまっとうに育てようと思ったら、どうしたらいいの?
もはや消費者であることが当り前になった今の子供達はかなりヤバイかも
農家や自営業だと子供でも手伝える仕事があるのだろうが、サラリーマン家庭では、仕事を手伝う機会って殆ど無いのだと思う。
では、お手伝いは?
食事が出来合いのものだったら、準備のお手伝いもたかがしれているし、掃除と言っても広くはないだろうし、残るは、母の日の肩たたきぐらい?
最近の子供たちは、お手伝いとかしているのだろうか?
そんな子供を親が囲い込んでいるから、ますます消費者の王様化してゆく。
しっかり、バイトもさせてお金を稼ぐことの大変さを教えないと...親が甘いに尽きる!
キッザニアなんか温い!そんな中途半端なものでは圧力にもならないし、だから、活力にもならない。二重の問題だね。
「子ども」に限らず、消費だけする存在(主婦や老人も)というのは、どんな生物にもいません。
この人たちが悪いというよりも、消費存在を作り出す市場という場が自然の摂理から大きく逸脱しているということに注目すべきでしょう。
「はじめてのお使い」なんて番組もあるけど、子供の立場は”消費者”ってのが当たり前。
でも、昔は農作業のお手伝いとか”生産者”として育つのが普通。
生産者から消費者へ。この状況が子供を苦しめていると思う。