ここのところ、忙しく、ただでさえ、日記から過去録になっているブログですが、更に順調に間延びしっぱなしになってますm(__)m
まだまだ、野暮用は片付かずというか、益々増えて行っております。
そして、また、問題も発生中!はい、順調に!
①とどちゃん、Gオさん、Bこさんより先に、頭脳空白地帯が発生か事件→詳細はそのうち。
②伯父さん入院中。見舞いはどうするか騒動発生中。刻々と変化中でございますわ。(この伯父さんはこの後出てくる伯父さんとは別の伯父さんです。)
と言う訳で、ただでさえ、混乱中の我がドタマ。絡まり合っております、ハイ。
と、そんな中、弟から、曰くクロイヌ宅急便(弟の飼い犬は真っ黒いわんこで、わんこの散歩の途中で届く)が届きました。私も久しぶりにウオーキング(いやなに、ほっつき歩きですわん)に出かけていて、ポストを覗くとクロイヌ宅急便が入っていました。
この、宅急便はあて名なしなんで、GオさんやBこさんの前にとりだしておかないと、めんどっちいことになります。まあね、散歩ついでなんだし、姉さんに届けるのに、あて名はいらんべと言う事なんすけど、結構めんどくさい事になるんですわよ。
中身はDVDと写真でした。
少し前に故郷に行った時の写真。
懐かしい景色と(私はカメラを置いて行ったので、弟のカメラで写しておきました)みんなで撮った写真。
DVDは認知症でもう息子の顔もわからなくなっている伯父さんがTVの取材を受けた時の録画が入っていました。
「地域で暮らす」と言う事を考えるドキュメント番組で、60分のTV番組の録画です。伯父さんだけでなく、他の高齢者ももちろん出てくるのですが、伯父さん夫婦、結構長く出てました。
はじめは、わあ、伯父さん写ってる~~みたいな、ちょっとみーはーな感じで見ていたんですけど、久々に感動してしまいました。
一番、じ~んと来たのは、地域医療に携わっている医師が、寝たきりの100歳近くまで生きたおばあちゃんの遺影を見た後、伯父さんの家に来て、伯父さんのお地蔵さんのようになった、顔を見ながら、伯母さんに
「さっき遺影を見ながら思ったんだけど、どんな状態でも生きているって価値があるって思ったよ。そのおばあちゃんは寝たきりで、もうなんにもわからない人だったけど、でも寝たきりでも生きてるって価値があることなんだなあって。亡くなってしまって本当に生きているって価値があることなんだなって。どんな姿で、どんな状態でもね。」
と言うところです。
伯父さんは何にも(息子の顔も、診察してくれている医師の顔もわかりません。)わからなくなって、でも、何か話しかけるとにっこり、にっこり、するんです。
伯母さんのことは(妻だとわかっているかどうかはわかりませんが)大好きで、伯母さんが台所にいると、後追いしてよちよちやってきます。するとおばさんが
「なあに、お父さん、手伝ってくれるの?」と聞くと、おじさん、後ろから、伯母さんのそでをにっこりの顔で、ちょんって人差指でつつくんです。そして、伯母さんの後ろに立って、にっこり、にっこり。
お医者さんが誰だかわからないので、先生が、話しかけても、ちょっと固まって別の意味のお地蔵さんになっているんですけど、その、固まったお地蔵さんに先生は、
「若くて何でもできるから生きている価値があるんじゃなくって、おじいちゃんのようになっても、なんにも出来ない(役に立たない)けど、いや、だから、生きている価値があるなあってつくづく思うよ。」って言ってくれました。
その寝たきりのおばあちゃんも、庭の見える窓辺のベットで、ずっと外を見て過ごしていました。
ご飯を食べる時も、「今日はいつも来る小鳥がまだ、姿が見えないなあ」と言うのが気になって、ご飯が食べられなかったり、診察に来た看護師さんに、「花が…、花が…、咲いた…見て、咲いた」と言う指先には、真っ赤な大輪の牡丹の花が咲いていました。
診察をしてくれた先生に「先生…は、何…が、好…き?」
Dr。「そうだなあ、山の幸?山菜が好きだな」
おばあちゃん困ってもごもご…。
ご家族が、「自分がもう、山菜はとりに行けないから困ったと言っている。先生に何かとってきて食べさせてやりたいって思ったんだよ。」って教えてくれました。
先生が帰ろうとすると、
「先生、体に気を…つけ…てね。無…理…しないで…ね。」と先生の手を握って言います。
亡くなったのはそのおばあちゃん。遺影は満面の笑顔。邪気の全くない、まん丸のお顔のおばあちゃんがまん丸の笑顔。思わず、こちらも笑ってしまうような大笑顔なんです。
先生は、伯父さんたち夫婦が並んで笑顔で見送るのを車の中から見ながら、つぶやきます。
「都会なら、あの笑顔はあっただろうか。山奥のこの田舎だから、あの人たちは穏やかに笑顔で暮らせるんだよね。」
最後は伯父さんたち夫婦が、家の中から出てきて、伯父さんがよちよち歩く後を伯母さんがみまもりながら歩き、家の前の坂を下りてきたところで、二人並んで座り、引いて行く画面の中で、景色の中に溶け込んでいくところで終わりました。
春に私の母親が、ここから自分の生家を景色と一緒に写してと言ったのと、全く同じ景色でした。
伯父さんが認知症と診断されたのはもう12年も前です。息子の顔がわからなくなってからもう5年になります。それでも、穏やかににっこりして生きていられるのは、大好きな伯母さんと、生まれた時からずっと変わらない景色の中で、暮らせるからなんだなって。暮らしていくにはとても大変な不便なところです。
伯父さんに認知症があっても、体の方は何もないのと、伯母さんが元気でそして、なによりとても伯父さんを大事にしています。デイケアなどで写してもらった伯父さんの写真を大きくして何枚も額に入れて飾っています。息子は「今が一番ラブラブだよな。」と言うと伯母さん、「そうだな。今が一番好きだし、かわいいなあ」なんて言います。
私も、思います。
伯父さん、充分生きている価値はあります。
だって、萎えていた私の心もよみがえらせて、とってもぽっかぽかにしてくれたもの。
お地蔵さんのような、あったかなほっかり笑顔。また、見たいなあ~
※この伯父さんの家に「けいいっさ」がいました。けいいっさの生き様というか、逝き方が思い浮かびました。この家でおじいちゃんもおばあちゃんも逝きました。私たちはもう、そのような亡くなり方はできないでしょうが、伯父さん伯母さんは自然にこの地にいてほしい。そう思います。