只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は少し暖かい気がします、晴々の天気です

2016-01-31 09:47:08 | 日記
今回は公案です。

ある日、禅師が弟子の百丈とともに、外出した。
野鴨が飛んで行くのを見て、
禅師が言った。…「あれはなんだ?」
百丈が答えた。…「野鴨です」

禅師が再び言った。…「どこへ行ったのか」
百丈が答えた。…「どこかへ飛んで行きました」
すると、禅師が、百丈の鼻をつまんでひねった。
百丈は、痛くて、「イタタタタ!」と声を出した。

そのとき、禅師は言った。
「少しも飛び去っていないではないか」
と、いう公案です。

公案は真実を見極める実践です。
ですから私(思考)の世界、幻想世界ではわりません。
真実世界から観れば何と言おうと“それがそれ”です。
正解も無ければ間違いも無いということです。

「野鴨」を、例えば『白鳥』と言ってもいいのです。
「野鴨」は真実世界には無く、『豚』も無くすべてはひとつです。
ですから何と言おうといいのです。

しかし、「どこへ行ったのか」と言われれば、真実世界には
方向はありませんから“今ここ”だけです。
すべて中心ということです。
目を閉じると暗闇になりますが、暗闇のどこが中心かというと
意識が向いたところです。

その意識を“真の自分”とも言えますね。.


只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・・境というかくぎりというか外債というか、
これが明確になったときが悟り …前回

     『そうすると現実は常に現実でしかなくて、しかもその現実は
         常に流転をしてなくなっておるってことがはっきりわかる
。』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
幻想から脱出すると現実です。常に現実で今です。
一時も止まることのない現実で今です。

雲のように姿形を変えて行きます。
例えば、今にも雨が降りだしそうな雲の現実で今です。
秋空の夕陽にあたる雲も現実で今です。

このように流転している今で、
今は止まることの無い“永遠の今”です。

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