只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

昔の車、懐かしいダットサンです

2016-04-14 09:35:43 | 日記
記憶にあるダットサンはよくさつまいもをいっぱいにした
袋を積んで運んでいました。ところが三輪車ですので畑のなかで横倒しになり
二人ぐらいでまた立て直していましたね。笑




よく言うことがあります。
友人は本当に必要ですか?
ひとりで居ると寂しいですか?

ほとんどの方が友達はいたほうがいいと、
みんなとワイワイガヤガヤやったほうがいいと言われます。

これは前提に『みんなとなかよし』でなければならないが
刷り込まれているのですね。
いわゆる脅迫観念があるのです。

小さい頃に両親から太郎君や花子ちゃんと
「なかよく遊びなさいね、喧嘩しちゃダメよ~」
と、当たり前の如く教え込まれてきたのです。

つまり「なかよく遊ばないとダメですよ」ということです。
そして「喧嘩しちゃダメですよ」ということです。
合わせると『仲良く』は『喧嘩』ということですね。

こうなれば“自由自在”ができなくなるのです。
事実は『仲良く』も『喧嘩』も無く“今”のその時その場で終わりです。
ですから『太郎君や花子ちゃんと遊びなさいね~』です。

『遊びたくない?』と言ったら『あっ、そう』で終わりです。(笑)
『仲良く』も『ダメ』も無く事実に目覚めるのが只の道です。

さぁ~今、只、“実践”です。


只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・そのもの自体を抜きにして他所へ解答を探しにいく癖がある。…前回まで

   『他所とは観念の世界であり、概念や道理の世界、つまり虚像妄想を言う。
     即座に心を持ち出して考えたり探したりする思惑のことである。
    つまり最も近くに既にある「それ自体」に気が付かないと言うことである
。』

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
すなわち「思考する癖」のことを言っているのです。

「それ自体」に気が付かないとは、
この「思考する癖」が動く心だからです。
ですからわかるはずがありませんね。

繰り返し述べていますが動かない心が“一心”です。
“一心”には観念がありません。
つまり“無思考”ということです。

思考する癖」を落とすとお気楽になり
“真実世界”が広がってきます。

落としていくには弛まぬ“実践”です。


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