只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

朝方はひんやりと肌寒さを感じます。

2016-11-02 10:01:25 | 日記
山畑のカブの苗も元気よく育っています。
カブは大根系かな…と思っていましたが、
これは野菜系だそうです。少しずつ知識が増えてきます。笑





【寒いも暑いも、事実には無いことがわかるための
 “只なる実践”です。真実と幻想を完全に見極められたら
 私(思考)が無いということがわかります。】

前回も述べましたが、後を振り返る癖がなければ
“今”だけに生きている“絶対安心”の境地 ですね。

「しかし、でも、何だったかな…」と
思い考える癖が出てくるのです。
これが「後を振り返る癖」であり「思考癖」です。

忘れ物は無いかな…
あの人は誰だったかな…
昨日は寒かったな…
選挙に行こうかな…行かなければ…
あっ、今のは!…わからない…俺もボケたな…

この様に、見たものに、聞いたものに、浮かんだ念に
すぐ取り付いて幻想し続けるのです。
エンドレス状態になりどうしようもなくなるのです。

「なぜそのようになるか?」ですが
それはおわかりのとおり「幻想」だからです。(笑)

事実は“これはこれ、あれはあれ”ですから
迷いは無くはっきりしているのですね。

事実に目覚めるよう“只なる実践”の継続です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『それで道元禅師は心意識の運転を停め、念想観の測量を停め、
     一切の精神作用から離れてみなさい。
   そして作仏と図ることなかれと。修行をして悟ろうとか、
   法を得ようとか、無我になろうとか、身心脱落しようとか、
  楽になろうなどという自分も捨てなければ駄目だぞと言われたのは、
   この大事な「道」「法」を得る要であり心得だからです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“実践”の道は、何かあったら一向に進まないと
言われています。

私(思考)は、“実践”の道を“只の道”として受け止め、
そこを淡々と歩いています。

何も無いところを、頭の中が“空っぽ”と捉え、
その中に好からぬものを取り入れないことです。

事実はご承知のとおり、頭の中には
心配、不安、苦悩、恐れ等は
有りもし無いのですから、わざわざ取り入れる
必要は無いのですね。(笑)

何もかも一旦忘れ去り精神活動を止めたら、
そこに“歴然たる真実”が現れます。

それを感じ取りわかるための“只なる実践”です。


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