只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

1日中、あちらこちら行っている気がしますがいつもここですね。

2016-11-01 10:08:25 | 日記
山にある自然の“南天”です。
ここの場所を“南天”で埋め尽したいと計画しています。笑




【夜が過ぎたら朝になるのです。これは宇宙の原則です。
 ですから原始時代も“今”も同じですね。
 宇宙の原則は過去も未来も無く“今”だけです。
 過去や未来や現在は、私(思考)が創作したもので事実にはありません。】


私(思考)は何かあるとすぐ飛び出す癖があるのです。
これが頭の中で騒ぐ「思考癖」というものです。

主なものに、やったことにすぐ後付けをする癖です。
また思考したことにすぐ後付けをする癖です。

それはやったことに、また思考したことに
すぐ振り替える癖があるからですね。
その「思考癖」の出る速さが、約0,01秒と来るからわからないのです。

この「思考癖」の出る速さで“事実”を
覆いかぶすから幻想世界になるのです。

しかし、ゆっくりとそれらを心眼で観てみると
よ~くわかってきます。

心眼があるわけではないのですが、思考の付いて無い
純粋な心の眼といえるでしょう。

その心眼で覗く速さが、超スローモーションになれば
よ~く観えてわかってきます。

そして観えてわかってきたら、それが
消えていくのもわかります。

でも消えていったから、もう二度と出て来ない
簡単な「思考癖」ではありません。

おわかりになっているとは存じますが、「思考癖」は
超強力な接着を持っていますから、簡単に「ああ、そうですか」と言って
離れていくものではありません。(笑)

どこともなく忍び寄って来て、いつの間にか
自分に化けている厄介なものです。

“只なる実践”が進んできますと、後付けをする癖
振り替える癖が弱ってきますので“お気楽”になります。

お気楽”な人生か、「思考癖」の強大のままの人生かは
やる!”か、やらないかで決まります。
 


只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『禅の極意は馬鹿になることです。自分が無くなりますから
  気に掛からなくなる、気楽になる。自然にのんびりしてきます。
    思いや感情を一回全て放してしまうことです。
       それが坐禅の極意です
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“只なる実践”は思考癖の無い状態にするのです。
実践とかをしていない人にはさっぱりわかりませんね。

「仕事が辛い」と言う方は、それは頭の中の思考癖で
あるということがわかりません。

実践をやっている人は、“仕事は仕事、辛いは辛い”は
文字で言葉であって、事実には無いとわかりますから
仕事とも思わず“只、それをやっている”のですね。

辛いがやって来たら“只、一旦休憩”ですね。
辛くても頑張れ!後には良い事が待っているぞ!は
思考癖です。(笑)

ですからそんな思考癖を葬り捨てて
只、淡々とやることをするだけですね。


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