只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“無い”とは、“絶対安心”の境地を指します。 

2018-03-04 09:10:12 | 日記
「幸せになりたい~」と、外を探すのは幸せでは無い
からですね。

でも「外の世界」には何もありませんから、永遠に
幸せにはならないということです。

そして現実は「幸せではない自分」のままということです。

つまり今の心が満たされないという心ですから、どこまで
いっても満たされずにいるということです。

今の心とは、思う心の私(自我)ですから、幸せがどこかに
あるのではと外を探し回っているということです。

外の世界など“無い”のですから、外を探し回るのを
綺麗サッパリ諦めたら“今ここ”にあることがわかるのです。

それは思考世界の幸せではなく、不幸の無い“真の幸せ”ということです。

これをわかるため、体得するため“只なる実践”の持続を
やっているのです。

生まれて何もわからないところから、思考世界に入って
きたわけですから私(思考)が本当だとしても何ら
可笑しいことはありません。

しかし繰り返し述べている通り、そこには迷って「苦悩」
する私(自我)が発生するのですね。

空”であり“無”であり“神仏”そのものである、
“真の自分”の中に汚れが発生するということです


それで偉大なる本来の“真の自分”は、その汚れに対して
微動することなく“只、見ている”だけです。

私(自我)という幻想が問題を創作し、それに迷って「苦悩」するいうことです。
厳密に言うと、頭脳が物事に対して深く認識をすると
いうことですね。

事実の物事は、竹であれば竹です。
竹細工をして、この世にはないほどの見事な作品を
生み出す職人さんがいらっしゃいますが、これは間違いなく本来は竹であるのです。

ですから繰り返し述べている通り、私(自我)という幻想は
この世に“無い”のですから、“無いものは無い”と
“自覚”し見極めればいいのですね


ここでの“只なる実践”の持続は、“無い”ものを「在る」とする
私(思考)を打ち消す“心の修行”です。