只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

昨日は縁のある人達と焼肉食べ方でした。笑

2018-01-15 09:31:11 | 日記
散歩の途中で見る、雪化粧した霧島山です。
幻想してみれば若かりし頃、雪に埋もれ突風の吹く山頂で、
初日の出を何年も見に行ったものです。笑




『知覚』を構成するものは、5つの要素と言われていますが
実体はありません。

一つは、物体の現象のこと。
二つ目は、感覚のことで、目で見て感じること。
三つ目は、例えば寒暖を感じる知覚作用のこと。
四つ目は、憎みとか恨みたくなる意志の作用のこと。
五つ目は、現象と感覚と知覚作用が結びつくと
     認識が起こること。

人間は眼、耳、鼻、舌、触感の身体で感じて心で
意識するのです。

認識があれば物体があることがわかるのです。

しかし、物体があってそれを見ても、目に入らなければ
無い”のと同じなのです。

ある物を探していて、それは目の前にあるのですが
いくら探しても無いのです。

冗談みたいですが本当のことなのですね。

他の人が見つけて「ほら!目の前にあるじゃん」と
教えてくれるのです。(笑)

これはその時、見ても見てない状態で心が働かないのですね。

ですからこれを“無心”とも“一心”、“真心”とも
呼ぶのです。

例えばあちこちに立ててある宣伝用の看板、車内から移り
変わる風景を見ても、看板を意識しない、風景を認識
しなければ気が散らずお気楽気分となるのです。

同じくその時、聞いても聞かなければ心が動かない状態で、
“何も無い”と言うことです。

犬の糞を動物の死骸を見ても、自分の悪口を散々言われても
聞いて聞かなければ何もありません。

これは弛まぬ“只なる実践”の持続で明かになってきます。