朝方、西の空に沈んでいく月です。
この様に永遠に繰り返しています。
画像の月は小さく写っていますが、沈んでいないときは
かなり大きくて安心感が漂いました。
“真実”は思考ではどうやってもわかりません。
つまり私(思考)になっている以上、永遠にわからない
ということです。
なぜなら私を、思考を超えたところが“真実世界”
だからです。
また思考を超えた“真実世界”には言葉はありませんし、
知識も無く、認識も無く、感情も何もありません。
それが偉大さを超えた“真の自分”です。
このたった“ひとつ”が存在するだけで、他は“何も無い”のです。
この“ひとつ”という森羅万象は、私(思考)には信じる
術がありませんから考える必要はまったくありません。
ですから思い考えがなければ、“真実”の彼方から
やってくるのです。
それが嘘でも本当でも無い、正真正銘の“真実”であり、
弛まぬ“只なる実践”の持続で明かになってきます。
この様に永遠に繰り返しています。
画像の月は小さく写っていますが、沈んでいないときは
かなり大きくて安心感が漂いました。
“真実”は思考ではどうやってもわかりません。
つまり私(思考)になっている以上、永遠にわからない
ということです。
なぜなら私を、思考を超えたところが“真実世界”
だからです。
また思考を超えた“真実世界”には言葉はありませんし、
知識も無く、認識も無く、感情も何もありません。
それが偉大さを超えた“真の自分”です。
このたった“ひとつ”が存在するだけで、他は“何も無い”のです。
この“ひとつ”という森羅万象は、私(思考)には信じる
術がありませんから考える必要はまったくありません。
ですから思い考えがなければ、“真実”の彼方から
やってくるのです。
それが嘘でも本当でも無い、正真正銘の“真実”であり、
弛まぬ“只なる実践”の持続で明かになってきます。