とにかく頭の中を“空っぽ”に近づけることですね。
思い込みを忘れきることです。
「思考心」は、例えば真ん中にデーンと居座って動じなければお気楽です。
「思考心」は動き回るからやっかいとなるのです。
例えば、“純心”は思考の無いもので自由自在で、大安楽ということです。
ですから、自分勝手に動き回る思考をおとなしくさせるのです。
ほとんどの方が、自分勝手に動き回る思考を気が付かないのです。
それだけ動き回っているのです。(笑)
例えば金儲けのことなど回りっぱなしです。記憶を使ってこの様に、
ああすれば、こうすれば絶対…と思考するのです。
万が一、思考通りになる場合がありますが、
どちらにしてもそれは幻想には間違いありません。
思考しなくても0,1mmも狂わず“成るようになる”のです。
ですからすべてはお任せ、お任せの心境ということです。
「何にお任せするの?」と言われそうですが、これは思考に繋がない、
思考しないということです。
“成るようになる”は思考通りにならないということです。
逆の「成るようにならない」は思考通りですね。
言い方を変えると、思考しても思考しなくても結果は“成るようになる”のです。
ですから思考入れず“今、今、今”と今を離さない事ですね。
只の道…淡々と歩く
2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
想いを働かせれば、真理は隠され 想いを止めれば、暗く澱んでしまう… 前回
『有念も無念も徒に精神を疲れさすばかり
そのどちらも好んでも避けてもならない』
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
有念と無念は相対です。
ですから精神疲労を起こすのです。
例えば、勝った負けたの有念と
負けて残念、無念だ! は思考ですね。
その両方にも飛びついてはならないということですね。
どのように避けようかと思考しないということです。
勝ち負けの“それ”しかありませんので、
勝ちとか負けとか言葉がなく“それ”ひとつです。
すべてが思考無く“ひとつ”ということです。
思い込みを忘れきることです。
「思考心」は、例えば真ん中にデーンと居座って動じなければお気楽です。
「思考心」は動き回るからやっかいとなるのです。
例えば、“純心”は思考の無いもので自由自在で、大安楽ということです。
ですから、自分勝手に動き回る思考をおとなしくさせるのです。
ほとんどの方が、自分勝手に動き回る思考を気が付かないのです。
それだけ動き回っているのです。(笑)
例えば金儲けのことなど回りっぱなしです。記憶を使ってこの様に、
ああすれば、こうすれば絶対…と思考するのです。
万が一、思考通りになる場合がありますが、
どちらにしてもそれは幻想には間違いありません。
思考しなくても0,1mmも狂わず“成るようになる”のです。
ですからすべてはお任せ、お任せの心境ということです。
「何にお任せするの?」と言われそうですが、これは思考に繋がない、
思考しないということです。
“成るようになる”は思考通りにならないということです。
逆の「成るようにならない」は思考通りですね。
言い方を変えると、思考しても思考しなくても結果は“成るようになる”のです。
ですから思考入れず“今、今、今”と今を離さない事ですね。
只の道…淡々と歩く
2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
想いを働かせれば、真理は隠され 想いを止めれば、暗く澱んでしまう… 前回
『有念も無念も徒に精神を疲れさすばかり
そのどちらも好んでも避けてもならない』
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
有念と無念は相対です。
ですから精神疲労を起こすのです。
例えば、勝った負けたの有念と
負けて残念、無念だ! は思考ですね。
その両方にも飛びついてはならないということですね。
どのように避けようかと思考しないということです。
勝ち負けの“それ”しかありませんので、
勝ちとか負けとか言葉がなく“それ”ひとつです。
すべてが思考無く“ひとつ”ということです。