よく、歩くとはどうするのだと言われます。
ですから私(思考)は、
『まず右足を前に出して次に左足を前に出します』と言います。
ある人は太ももを上げます・・と言います。
子供は、手を大きく振って足を上げます・・と言います。(笑)
この様に言葉を使えばその人それぞれの思いになります。
これは正解でもなければ間違いでもありません。
しかし私(思考)を持ち出すと問題になってくるのです。
私(思考)は正解を探すからです。
さらに間違いを正す癖があるからです。(笑)
正解でもなければ間違いでもありませんと、いうことが理解
できないのです。
それは言葉を探すからです。
探しても言葉は幻想ですから、どこまでいってもエンドレスですね。
では冒頭の「歩くとはどうするのだ」は
幻想無く『立って歩いてみればいい』のです。
思考世界でなく、事実を直視した人生を過ごすのです。
只の道…淡々と歩く
2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
全ての二元対立は一元から生じるが
その一元さえ執着してはならない… 前回
『心が生じなければ 世界が背くことはない
何も背くことがなければ すべてはあるがままだ』
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
思考が動けばいろんなものが変化します。
ひとつだったものが数多くなるということです。
もちろん思考が無ければ、それはそれで始まって終わりです。
厳密には始まって終わりもなく“無思考”です。
そして“ひとつ”も厳密にいえば“無思考”です。
“一心”は心が動かないあるがままのことですね
。
ですから私(思考)は、
『まず右足を前に出して次に左足を前に出します』と言います。
ある人は太ももを上げます・・と言います。
子供は、手を大きく振って足を上げます・・と言います。(笑)
この様に言葉を使えばその人それぞれの思いになります。
これは正解でもなければ間違いでもありません。
しかし私(思考)を持ち出すと問題になってくるのです。
私(思考)は正解を探すからです。
さらに間違いを正す癖があるからです。(笑)
正解でもなければ間違いでもありませんと、いうことが理解
できないのです。
それは言葉を探すからです。
探しても言葉は幻想ですから、どこまでいってもエンドレスですね。
では冒頭の「歩くとはどうするのだ」は
幻想無く『立って歩いてみればいい』のです。
思考世界でなく、事実を直視した人生を過ごすのです。
只の道…淡々と歩く
2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。
全ての二元対立は一元から生じるが
その一元さえ執着してはならない… 前回
『心が生じなければ 世界が背くことはない
何も背くことがなければ すべてはあるがままだ』
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
思考が動けばいろんなものが変化します。
ひとつだったものが数多くなるということです。
もちろん思考が無ければ、それはそれで始まって終わりです。
厳密には始まって終わりもなく“無思考”です。
そして“ひとつ”も厳密にいえば“無思考”です。
“一心”は心が動かないあるがままのことですね
。