只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

体が柔らかくなるのが楽しみです

2015-12-11 09:35:27 | 日記
人の噂話が聞こえます。
何かな…?と耳を澄ますのは私(思考)です。
〇〇〇〇だって!と聞こえるのが
『只の音』であれば意識です。

すべて聞こえるのが『只の音』であれば問題はありません。
脳が判断しないからです。

野鳥の「めじろ」が美しくさえずります。
「めじろ」が鳴いていると、
心が爽やかに透き通る感じになれば脳を使っているのです。

実践”は『音』を意識するのです。『音』と一体になるのです。
『音』を『音』と思わず『音』に成りきるのです。
脳を動かさないレッスンですね。

『音』を、あれは飛行機だ、友達が声かければ〇〇君だ、
サイレンを非常事態だ、カァーはカラスの鳴き声だ、
としない“実践”です。

「ブーンブーン」と聞こえれば「ブーンブーン」です。
「ヤァ、元気!」と聞こえれば「ヤァ、元気!」です。
「ウィーン、ウィーン」と聞こえれば「ウィーン、ウィーン」です。
「カァー、カァー」と聞こえれば「カァー、カァー」です。
このようになると様々な問題も無くなりますね。

多くの方が「カァー、カァー」はカラスと決め込むと
問題が起きてきます。
静かにしていた脳が立ち上がるからです。(笑)

でも?車もカァーと言うしなぁ~、一概にカラスとは言えないなぁ~、
まだ他にいろいろあるんじゃないかと探し回る事もしかねません。

「カァー、カァー」は「カァー、カァー」で決着です!(笑)


只の道…淡々と歩く
2回目となる僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、
私(思考)が観てみましょう。

あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

真理を追い求めてはならない
    ただ相対的な見方をやめなさい… 前回

   『二元的な分別にとらわれて
        現れを追ってはならない


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
迷いに引き摺られる過程のことを言っているのですね。

二元的な分別にとらわれて、現れを追えば迷いの中に
入っていくということです。
ですから「現れを追ってはならない」と
述べているのです。

真実は“ひとつ”です。
そもそも二元的な分別が幻想ですから、現れたら知らん顔、無視する、
相手にしない、手を付けないことが肝心ですね。

それが何もしない“実践”です。