祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

第20回(日露戦争 旅順口陥落)

2011-11-06 09:51:20 | 日記
19.旅順口陥落の報に喜ぶ


 私が日本を船出したのは四月の中旬で、五月一日にシスコに上陸して以来、日露戦争のことは殆ど忘れ勝ちとなっていた。クラブでは新聞を取らんので、日本の戦争の進展など知ることができず、また働き先でも英字新聞を読んだことがなく、アメリカ人からも一度も日本軍の戦勝の話しなども聞かないので、全く聾唖者に過ぎなかった。これは私ばかりでなく、交際していた在留の友達も皆戦争にはツンボ桟敷にいたようだった。 
1905(明治三十八年正月元旦)年の一月一日、私は早朝起きて、家の前を掃除していると、ガラン、ガランとベルを鳴らして新聞ボーイが走って来て、”Extra, extra, a big war news” (号外、号外、大きな戦争ニュースです。)と号外の紙を配っていたので、私は”Say, give me the extra.”と一枚もらって見て吃驚した。新聞号外の題目(Caption)に、旅順口の陥落が報道せられているので、知らず、知らず「万歳」の喚声がでた。直ぐ家へ飛び込んで、主人に号外を見せると、主人も喜んで
“Bravo, Japanese army under General Nogi gained a brilliant victory at Port Arthur.”(万歳、乃木将軍指揮のもとに、日本軍は旅順口において輝々たる大勝利を博した)と、夫人にも号外を渡して共に喜んでくれた。
これは異国での、またとない最良のお年玉であった。世界に誇って難攻不落の旅順口も、莫大な犠牲を払った結果、遂に乃木将軍によって陥落し、水子営でステッセル将軍と会見するに至ったとの元旦の吉報に接して、改めて”Indeed I am a Japanese even I am living in America.(アメリカに生活していても、我は真の日本人である。)との感を深くして、日本人たるの名誉を傷つけないように努めたいと心に誓った。