祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

スクールボーイの変遷(1)

2012-01-21 21:36:09 | 日記

自叙伝を読んでいると様々な家庭で働いています。ざっと読んだだけで11家庭でスクールボーイをしたようです。お世話になった家庭の子孫の方は今どうしているのでしょう。

1904年  クレー街(Clay Street)の下町ではじめてのスクールボーイ
    シスコ市南部海辺の老夫婦家でスクールボーイ
1905年  ユダヤ人の家庭でスクールボーイ
     スペイン系米人の医師宅でスクールボーイ
     初めての農園労働 逸人系米人宅でスクールボーイ
    サウサリートへ移り画家のローマ家でスクールボーイ
1906年 サンフランシスコ大地震
    ロサンゼルスへ レストランでコックとして働く
    小さな美術品店で働く
1907年  米国南方横断鉄道会社のロス・アンゼルス工場長スモール家でスクールボーイ
1908年  ウイリアム・ダン(William Dunn)家でスクールボーイをしながらロス・アンゼルスハイスクール入学~卒業
1912年  カリフォルニア大学入学 スペイン人系のコステロ家で働く
1914年  バークレーの名家マーシャル家(Marshall)で働く
1915年  オジルビーバークレー市長(Mayer Ogilby)の妹の家で働き大学卒業


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1 コメント

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Unknown (serasera)
2020-04-28 21:51:38
進士織平の親族で、調査をしているものです。ご連絡を取らせていただくことなどはできませんでしょうか?どうぞよろしくお願い申し上げます。
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