祖父の回顧録

明治時代の渡米日記

第19回(シスコ市のNew Years Eve 大晦日)

2011-11-05 09:24:03 | 日記
18.シスコ市のNew Years Eve


 クリスマス・イブは各家庭が、一家団欒のうちに楽しい夜を過ごすのに比べて、大晦日の夜は(New year’s Eve)は全く別で、この晩だけは、市の中心街のマーケット・ストリートに出て、馬鹿騒ぎをして、大晦日の夜を楽しんで、新年の元旦を迎えるのである。私は夕食の仕事をいつもより早く片付けて、その光景を見物に行った。八時頃マーケット街のクロニクル、新聞社(Chronicle)から市役所(City Hall)に至る大通りには、もう何万という群衆で、歩道は人で埋まって、身動きもできない大混雑であった。   
 老いも若きも、紳士もレデイーも、この夜ばかりと、歩道を左右に往来して、遊び戯れるのであった。
 この夜に限って、いつもなら許されないような悪戯を婦女子にしても、咎められないことから、返って喜んでくれるので、群衆の人波の中から、悪戯者は婦女子めがけて、細かく切った紙吹雪を投げつけたり、箒を手にして顔や頭をはたいたり、はたかれたりして、戯れ歩くので街上はキャーキャー、ワイワイと大変な賑わいであった。  
 歩道の横の電車道には、沢山の自家用車が空の石油缶や、古バケツなどを紐でしばりつけて、除夜の来るのを待っていた。
 この騒ぎが高調に達して、いよいよ新年がやってくる十五分前位になると、待機していた自動車は一斉に走り出すので、ガラン、ガラン、ブーブー、ガランと、それは大変な騒音でシスコの空も張り裂けんばかりで、群衆も皆ウハーと車の方に向かって喚声を挙げる。
 時間が刻々と迫って、市役所のサイレンが十二時を報じると、群衆の中から、ピストル(空弾)を空めがけて、ポンポン、ポンポンと射つ者もあり、こうして除夜の騒ぎで、旧年を鳴り落して新年の春を迎えるのである。
“A Happy New Year to you!”
日本の除夜の百八煩悩の鐘も偲ばれて日本の正月を思い起こした。私は祈った。
“The old year has rolled away and a Happy New Year has come to you, wishing the day be joyous and with the peace between Japan and Russia” 
(旧年は去って、新玉の年は来たれり。この日こそ、皆々に喜びあれと祈り、且日露両国に平和の来たらんことを、こい願う。)
シスコでは冬でも雪は降らんし、気温も日本の春のようで、一年中花咲き鳥さえずるという楽天地で実に”California is the land of sunshine.”と歌われている国で、私のように雪の多い山国で生まれたものには、正月が来ても、その気分は出なかった。しかし同じ一生なら、こういう楽天地に生活できることは幸福だとしみじみ考えた。