
『読書(どくしょ)百遍(ひゃっぺん)意(い)自(おの)ずから通(つう)ず』[=義~]・[=見(あらわ)る]

1.文意の通じないところのある書物も、百遍も繰り返して熟読すれば自然に明らかになる。乱読を戒(いまし)め、熟読が肝心であると説(と)いた言葉。2.他人に頼る前に、先(ま)ず自分でしなさいということ。

類:●Repeated reading makes the meaning clear.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>

故事:「三国志・魏志-董遇・裴松之注」 董遇(とうぐう)という常に本を持っている勉強熱心な人がいた。郡から考廉に推挙され、次第に昇進し、献帝の御前講義を行なう仕事をするようにな人になった。彼の元で直々に学びたいと言う人に、董遇は「読書百篇、義自ら見わる」と言って断った。

出典:「三国志・魏志-王粛」の注に引く「魏略」 → 192 呉下の阿蒙 参照。★原文では「読書百ヘン(彳+扁)而義自見」。現在では、「遍」・「篇」などで代用される。

<松下幸之助一日一話> PHP研究所編

民主主義と勝手主義
民主主義というものは、自分がよければ人はどうでもいい、というような勝手なものでは決してないと思うのです。今日の日本の民主主義はわがまま勝手主義である。勝手主義を民主主義の如く解釈している人が随分あるのではないか、というような感じがします。民主主義というものは、自分の権利も主張することは認められるが、それと同時に他人の権利なり、福祉なりというものも認めてゆかなければならない。そういうことをしなかったならば、法律によってぴしっとやられるというような非常に戒律の厳しいものだと思います。それがあってはじめて民主主義というものが保ち得るのだと思うのです。