こんにちは、柳澤です。
前回研究会の様子をアップしましたが、
今回は「研究会=ごちそう」という話をします。
棋士が碁を打ったり研究会をしたりすると、長時間になります。
なので大抵の場合、みんなで一緒にメシを食うことになります。
昼から集まって、対局したり検討したり。
その後、夕飯を一緒に食べて(または飲んで)解散。
そして、一緒にメシを食うと、必ず先輩がおごってくれます。
そういうお笑い芸人みたいな文化があります。
常に出すか出されるか。
割り勘という概念が欠落しています。
いままでにおごってもらった額を総計すると、恐ろしい金額になります。
恐ろしいから計算しません。
先輩の話を聞くと、またその先輩にものすごくごちそうになってたり・・・
この業界に連綿と続く伝統です。
メチャメチャおごって頂いている先輩をあげていくと、
枚挙に暇がありません。
(いつもありがとうございます!)
暇がなさすぎますが、今回は、中部総本部を代表する
大先生たちとのエピソードを書いてみたいと思います。
あれは中1の夏。
初めて羽根泰正先生主宰の研究会に参加させて頂きました。
通称「羽根研」は、羽根先生のご自宅で行われていて、今現在も続いています。
羽根泰正先生といえば、中1の僕にとっては
歴史上の偉人とあまり変わらないビッグネーム。
初めて、「羽根」の表札を見たときの感動を、今でも覚えています。
羽根研では、一局を持時間なしでじっくり打ち、しっかり検討します。
早く終わったら、他に空いた人と組み合わせて早碁を打っていきます。
もちろん、直樹先生もおられます。
タイトル戦中でもおられます。
淡々と院生たちを三面打ちとかして、
その日の夜にタイトル戦に旅立たれたりしていました。
ひとしきり碁を打ち、羽根先生の講評などが終わると、
「じゃあ、ご飯食べに行こうか」
と、若手や院生たちを、馴染みのご飯屋さんに連れて行ってくれます。
大所帯の羽根ファミリーも一緒なので、総勢30人近くになります。
はじめは恐縮して、一番安いものを頼んでいました。
でも、だんだん遠慮がなくなって
しまいには、うな重の大盛りとか頼んだりしました。
(大先生たちは後輩が遠慮することを喜びません)
今は副理事長となられ、大変お忙しいので無くなってしまいましたが、
山城先生のご自宅でも研究会がありました。
山研は、最新の棋譜の検討か、早碁を打つかどっちかでした。
僕は、どちらかというと棋譜の検討の時間が好きでした。
研究会が終わると、
「メシ食ってく?」
と、言って頂きます。
メシ食っ・・・あたりで
「ハイッ!!!!」
と返答して、山城家の食卓の末席に紛れ込みます。
山城先生の奥様は、料理上手で有名です。
「これ、お金取れるよ!」
と
「店出した方がいいんじゃない?」
というセリフを、たぶん一万回は言われています。
そんなワケで、山城先生の「メシ食ってく?」を、
いつも心待ちにしていたのでした。
そして、少食な山城家に代わって、次々と大皿を平らげたりしました。
(大先生たちは後輩が・・・以下略)
あるとき、彦坂先生に
「お前、ヒマだったら電話して来いよ」
と言っていただきました。
翌日、さっそく電話すると、
「おう、俺も空いてるから、ウチに来い」
と言っていただき、他の若手も誘ってお邪魔しました。
(前回記事にした、彦坂研究会とはまた別の日です。)
インターホンを押すと、彦坂先生の
菩薩のような奥様と、2匹のワンコが迎えてくれます。
彦坂先生に碁を打ってもらったり、
自分の碁を並べて講評してもらったりしている間、
奥様がひっきりなしにカットフルーツやシュークリームなどの
おやつを運んできてくださいます。
日の暮れる頃になると、先生は
「そろそろメシにするか」
とおっしゃられ、焼肉をごちそうになりました。
そして、近所のミスドに寄って、
「これでも持って帰れ」
と、なぜかお土産まで持たせてもらいました。
碁を教えてもらい、ご馳走を食べさせてもらい、お土産をもらう。
いいのか?
これでいいのか?
普通、こっちが何か持っていかなきゃいけないんじゃないのか?
と、自問自答しながらドーナツを食べました。
中部生え抜きの若手で、
この先生方の薫陶を受けていない棋士はいません。
薫陶というか、もはや物理的に育まれております。
本当に感謝に堪えません。
棋院で羽根泰正先生にお会いしたので、写真を撮らせて頂きました。
年を重ねるほどに、羽根先生の偉大さを感じる、今日この頃です。