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『沈黙の声』第12号(85年6月5日発行)「マルクス主義・宗教・天皇制」…太田竜への指摘(その2)

2017-01-18 23:28:04 | 会報『沈黙の声』(その1)

(その1)から続き

三、天 皇 制 

1977年の時点で、太田竜は『十二人の専従密着尾行監視の私服公安刑事か、二十四時間、ぴったり張り付いていた。』(「琉球孤独立と万類共存」54頁)という。「人数まではっきり分る形で」尾行し張りついていたという事は、情報収集のためではなく「威かく」それ自体を目的とするものである。この結果、太田は「息も絶え絶えの病人同様になっていた』(同)。 

反体制活動家の傾向を逐一、分析している公安当局は、この時点で、ある明白な目的をもって太田を威かくし、圧迫したという事である。これに対し太田は、「マルクス主義」を事あるごとに、 『人類の敵、生命の敵』 『資本主義以上に危険なイデオロギー』(「地球人類自治連合」アピール前掲書所収」として攻撃することを交換条件として、以降の活動の自由を碍だ。 「転向」とは、たんに人の思想信条かかにわることではない。日本の「左翼」運動に特徴的な「転向」とは ①権力の弾圧、圧迫を契機として 

②土着の民衆的共同性に拝脆、屈服し 

③自己にとって外在的なものでしかなかった「主義’一を自己の「誤りの原因」として公然と攻撃する といったものである。戦前の天皇悼制国家においては、これは直接的に天皇制への屈服としてあらわれたが、戦後「象徴天皇制」のもとでは、現象的には必ずしもそうとは限らない。 まず。 「八・一五敗戦によって、日本に宗教・信仰の自由の時代かやって来た」(「琉球孤独立」-99頁) 「八・一五敗戦によって、日本(国家)史上初めて、我々一般庶民は、天皇制を批判し、天皇制廃止を公然と主張する自由を得た」(同86頁)という太田の「戦後」観をみよう。

マルクスは「ユダヤ人問題によせて」のなかで次の様にのべている。 「政治的国家が真に成熟をとげたところでは、人間は、ただたんに思想や意識においてばかりでなく、現実において、生活において。天上と地上の二重の生活を営む。天上の生活とは政治的共同体における生活であって、そのなかで人間は自分を共同的存在と考えている。地上の生活とは市民社会における生活であって、そのなかで人間は自分を私人として活動し、他の人間を手段とみなし自分自身をも手段にまでおとしめ、疎遠な諸力の遊び道具となっている。」(同岩波文庫24頁)

これが典型的なブフルジョア近代国家」の在り様なのだが、そこでは「個」に解体された利己的諸個人か、抽象的な「法」的平等、「某本的人権」をみとめられるという形で擬似共同体=「国家」に収約されていく。この様な独立した『私人一の集合体である「市民社会」か成熟しておらず、地方分散的共同体か残存しているところでは、それを中央集権的に収約するための「宗教」か必要であり、戦前の専制主義的天皇制もそうした性格をもつものであった事を意味する。

国家神適の解体、象微天皇制への転化は日本国家の「ブルジョア国家」としての成熟度を示すものであって、それが「国家権力としての本質を欠いている、解体、解消しつつある国家」(「日本原住民-」153頁)だというのは読者をして完全に敵を見誤らせるものであり、敗戦によって信仰の「自由」、天皇制批判の「自由」を得たという太田の「戦後」観は、戦後民主主義者知識人のそれと基本的に同一である。
この「批判の自由」のなかで太田は次のように言っている。
 『現代の日本資本主義―帝国主義を打倒する革命は、欧米制度のみを目標にするわけにはゆかない。その下にある律令制の士台(天皇制)もひっくり返さなければならない。そうするための不可分の第一前提、準備作業こそ、律令体制の産物として記紀に始まる日本史の偽造の正体を暴露し、日本原住民の真実の歴史を明らかにしてゆくことである』(「日本原住民と天皇制」124頁)
 太田が「日帝打倒」の「不可分の」「第一の」「前提」「準備作業一と、これを経過せずして革命をやるな!!とばかり、しつこくくり返すことの真意は、その「日本原住民の歴史解明」を検討することで、明らかになる。

太田によると、天皇族は「古代オリエント、西方アジアから東進して、中国大陸北方、満州、朝鮮を経由して日本列島に来た武力征服民族の血統ではないか、ということは、…ほぼ間違いのないところである」(「日本原住民―」25頁)そして日本「原住民」征服の後、『あたかも日本に「自生」したかのごとく歴史を偽造した」のである。 

「古代オリエント」から連綿とつづく「万世一系」(?!)の血統をもつ天皇族に征服された「日本原住民」とは、太田によると 「縄文期の末期、…日本列島の原住民は、この土地の自然然環境にめぐまれて国家権力なき人類の原始共同体としては世界最高の発展段階に到達していたと考えられる」(同76頁)という。 なぜ「世界最高」といわねばならないのか、どのように「世界最高」だったのかの説明は一切ない。とにかく、この「日本原住民」を征服した天皇族が『国家組織』をもたらしたことになっている。 太田の「国家」にかんするあれこれの恣意的な「説明」は省略するが、「日本原住民」にかんするそれは、無視するわけにはいかない。 「…そしてその(秀吉の朝鮮侵攻)二百年後、十九世紀に、世界征服に乗り出した欧米資本主義が日本列島に侵攻しかけて来ると、一転して開国し、全面的に欧米の科学技術文明を取り入れ、百年ないし百五十年の間に、この資本主義科学工業文明においても世界一の座に到達しよりとしているわけである。…これは、ごく少数の外からの侵略者のチカラによっては、とうてい説明されない
もののように、私は考える。

これは、私たちの祖先、縄文時代一万年の間につくり出された日本原住民文化の潜在的なチカラ(キャパシティ)、根本的Kはその精神的チカラ
(キャパシティ)の大きさの、逆説的証明と見るべきではないだろうか。」(「日本原住民I」77頁)

逆説的であれ何であれ、日本原住民のチカラとは、資本主義的工業文明の成果によって立証される代物なのだ。太田はさきの「宗教と革命」において「二百万年の原始共産主義的労働によって、人類はひとつの種属として、すなわちその諸個体の能力差は平均して無視しうる程度のものにすぎぬような形で、みずからをつくり出した」 (同177頁)としている。その中で日本原住民のみがなぜ「精神的チカラ」において他よりすぐれているのか?

ここで「潜在的」にあるのは、太田白身の日本資本主義の「驚異的発展」に対する「精神的」屈服と、「日本主義」へののめり込みであることは明らかであろう。

太田は、「奴隷性」という日本人の「民族的性格」を問題にする。民衆の不活性への失望とそれへの居直り感情は、「転向」のひとつの動囚である。太田は「日本民族」の「奴隷性」と「カミヨ時代の古い伝統を守る頑強さ」という「二面性」は征服された日本原住民の男は、殺されるか奴隷として子孫を残さず、征服者にめとられた女が権力に対しきわめて従順な奴隷としてつかえつつ子孫を原住民の伝統、ことばによって教育したためと「推測」する。(「日本―」118頁)(それだと子孫は全て「侵入者」の子でもあり。前述の「日本原住民のキャパシティ」の説明が、おかしくなる) これも、「遠い過去のエビソードしで物事の本質を説明しようとするイカサマ師の手法であり、「征服され、奴隷となった者の子孫だから奴隷根性をもっている」というのも、なんの説明にもなっていない。

太田の小ブル・インテリとしての、「潜在的」な大衆べっ視の心情を、見るのみである。このような「日本原住民」の文化は、どの様に現在まで引きつがれてきているか。 「日本人の庶民の母親は赤ん坊を育てるとき、背中におぶって動きまわるのであるが、これは赤ん坊と母親のからだがもっとも密着するカタチであって、赤ん坊にとっては理想的と云わねばならない。この習慣は、考古学的発掘の結果から見ると、縄文時代からずっと今日まで、何千年という長い年月、日本原住民の血と文化を受け継ぐ、母親によってつづけられて来たのである。』(同70頁) 

「おんぶ」は幼児の足を恒常的に圧迫するし、観と目と目を合わすことができない。良い面もあるが決して幼児にとって「理想的」とはいえない。生活空間のなかで(単にあそびでなく)幼児を、「だっこ」した親なら誰でも分ることは、「他に殆んど何も出来なくなる」という事である。「おんぶ」の特質は、親にとって機能的であるということ、つまり他の仕事をしながら(太田はこれを「動きまわる」としか表現しないが)子供をみておれる、という点にある。これをもっばら「母親」が行なって来た、という事は、日本の女性がつねに、割の合わない過重な「分業」を強いられてきた事に他ならない。太田によるとこの習慣は日本原住民より受け継いだものだそうで、たいした「血と文化」であるが、問題は現在いろんな思惑をこめてもては心されている「縄文人」たちの側にあるのではなく、男尊女卑のらがえしでしかない「女性至上主義」(従来の科学的合理主義、物質文明を「男の」文化に還元し、これに対して「女の論理」をたてる傾向があるが、問題は、ある政治傾向がこのタテマエをとって登場していること、即ち、「女の論理」という党派性(男の論理)を前面に立てて何事かをしようとしている事だ・)にからめて、太田が「原住民」を自らの。「日本主義」のかくれみのに使っていることにある。 現在の日本の支配権力にとって不可欠の課題とは、「皇国史観」のウソをかくしてこれを元のままで復活させる事ではなく、史実にできるかぎりそった形で「日本歴史」を再構成し、日本人の「愛国心」をかん起することであろう。

太田が「在野民間の歴史家」の研究内容をコメントし。これを「日本原住民の歴史」へと収約していく時、これはそっくりそのまま、支配権力のエージェントとしての作業となっていく。 太田は「日本原住民」を、天皇族に征服され奴隷とされた民であるとして「天皇制」に対立させているではないか、という反論があるかも知れない。しかし次期天皇を予定されている明仁は、「庶民」の女性と結婚し、「天皇族」に太田のいわゆる「日本原住民」の血が流入している事を、太田か意識していないはずはない。 

支配権力が求める、「21世紀世界支配」にみあった超国家主義的日本主義のイデオロギー再編、これに太田は「オリエントに発祥した外来天皇族」と「優秀な日本原住民の血と文化」の合体、という形で、「理論」背景を提供しているのである。    

結 び 

本文は、単なる〝批判〟 の為のものではなく、摘発のためのものであり、日帝による「在野民間」のデマゴーグを使った「(新)左翼」解体と、反共への大衆組織化の手口を暴露するためのものである。冒頭の太田の「三つのテーマ」を思い出していただきたい。「宗教とマルクス主義」、これはまさに帝国主義者にとって現在最重要とされている課題である。

即ち包括的、統一的な世界観を有し資本主義の没落を確証するマルクス主義を葬り去り、宗教を再編してこれに代わる没階級的イデオロギー支柱をうちたて、危機をのりこえる事か彼らの焦眉の課題なのだ。そして「日本原住民」これは新たなる日本主義、「愛国心」を必要とする日帝の課題、「すべての偏見(―階級的世界観)を排して。生きのびる」とはまさに危機にひんした帝国主義者のホンネにほかならない。「世界滅亡」の危機感をあおって大衆を組織し、破局の道連れとするのが彼等の路線なのだ。 

太田竜は、かかる路線にそって80年代を歩んでいる。その途上で様々な運動家、宗教家等に近づき、反共に組識しつつある。その収約地か、「日本みどりの党」である。これは国際的なつながりを持つており、太田の「理論」的指導がもし貫徹すれば、それは世界帝国主義権力を補完する反共ファシズム大衆運動に転化するであろう。そうならないまでも、多くの人々を迷わし続けるであろう。 権力の圧迫を契機に、「日本」的土着性に拝脆し、マルクス主義を「無神論、唯物論」としてデマ攻撃する、この太田竜は、日本的転向の条件を全て満たしており、転向の現代的在り方の典型といえる。 

つまり、現在の日本の状況においては、こういった形で「天皀制」への屈服、転向がおこるということである。さらには、本人がその思想的屈服を自ら認めようとしない中で、権力は手綱をゆるめ。従来の主張をあるていど回復させ、「権力批判」をやらせる事でより巧妙に利用する、ということである。 太田竜を現象的、部分的に批判する者は多いがその中にも「太田竜」的思想傾向を無批判にとり入れている者が多い。この一文は、それか場合Kよっては何を意味するかについても、若干提起したつもりである。(85年5月10日)

抜粋以上


 

【管理人のつぶやき】

>(それだと子孫は全て「侵入者」の子でもあり。前述の「日本原住民のキャパシティ」の説明が、おかしくなる) 

たしかに(^_^;)

>「太田竜」的思想傾向を無批判にとり入れている者が多い。

そんなに太田竜って、カリスマだったんだ…

太田竜って、検索かけると、「めちゃくちゃな人だった」みたいなことが書いてあった。それしか印象にない。



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