(その4)から
五、死刑囚と死刑廃止運動に問われるもの
死刑囚による死刑廃止運動の「拠点」であった日本死刑囚会議=麦の会で内紛が激化したのは、死刑廃止運動全体が、「死刑ラッシュ」とのたたかいをめぐって質的な転換をはじめていた'87年以降だった。その過程での会員個々の限界性はあれ、やはりそれですませるべき問題ではない。
紛争の本質は、あくまで、「死刑囚による死刑廃止運動」とは何なのか、そして獄 . . . 本文を読む
(その3)から続く
四、「流れの変化」と、とりまく状況
'90年12月のフォーラム90の成功は、死刑廃止をめぐる「流れの変化」を誰の目にも決定づけた。それは単に一回のイベントの成功という以上に、死刑廃止運動がそのイベントを通じてそれまでのあらゆる傾向、そしてあらゆる地域の運動を集約することに成功したためであり、そのことが国会に対して、死刑廃止運動を確固たる政治勢力としてつき出し . . . 本文を読む
(その2)から続く
三、’89年のたたかい
'89年末の『沈黙の声』第35号は、「流れが変わった!」と、見出しをかかげた。しかし当時、表面的にはまだ、そう言いうる状況の変化はなかった。むしろ「'89年」という年は、死刑廃止運動にとって大変な年であった。
'89年の前半、相次ぐ幼女の失踪事件がマスコミによって大きくクローズアップされた。'88年8月の事件は、この年 . . . 本文を読む
(その1)から続く
二、現在の死刑廃止の流れと死刑囚
'79年以降開始された新たな運動において、「死刑囚とのかかわり」ということは、様々な論議を生んだ。
まず、「死刑囚との直接のかかわりは運動を広げるのにマイナス。制度の廃止を主体としていく。」「まず無実の死刑囚にかかわっていく。そのほうが運動が広がりやすい。」という主張があった。これらはその後の運動が実際にその . . . 本文を読む
永山則夫支援者だった武田和夫さんが永山さんから追放された後、武田和夫さんが「風人社」という死刑廃止団体を立ち上げ、『沈黙の声』という会報を発行してました。その38号の内容を以下に載せます。 この38号が最後みたいなんで、気合入れて読みます。
『沈黙の声』第38号(その1)(91年9月1日発行)
「死刑廃止運動と死刑囚」
一、過去の死刑廃 . . . 本文を読む