それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

『沈黙の声』第10号(1985年1月30日発行)「“死刑”との斗いとは何か」

2017-01-16 18:47:48 | 会報『沈黙の声』(その1)

永山則夫元支援者の武田和夫さんが、永山から追放された後、発行された『沈黙の声』という会報を冊子にまとめたものです。『沈黙の声』11号の記事を、以下に載せます。


 

『沈黙の声』第10号(1985年1月30日発行)

「死刑」との斗いとは何か」 

1985年が明けた。これから「21世紀」にむけての15年間は、帝国主義者共がその存亡をかけて必死の争闘、陰謀をくり広げる時となるはずである。 

世界反革命の旗手、米帝レーガンは「マルクスレーニン主義を歴史の灰に埋める」ための’宗教戦争″を呼号している。彼がくり返し語るところの「(ハルマゲドン)―終末戦争とは、帝国主義者の滅亡への恐怖の反映であると共に、不安な群衆を破滅への道連れにする〝にせ預言者″としての自己証明Kほかならない。これに呼応する中曽根のいう「21世紀Kむけての科学技術立国」とは、米・日・「韓」を中軸とする太平洋共同体構想を主導する為の、「高度」な科学技術(特に生命科学K重点を置いた)を握るエリートによる徹底した生命、生体、精神の管理支配をめざす、全ゆる分野の再編である。 さきの敗戦後、「人間宜言」という転向声明(「神」から「人間」への、でなく挫折した〝アジアー世界の盟主″から米帝支配下への)により延命した天皇は、かかる日帝・米帝の世界戦略に不可欠の存在として、登場してきている。 

日本の死刑存置が天皇制と密接に関係しているという事は、抽象的な「差別構造」の問題ではなく、極めて端的に、天皇を殺害した者を死刑Kする必要がある為である事を、「沈黙の声」は明らかにしてきた。この事が、「死刑」をめぐる斗いに対する権力の極めて巧妙かつ慎重重な政治的対応の全てを説明しつくしている。我々はこの斗いの奥の深さと厳しさ、そしてその重要性をはっきりと認識する必要がある。そこには、一人の人間に無数の人命を供してきた「日本」の歴史がまさに「生」きているのだ。 このかんの心ある人民による「死刑」との斗いは、昨年11月15日に強行されるはずであった最高裁第一小法廷の死刑上告審弁論を延期させ、新任弁護人の準備期間を全く考慮しない第一小法廷の2月弁論一年度(3月)内判決という強行日程をも突破して、夏期までの準備期間を保証させた。然しながら最高裁は、第二小法廷による3月弁論強行(小山幸雄氏)を目論んでいる。

昨年12月開始された「永山裁判」差し戻し審を権力Iマスコミが「死刑存廃論議の場」とキャンペーンする背後で進行しているこの動きは、昨年再開された二件の死刑上告審による死刑確定に続く、権力による「死刑存置」の実質化による「死刑」との斗いへの巻き返し攻撃である。これらは単に個々の裁判が進行しているという事では勿論なく、我々はこれら一つ一つの裁判強行を「死刑」と斗う全ての仲間の共通の課題として、もはや従来の様には「死刑裁判」をやる事は出来ないのだという状況を現出せしめていかねばならないと考える。

83年7月の永山裁判最高裁「差し戻し」判決をめぐる権力の対応は、まさに「死刑」との斗いに対する権力の政治性の総動員としてあった。永山則夫自身を含む殆んどの人々がこれを感知せず感性的対応に終始する中で、権力をその政策転換寸前にまで追いつめた斗いが、単に物理的にでなく政治的に抹殺されようとしているという自覚のなかで、「沈黙の声」は生まれたのである。 

その前年暮の武田の永山との決別は、永山にとっては武田を権力に売ることで「減刑」を「確実にする」試みであったか、権力自身にとっては、実は《永山裁判斗争》の買収に失敗した事を意味した。権力にとって、永山則夫は「結婚による減刑」というキャンぺ―ンのもとに、政治性を奪ってそのまま下獄させる事もあり得たであろう。それは永山と共に斗争体そのものを封じ込める路線だったのである。

最高裁判決直前に書いたという「キケ人ヤ35号」永山文が権力犯罪追及を権力に向けていないこと、「わたしか獄中に二十年以降も入っていたら、そのとき権力犯罪を理由に再審を求める」という、83年4月23日付永山の獄中者宛手紙(武田攻撃の為永山が公表)は、その様な永山の内実を示している。 

永山の武田に対する「三億円事件」推論をめぐる理不尽な「自己批判」要求は、永山がこの自らの路線にそって斗争を清算するための、武田に対する絶対服従要求といえた。武田が健全な精神からこれを拒否し、永山が大胆にも権力の前に武田「追放」―武装解除を公表した時、権力は永山を下獄させても何もならない事態に陥り、両者を「つぶし合」わせる必要が生じた。これが最高戡「差し戻し」反動判決の、かくされた一つの政治的側面であった。 

然しながら、武田が原則的な権力攻撃の主軸をくずさず、革命的労働者と共に永山の悪質な「スパイ」宜伝を粉砕しぬいたことで、権力の目論みは完全に崩れ去ることとなったのである。 最近、永山とその「運動」が獄中に入れた一連のビラ類(『国家悪に奉仕するのが「労働者文学」か?』)は、以上の事を永山が正しく総括していない為、「総評労働者」一般を批判はするが、「沈黙の声」第2号での斗う先進的労働者からの批判1「永山の立場は自身を市民社会への糾弾主体としてのみ自己限定し絶対化するところにあり、過去の《ルンプロ永山》という社会的存在形態を形態対抗性においてのみ、対立させているにすぎず階級斗争としての斗いの内容を展開せず、《階級利害》をつき出していない。

……差別の内容の具体的把握に失敗し、《形態対抗性》を示す………」これは自身を問わなくてすむこと、自身をも変革の対象としないという点において腐敗である」という批判にいまだ応え考れておらず、これへの居直りとなっている。「山谷等の下層労働者」が永山を「最下層民の最良の息子」といっだのではなく実際には、山谷・釜ヶ崎労働者の最先頭で斗った戦士が、かって「永山則夫をはじめとする下層民の最良の息子たちにと、獄中の全ての下層「犯罪」者によびかけだのを、永山が読みかえているのだ。この読みかえは永山の意識性をよく反映しているのである。 

思想とはその人の存在がかかったものだ。その意味において、永山の現在は、展開するにつれて問題性が現われてきている永山の「思想いの、次の様な現在的論述にその反映をみることができる。  『彼らがいう「人間」は市民なのです。等価交換経済社会l市民社会で生活する市民なのです。非市民―不等価交換経済社会9非市民社会を考えつかない市民なのです。だから対自力がないのだ』 『「資本論いには犯罪等の不等価交換経済の分析がありません。それ故マルクスらはルンペンプロレタリフートを「射殺せよ!」とまでいい…』(前掲『国家悪に…』) マルクスは「資本論」で、等価交換経済一般を分析したのでなく、市民社会の等価交換経済が、賃労働における剰余価値生産という≪不等価交換経済≫によって成り立っているという資本主義経済の矛盾(「犯罪」はこれへの反作用であって、自然人一般の行為ではない)を解明したのだ。

等価交換経済=商品経済は、元々、自給自足経済体の集落の境界上において、特殊な経済関係としてはじまり、やがてブルジョア社会においてそれが、社会内の一般的関係へと転化したか、それは生産者の収奪という不等価交換経済を、最も普遍的にかつ合理的になしうるためである。しかもそれは必ず帝国主義的植民地収奪という不等価交換経済を伴うものであり、資本主義社会の等価交換経済は、不等価交換経済なしには成り立だない。

マルクスはこのみせかけの一等価交換経済」を単に「不等価交換経済に」置きかえるという構造改革路緑を唱えたのではなく、「等価交換経済」という、歴史的には特殊な経済の段階を分析することで、階級社会の歴史に一般的な、生産者の収奪という不等価交換経済の本質を分析し、その双方の矛盾の止揚が、個々人の人間としての尊厳を価値基準とする高次の不等価交換―真のいみでの等価交換の共産社会を生み出す必然性を明らかにしたのである。 

「等価交換経済」「不等価交換経済」という機械的二分化は、「34号」以降の「キケ人ヤ」にみられる「減刑」と「結婚」以降の永山の市民意識を対象化できず。「市民とルンプロ」という存在諭的二分化に全てを還元して自己と現実を観る永山の「思想」に反映されている。

いいかげんなマルクス理解に基く「マルクス批判」は、学習中の仲間に正しい批判精神を教えず害毒を流すのみか、自ら太田竜並の転向「反マルクス主義者」への事実上の転落をよぎなくされるのみである。ひとを批判するから自分が正しくなるのではない。彼が「組織労働者と下層民が連帯する道を求めて書かれた」という『木橋』は、客観的には、84年7月当時、反帝筑波斗争共斗者に対していっせいに目論まれた逮捕や職場解雇などの斗争破壊攻堅(勿論これは粉砕された。

「沈黙の声]第8号の主要論文「筑波解体」は、これへの反撃として書かれたものだ)に歩調を合わせた「対武田挑発分子」としての永山へのテコ入れであり、現実には永山-獄中作家という更なる政治性ハク奪キャンペーンに利用されることとなっている。

労働者が斗っていない限りにおいて発言権をもつという自らの政治性を捨て、自らの現在の《生きざま》を見つめ直さぬかぎり、この状況はかわらないだろう。 

永山則夫よ。「相手にするな」とは、場合によっては「人を殺す」言葉だと思う。然しそれは、永山の「山谷むけ」反動ビラが山谷の斗う労働者をして、君自身にむけて言わせている言葉なのだ。「言葉は人を生かす」という時、君の求める「言葉」とは、どの様なものであるのか?自分は何者として「生」きようとしているのか?      

三 

前号に緊急に掲載した「死刑廃止関西センター」の問朔について、更に展開しておきたい。「関西センター」からの応えは1月20日現在まだない。答えないつもりなのかも知れない。

最高裁で延期になった前述の第一小法廷死刑上告審を「11月15日…開いた」と11月13日付で公表した件については、彼らは遅くともH月20日頃にはその誤りについて連絡を5けている筈である。誠意があるなら獄中の仲間には直ちに謝罪と訂正文を送ってもよい筈だ。というのは特に死刑上告中の仲間は最高裁の動向に全神経を集中させているだろうし、現にそのうちの一人の仲間は『死刑と人権』第28号をみて「開かれたのですね。残念です」と言ってきているのだから。然しそれがなされたのは12月12日発送の第29号紙上であった。この第29号は12月7日発送の前号「沈黙の声」を見た上で送られているとすれば、批判に居直っている事になる。前号で批判した「ふゆみ」―N.H.は、永山裁判斗争か「静岡事件」公開糾明をめぐって地裁刑事五部=蓑原と真向うから対立し、法務省-最高裁一体となった「弁護人ぬき裁判」策動を背景とした国選弁護強行の斗争圧殺攻撃がかけられている時、この背後でエセ「犯罪者解放」運動をデッチ上げ、ありとあらゆる斗争の後方攪乱、デマ中傷を行なった上永山裁判一審死刑判決と時を同じくして解体した旧関西「あつめる会」=プロレタリア「犯罪」者解放同志会の一員であり、この「運動」の総括ぬきに公に発言できない筈の人物である。

第29号はこの「ふゆみ」文に関し、『本音で語ってとても共感しました』という東拘の飯田博久氏の文を掲載しているが、あれは「本音」ではなく彼女の「思想性」そのものであり、「本音」とは、何の為に彼女があの文を書いたのかというもう一つ根っこの処で問われるものである。飯田氏はコトバだけで物事を考える傾向があると思う。「本音」一般を正しいとし、それが語られる背景を見ていないのだ。 私は、「被害者遺族が悲嘆と憎悪で鬼になるのは当然」 (第28号「ふゆみ」)というのはまさに「犯罪」を「アカの他人」としてしか見ていない為であり、これを受けて死刑囚自身が「遺族の方が死刑にして下さいと叫ぶのは当然と思います」(第29号)というのは、彼が自分の「殺人」に対する義務をほんとうに理解していない為であると思う。 

「アカの他人」として「犯罪」の「原因」を述べるだけでは「被害者遺族の悲嘆と憎悪」に勝てない、という事を「ふゆみ」文は告白しているにすぎない。それでどうして、死刑存置の「世論」に勝てるだろう。どうして、その「世論」をタテにする権力に勝てるのだろう。「靖国神社国家護持法案」に動員されている戦没者遺族と同じく、「死刑存置」K権力か動員しようとしている被害者遺族K対し、彼等の肉親は一体誰に殺されたのか、を正しく訴えていくことこそが、彼等とも共に人間として生きる途ではないのか!! 「関西センター」の「W氏」への関り方には、更に疑問を強めている。 前号「沈黙の声」を読んだW氏より、12月16日付でHさんに手紙が届いている。Hさんからの伝聞だけでは不正確なので、本文を送ってもらつだ。それで、W氏に訴えます。 

W氏は、武田がHさんの言い分だけ聞いて書いたのだから間違いもあると思う、と言われていますが、本質ははずしてないと思っています。また細部の事実についても色々聞いていますがそれを述べるのが前号の目的ではありません。「沈黙の声」は、W氏とHさんとの「ゴタゴタ」をただわるい事としてはみていません。むしろこの「ゴタゴタ」をのりこえてこそ、下層「犯罪」者・死刑囚と市民の正しい団結が生まれると思っている。

そうしなければ、逆に同じような「ゴタゴタ」が至る処でくり返されることになるでしょう。 

これに対して、我々が批判しなければならないと思っているのは。 「あなたがHさんとのことをすでに清算し、麦の会の一部の人たちに対しても必要のない弁明をしないという態度、とても立派だと思います」とW氏に書き送るような「関西センター」の一部の傾向です。こう言いながらこの人は同じ手紙の中でくり返し、Hさんへの非難をW氏にのべておりW氏とHさんとの対立を固定化する働きをしている。

我々がこのW氏あての手紙を見たのは前号発表後だが、前号でのべている「対立の一方を切りすて、他方を囲い込んでいる」という指摘は当たっていると思います。 さて、我々の今の立場は、この手紙の筆者の様に一方的KHさんをなじりW氏のかたを持つことでもなけれぱ、その逆でもありません。然し次の事ははっきり言っておきます。今回、Hさんの態度は「問題を公表して肯否を問う」というものであり、W氏と「関西センター」の態度は、問題を清算し公にしないというものでした。「沈黙の声」は。前者のHさんの立場を支持し。後者の立場を支持しません。それで積極的な立場の人が出来るかぎり問題を正しく総括できるよう、「けっしてWさんを批判するのではなく、支援とは何なのか、死刑囚と共斗することはどういうことなのか考えたいのです」(84・10・25付Hさんより)という姿勢を援助していきたいというのが我々の立場です。

前述のHさん宛の手紙でW氏は、とてもよい対応をしていると思います。まず、彼が獄中でためたという作業賞与金の件で、本当の事実を語っています。そして『…武田氏がパンフで公表したり上もはや今回のゴタゴタはあなたと私の二人だけの問題ではないのです。すでに大きな問題になってしまっているので経過を正しく総括して公表しなければおさまらないのではないですか?』とあります。これは全く正しい。それがやりぬければ、「ゴタゴタ」は結果として皆にとっての大きなプラスとして、かえってくるでしょう。然しどんな風にそれをやっていくか、という事では、まだまだW氏、Hさん双方と、倹討しなくてはならない事が沢山あります。

ただ様々な「事実」をいろんな立場から引っぱり出してくるだけでは、ますます問題は混乱してくると思います。たとえばW氏が色んな人に言っている、衣類の件。これは冬にトレーニングウエアを自費で購入する為Hさんに依頼したが、獄中の状況に合わない別の衣類が入れられた件でしたね。 監獄の冬は寒いです。私は、私服がみとめられず洗いざらしの官衣ですごす刑務所の冬も経験しているため、W氏の気持はよく分ります。そして色んな人が、Hさんの獄中者支援の未経験さを指摘していると思います。しかし、かんじんの点が見すごされていると思う。支援というのは、獄中者の斗いを支援するのであって、ともに何をめざして共斗していくのかということがまず問われなければならない。

それは決して斗いに応じて支援するという事ではなく、まだ充分斗えない人は寒さをがまんしろなどという事では勿論ないのだが獄中の仲間が充分に斗えるようにこそ、獄外者は様々な便宜をはかるのだと思うのであり、ただ獄中者の為に何かをしてあげるという事ではないと思う。W氏がHさんのミスをそれだけ非難するのなら、ではW氏自身はどうなのか、Hさんの善意を正しい方向に生かす様などんな斗いをしてきたのか、と問われなけれぱなりません。 これらの、全体からみれば小さい事だが、問題となっている点を正しい観点から、一つ一つ検討していけば、きっといい結果が出るでしょう。

処が今年に入って、1月8日付のW氏のHさん宛の葉書(これも見せてもらった。悪しからず)は、調子が変わってしまっています。これは悲しい事です。 「私としては、これ以上ゴタゴタを続けるつもりはありませんのでHさんの好きなようにして下さい。…私は手紙を公表するつもりや他の人にいいわけするつもりもありません」 正しい解決のために、W氏に、Hさんにでなく武田に直接手紙を下さる様訴えます。直接下さった手紙には直接こたえ、双方の手紙とも公表はしないつもりでいます。(W氏の側で当方からの手紙を誰に見せても、公表してもそれは構いません。) 

われわれプロレタリアートの斗いは、立派な人間の清く正しい斗いではなく、欠点だらけで誤りだらけの人間が、団結して敵と斗うために、自己の欠点を一つ一つ改めていくこと、そのこと自体が《力》になっていく斗いだと思う。仲間のうちには、「死刑囚がこんな事をしているのかと世間に知れると運動にとってマイナスだ」と言って、問題をできるだけうちわで処理しようとする人達が多いが、そのこと自体、事実を事実として直視しようとしない姿勢であり、解決を遅らせるものであると思う。

勿論、「事実」それ自体は、反動的にもあつかいうるのであるが、ありのままの「事実」の中にこそ真実があるのであって、真実は必ず未来の主人公たる被抑圧人民、プロレタリアの武器となる。だから我々は、ありのままの事実を決して恐れず、それを通して真実を解明し、そして事実に対し反動的に関わる者は、その姿勢そのものを暴くことで粉砕していくのである。-1月20日記

(抜粋以上)

 



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