永山則夫支援者だった武田和夫さんが永山さんから追放された後、武田和夫さんが「風人社」という死刑廃止団体を立ち上げた。その時、発行していた会報『沈黙の声』を冊子にしたもの…の第二弾。『沈黙の声』16号の記事を、以下に載せます。
『沈黙の声』第15号(86年2月10日発行)
「’86年の斗いにむけて」(1)
天皇右翼の凶弾か、八六年の現時点における敵権力の在り様を、斗う全ての者にはっきり示した。1月13日早朝、山谷争議団山岡強一氏に対する、 「金町一家」配下の殺し屋によるテロ虐殺は、権力によってしくまれた。反革命白色テロ攻撃であり、それは斗う寄せ場労働者に対してのみならず、侵略とファシズムへの途をひた走る日帝権力と斗う、全ての者に対する挑戦である。
「八五年体制」といわれた中曽根反動政権による国内再編は、労働運動の解体、既成革新政党の翼賛化をともなう、産・官・軍・学・労一体となった「挙国一致体制」により経済・軍事大国をめざすものである。然しながらそれは、世界帝国主義の矛盾の露呈である世界的な経済危機に規定された、日本帝国主義の〝生き残り″戦略であり、それ自体危機と矛盾をはらんだ体系にほかならない。
中曽根は、「天皇」を前面に立てた「愛国心」の高揚、(ハイ・テクノロジー支えられた「科学技術」の称揚を二本の柱として、国民の意識統合を行ない、21世紀世界反革命の盟主としての国づくりをはかってきたが、「八五年体制」におけるその電要なステップであったはずの「つくば科技博」は、「愚の骨頂」というべき惨状に終わり(*注)
「公的参拝である」と居直りかえったヤスクニ参拝は、アジア人民の怒りと糾弾にさらされる結果となり〝自重〟をよぎなくされている。こうした中で、今年、4月天皇在位60年式典、5月サミッ卜という、中曽根政権の命運をかけた正念場か、予定されているのである。
(*注) つくば科技博の体制は開催前にすでにガタガタになっていた。その主原因は、科技博をステップとして「21世紀科学技術立国」の中枢基地として整備される筈であった「つくば学園都市」1の頭脳中枢、「筑波大」=福田体制が崩壊状態にあったことである。万博協会自体にこの矛盾が波及した上、この具体的目標を欠いた科技博の形ガイ化か、全ゆる否定的要因を顕在化させたといえよ5.この筑波大―勝共福田体制の諸矛盾を余すところなく顕在化させてきたのが、《教育大廃校―筑波強制移転》=筑波大創設と対決する「教育大(筑波大)臨職岩崎さんの不当解雇を撤回させる会」の10余年Kわたる、筑波解体斗争であった。(「沈黙の声」第8号参照) 尚、昨今の「朝日」rよる福田批判キャンぺーンは、日共による筑波体制肩代わりの為の世論づくりである。
現斗委、釜共斗圧殺以降の、山谷・釜ケ崎などの寄せ場に対する権力の対応は、まず斗いを寄せ場に封じ込め、少しでも動けば大量ねらい打ち逮捕の出来る戒厳体制をしいて、斗いを消耗させ、体制内化させていく、という方針をとってきた。然しながら、’83年以降、公然とテロを口にする天皇右翼・皇誠会を山谷に登場させた新たな攻撃は権力側が、「合法的」斗争鎮圧体制のタテマエをかなぐり捨て、権力の「非合法部隊」を使った、斗争体そのものへのなりふりかまわぬ壊滅攻撃を開始したことを意味した。
それは、帝国主義的支配秩序の全ゆる矛盾が収約された流動的下層労働者層、絶対的に「管理」不可能なその領域において、いかなる反体制運動も存在させてはならぬという事が、現政権による国家再編にとって不可欠の命題であることを意味した。 今回の憎むべきテロ攻撃は、この様な敵権力とその手先どもの攻撃が、寄せ場をはじめとする労働者、広帆な人民大衆の怒りをよび、斗いは壊滅されないばかりか、全国の寄せ場へ、そして各階層への波及力をもちつつある中で、「八六年」をむかえた支配権力の危機意識のあらわれにほかならない。
働く者のカスリをとって棲息する人面をしたダ二、外道共の今回の所業こそは、「天皇」をかかげ、「科学技術」をうたう日本帝国主義現政権の、醜悪な本姿の反映にほかならない。マスコミはこれを「両勢力」間の抗争とイメージアップし、権力は下手人を「逮捕」して中立を装っているが、その様なことで心ある人民の眼は決してごまかされはしない。われわれは不屈の意志と道理をもって敵権力を追いつめ、その意図を粉砕し必ずやりかえしていくであろう。
二
昨年、法務省(法相嶋崎均)は、5月31日に同日2名、7月25日1名と、3名の死刑確定囚への処刑を強行した。この合法殺人は、七九年以降の死刑執行が毎年1名であった現状からみても、明らかに異状であり意図的なものである。
八三年の永山裁判最高裁「差し戻し」以降、具体的に死刑確定判決を出すことで死刑存置を実質化せんとしてきた最高裁は、当初状況を見つつ年間「三件」のぺースをおしすすめようとした。
処がこれに対する、署名抗議、傍聴監視、最高裁前抗議情宜、裁判支援がとりくまれる中で、一昨年には二件(3名)の仲間に死刑判決、昨年は四月に、公安・警備計40名の動員のなかで1名の仲間に死刑判決を下したあと、七月弁論の事件(晴山広元氏)が弁護側の補充書提出により判決日程が入らぬまま、ついに昨年内には他の事件でも弁論日程を入れることができなかった。
裁判所側からの反動攻勢を、われわれは喰い止めるには至っていないが、それが鈍化してきていることは事実である。法務省による「3名処刑」は、この様な状況における、裁判所当局に対する行政権力からのテコ入れとしての性格をもつものであり、それは、現在の「死刑」をめぐる状況に対する権力側の危機意識の反映に他ならないのだ。
日本における死刑制度は、たんに日本社会の前近代性の反映ではなく、日本社会がその前近代性を温存させたまま、それ故に一層過酷・残虐な侵略と収奪を行なう「近代国家」として成り立つ事を可能ならしめてきた天皇制によって、絶対的に要請されているものである。
明治以降のアジア軍事侵略を主導した天皇専制が、「大逆罪」(天皇《族》)への攻撃を企てただけで、選択刑なしの死刑)によって保障されていたのに対し、米帝の軍事力に依存しつつひたすら経済力増強にまい進した戦後「民主国家」日本にみあった「象徴天皇制」は、刑法上は「一般人」として保護されているにすぎないが、それは逆に、一般死刑制度自体に潜在的な「大逆罪」的役割をもたせる他ないこと、権力主流は決して口に出さぬこの理由により死刑存置に固執せざるをえないことを意味しているのである。
そして、その「戦後」を精算し、世界反革命同盟の盟主たる「経済・軍事大国」をめざす国内再編への国民統合のため、天皇を前面に立てた新国家主義を唱道する現政権にとって、死刑制度に対する今迄にない異議・抗議の声の高まりはまさに「危機」以外の何物でもないのだ。 昨年末には、3名の処刑に対し、日本死刑囚会議―「麦の会」の獄外の仲間による一週間の抗議のハンスト、(獄内も呼応)嶋崎の選挙地金沢における情宜がとりくまれている。こうした更なる
人民の怒りと抗議のなかで、今年「天皇在位60年式典」を予定する権力は、他方で天皇爆破=「虹作戦」を含む、東アジア反日武装戦線への「大逆罪」的死刑・重刑攻撃の上告審をひかえており、皇居に面する、「最高裁」は否応なく、政治的焦点とならざるをえないのである。
市民革命が打倒した絶対主義権力の象徴がバスチーユー監獄であるとするならば、「法」による合理的支配のタテマエを必要不可欠とするブルジョア近代国家における権力支配の象徴は裁判所、なかんずく最高裁といえるだろう。最高裁を焦点とする「死刑」との斗いは、全ゆる領域から「天皇」に照準をあてて斗われるべき八六年階級斗争の、重要な一環である。
(その2)に続く
以下、管理人のつぶやき
私は生まれて初めて、「白色テロ」なる言葉を知りました(-"-;
白色テロ(White Terror):為政者や権力者、反革命側(君主国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる暴力的な直接行動のことである。国家組織及び権力を是認して行われる不当逮捕や言論統制などがある。フランス語(Terreur blanche)に由来するため白色テロルとも言う。一般に国家の何らかの関与を前提とするため、単なる右翼テロとは異なる。